無力

 屋敷へと戻ってきたアビゲイルは、自分が想像していたよりも疲弊していた。

 公爵家へやってきてから毎日しっかりと食べて、ララやルルと共に散歩もしていた。

 けれど元の体力がマイナスだったためか、苦手な人混みにやられてしまったらしい。

 そんなぐったりとしているアビゲイルを抱き上げて、グレイアムは屋敷へと入った。

 すぐにアビゲイルのために用意された部屋へと向かい、彼女をベッドへと寝かせる。


「アビゲイル、大丈夫か……?」


「平気よ。ごめんなさい。こんな、情けない……」


 少し外出しただけでここまで疲弊するなんて。

 これではまともな復讐なんてできるはずがない。

 ララやルルに言われた体力作りに力を入れなくては……と意気込んでいると、そんなアビゲイルの頭をグレイアムが優しく撫でてくれた。


「気にするな。むしろよく頑張ったな。あのヒューバートと二人で話をしたんだ」


「……ありがとう」


 確かにその通りだ。

 あのアビゲイルがヒューバートを前に、顔を伏せることをしなかった。

 それだけでも大きな変化だろう。

 そしてあのヒューバートの態度だ。


「……グレイアムのおかげね。あなたが私を愛してくれている。そう思うだけで勇気が湧いてくるの」


 この世に味方なんていないと思っていた日々。

 誰からも愛されず、誰からも見られず。

 その存在を消されたかのように過ごしていた。

 あの時には決して持つことができなかった勇気だ。

 グレイアムはアビゲイルの頭を撫でるのをやめ、彼女の手を握る。


「俺のこんな想いでも君のためになっているから嬉しい……」


「……なってるわ。あなたがいてくれるって思うだけで、私は前を向けるもの」


 二人の間の空気がふわふわとしたものになる。

 お互いがお互いだけをその瞳に映し出す空間は、少しだけ気恥ずかしさを覚えながらも、どこか居心地がいい。

 不思議な感覚に酔いしれそうになるが、それではダメだと軽く首を振った。


「お兄様のことだけれど」


 グレイアムもこの話が聞きたいはずだ。

 アビゲイルの真剣な顔を見たグレイアムは、こくりと頷いた。


「話をつけてきたわ」


「どうだった?」


「あなたの言うとおり、侯爵令嬢との婚姻を破棄したいみたい」


「だろうな。それで……?」


 アビゲイルはヒューバートと話した内容を全てグレイアムに伝える。

 彼はヒューバートの答えがわかっていたのか、話を聞いた後に鼻を鳴らした。


「どうせそのうち男爵令嬢にも飽きるはずだ。……それにしても身分の差も考えずによく熱を上げられるな」


「王妃にしたいみたいよ」


「それは流石に俺でも無理だな」


 呆れたやつだと肩をすくめつつ、グレイアムは長い足を組む。


「俺たちは侯爵令嬢を潰す。あとのことはヒューバートにやらせればいい」


「あの様子だとそのうち男爵令嬢を王妃にしたい! って言ってくるかもしれないわよ……?」


 まあできなくもないかもしれないが、身分や見栄に重きを置くあの母親が許すとは思えない。

 いくらヒューバートが国王になるとはいえ、母に歯向かうことはしないだろう。

 そうなったらアビゲイルに頼み込んでくるかもしれない。

 だがグレイアムの頭の中にはもう道筋でもできているのか、そんな考えを否定された。


「大丈夫だ。ヒューバートの弱みはまだあると言っただろう? 正直そっちの方が深刻だ」


「そうなの?」


「あれは結局逃げたいだけなんだ。面倒な侯爵令嬢から。それに男爵令嬢のほうも、一旦婚約破棄が成立したって言えば勝手に期待して待つだろ」


 なるほどな確かにと納得する。

 男爵令嬢という高い身分というわけでもないのに、王太子と恋人になる度胸と理想の高さ。

 自らよりもうんと高い地位にいる侯爵令嬢が婚約破棄され、王太子は未だ自分と恋人同士。

 さらにその王太子が国王になるとなれば、有頂天になってもおかしくはない。


「ずいぶん野心家な令嬢らしいからな。あとはヒューバートを離さないよう、必死にあいつの機嫌取りでもするさ」


「じゃあ一旦は侯爵令嬢を?」


「手はずならもう済んでるから安心してくれ。一週間もかからず侯爵家のことはヒューバートの耳に入るさ」


 なにからなにまで完璧だ。

 これではアビゲイルの出番などないだろう。

 だが本当にそれでいいのだろうかと考える。

 自分のことでもあるのだから、少しでも手伝えればいいのだが……。

 難しい顔をするアビゲイルに気づいたのか、グレイアムが優しく声をかけてきた。


「アビゲイル。君はもうじゅうぶんやってくれた。この計画が進められるのだって、君がヒューバートと話をつけてくれたからだ」


「……でも、私」


「アビゲイル、これはまだはじまりだ。この後もっと大変になるだろう。その時こそ、君の力が必要なんだ」


「…………わかったわ」


 今は確かに彼に任せた方がいいのだろう。

 力不足の己が恥ずかしい。

 体力もそうだが知略や度胸も身につけなくては。


「私、がんばるから」


「……もうがんばってるさ。だが……そうだな。一緒にがんばろう。君の幸せのために」


「……うん」


 繋がる手があたたかくて、アビゲイルはほっと息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る