第3話(最終話) 心は羽のように
やがて老健施設の人達数人が公園に現れ、辺りには探し人を見つけた喜びの声が溢れた。おばあさんはうなだれていたけど、それでもどこか安心して周りに身を任せているようだった。
歓喜の渦の中で、僕だけが置いてけぼり状態だ。その時、一人の中年の施設職員が近付いて来て、名刺を渡した。名刺には、「有料老人ホーム さくら苑 施設長山倉和巳」とある。
「私はさくら苑の施設長を務めているものです。この度は、入所者が徘徊しているのを見つけてくださり、どうもありがとうございました。もう少しで警察に届けるところでした」と施設長は頭を下げる。
「いえ、別に。僕はおばあさんのお孫さん達に協力しただけです」
すると相手は、怪訝そうな顔をした。「お孫さん? ああ、公恵さんの言うのを真に受けてはいけませんよ。孫の話は思い込みなので。子どものいない長男夫婦と同居していたんですがどうも合わなかったみたいで、うちの施設に来られたんです。でもいまだに事故で亡くなられた次男さんとそのちっちゃな子ども達の事を生きてるって信じ込んでいるんですよ」
僕は振り返り、歩翔と優里を探したが、二人の姿はどこにもなかった。
時計の針は、まだ真夜中にも達していない。
*
僕は次の日、職場に着いても昨夜の不思議な出来事で気持ちがざわざわ、ソワソワしていた。
あのリアルな男女は、おばあさんの孫の幽霊だったのだろうか? とてもそうは見えなかったけど。それに昨夜の山倉という施設長は、亡くなったおばあさんの孫の事を「ちっちゃな子ども達」と言っていた。昨日の二人は僕と同年代に見えたし、背だって高かった。幽霊の世界で成長するなんてあり得ないだろうし。それに僕には二人に心当たりがあった。
自分の席で、パソコンの画面をじっと見る。作ったばかりの僕の引継書のアイコン、『芝田雅紀・引継』の上には三年前に同じ仕事をしていた社員のアイコンがある。会った事はない。僕が来る前に異動で別な土地へ行っていたから。そのアイコンには『山岡歩翔・引継』と名前がついている。そしてさらにその上に三年前の日付で前任者のアイコンがある。『岡田優里・引継』と名付けられたアイコンが。
何なんだろう、これは。どうりで前日に彼らの名前に何となく憶えがあったはずだ。この前任者達はもしかしたらすでにこの世の人ではなくて、あの世からやって来ていたのではないだろうか? それを確かめるには、この会社で生き字引と言われている人に尋ねてみるのが一番だろう。
定時を過ぎると警備員室に行ってみた。定時過ぎにいつも警備員室で雑談を交わしている長谷部さんはここで二十年以上、もしかしたら三十年位働いている。
「長谷部さん、お疲れさまです。あの…僕の前に働いていた人の事で訊きたい事があるんですけど」
「芝田君? 初めて話すの聞いた。いやさ、いいんだけど、誰の事?」
「僕の前に引継書を作ってた山岡歩翔って人の事を、そしてその前に勤めてた岡田優里って人の事も」
「あー、あの人達ね。あの人達も君みたく毎晩遅ーくまで仕事してたね。ホント仕事好きと言うか何と言うか」
「好きで仕事してるわけじゃないんですよ。やらなきゃいけないからしてるだけで」
「あ、ごめん、ごめん」
「それで、彼らはその後、どうなったか知ってますか?」
「なんか芝田君、今日はいつもと違うね。迫力があると言うか」
「知ってるんですか? 知らないんですか?」
「ごめん。でも怒るなよ。山岡君の事なら知ってるよ。ここから異動になって
、一時は係長飛ばして出世とか言われてたけど断ったらしい」
「断った? なんでだろう」
「結婚して子どもがいたんだけど、なんでもその子どもが病弱だったらしい。定時に帰りたいから平社員でいいって。今は子どもも健康になって、三人の子どもと奥さんとでキャンプに行ったりしてるんだ。山岡君最近少しふっくらしてきててさ」
「え? 会ってるんですか?」
「いや、インスタグラムをフォローしてるんだよ。昨日は節分の豆まきのストーリーだった」
「はぁ。それで岡田優里さんの方はどうしてるかご存じですか?」
「彼女もここで三年頑張った後、異動になったけど、その後パートタイム勤務の希望があって午前中だけの勤務になってたよ。でもその後退職したって聞いてる。たぶんパートに変わったのも結婚したからとかじゃなかったかな」
すると今まで黙っていた初老の警備員が話に加わった。
「ああ、あの何年も前にいつも夜遅くまで残業してた女の子の事? ユーリちゃん。ユーリちゃんなら最近会ったよ」
長谷部さんが驚いていた。
「嘘? どこで?」
「娘の家の近くのホームセンターで会ったんだ。店員してた。なんでも結婚してダンナの実家の隣に引っ越したらしいよ。店員って言っても、インテリア・アドバイザーなんてたいそうな名札つけてたよ。ここにいた頃は残業ばっかりで顔色悪かったけど、肉付きが良くなって、それにすごく明るくなってて、娘の家のソファーを買うのに色々相談に乗ってもらったんだよ」
「へぇ。それはうれしい変身だね」と長谷部さん。「それで前任者達の近況は、こんなもんで満足かい?」
「はい」僕は答えた。つまり二人は元気で幽霊とは程遠いという事。「どうもありがとうございました」
オフィスの席に戻りながら僕は気が付いた。昨日の二人は僕と同年代に見えたし、痩せっぽちだった。長谷部さんや警備員さんの話していた二人の現在の様子とは違う。
結局昨日の出来事は、酔った僕の見た幻想だったのだろうか。そう考えると侘しい。
いや、きっとあのおばあさんの寂しさと僕の前任者達がここで働いていた当時の辛い心とがどこかで出会って生きながらのユウレイを作り出したに違いない。そして僕の目の前に現れたんだ。
自分の席のパソコンに向かい、引継書の三つのアイコンを見つめる。前任者の分が二つに自分のが一つ。いつかまたこれらのアイコンを開ける誰かのために分かりやすく三つを縦にきちんと並べておこう。
結局、僕は会社を辞めるというような暴挙には出ず、田舎の営業所へ春から行く事にした。三年間を無駄にしたと昨日あの時までは思っていたけど、誰かに出会うのはほんの一瞬だ。
――田舎はいいものよ――
そう言った、昨日のおばあちゃんの言葉が僕の心を羽のように軽くする。羽のようになった僕の心も、いつか誰かを救うためにさまよいだすのか。
そして引っ越しの準備は忙しそうだけど、今度の土曜日は出かける事にした。
入社試験の日に車窓から見たあの河原と土手。そこへ降りて実際に歩いてみようと決めた。
〈Fin〉
ほろ酔い幻想記/さまよう心 秋色 @autumn-hue
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