季節が巡ってまた出会えたら。

@ABCshrimp

巡り会い

雲一つない真っ青な空がどこまでも広がっている。日は照り、ジリジリと気温をあげていた。この『夏!!』と主張しているかのような天気に、思わず口角が上がっていた。

目の前のプールの水面はゆらゆらと揺れ、校庭からは野球部の掛け声が聞こえて、サッカー部が走る音も聞こえる。


「せんせー!終わったー!」

「っしゃーじゃあ今日はここまで!」


先生、と声をかけられプールの中にいる生徒へ大きな声で返した。


「先生、明日の部活は無しだっけ?」

「ええ?明日もあるけど。なに、サボりたいの」

「ちがうし!ちょっと遊びに行こうとしてただけだしー」

「それをサボりって言うんだろー」


女子部員が頬を膨らませ、「え~だって~」と拗ねる。それを見て男子部員が鼻で笑いながら言った。


「ゆうて遊びに行くとこなんてねぇだろ」

「それはそうだけどさぁ!海あるし、山あるし、駄菓子屋も公園もあるじゃん」

「んなとこ行き尽くしたっつーの!」

「あーあー俺たち華の高校生なのに遊び場がそれかよー!」


くそー、と地団駄踏みながらまたプールに飛び込んだ部員に「こらー上がれよー」と怒る気もない声で叱った。すると、自分の周りに集まってた生徒に声をかけられた。


「ねね佐藤先生ってさ、」

「ん?」

「めっちゃ都会から来たんでしょ?」

「あそうそう。東京だよー」

「いいなー!!東京とか行ってみたいー!」

「ええ?人混みばっかだし、いいとこなんて無いよ」


そう答えても、絶対嘘だ!!とあーだこーだ言っている。竹下通りでクレープやら、スカイツリーがどうとか、ディズニーに行きたいとか。ディズニーは千葉にあるけどな、とは言わないでおいた。なぜ、名前に東京がついているかは全国民の疑問だと思う。


小さい頃、地方にある祖父母の家で親戚みんなで暮らしていた。あの頃はよくいとこたちと朝から山に入っては日が沈むギリギリまで遊びほうけていた。

だからなのか、自分は大都会の喧騒と雑踏に囲まれながら暮らすよりも、山と海に囲まれて夜には星が瞬くこの島の方が好きだった。


きっとまだ見ぬ世界に憧れているのだろう、と思い口に出すことはせず「さ、部活は終わり!早く帰れよ」と生徒を諭し、職員室へ戻ろうとした。


「あ!先生!」

一人の女子生徒がなにかを思い出したかのように声をあげた。

「お、どうした?」

「先生ってさ、今年ここに来たんだよね?」

「そうだけど」

「だったらあれ、知らないよねえ」

ねぇ、と横にいた別の生徒と顔を合わせ頷いていた。そして女子生徒が向き直って真面目な顔で話し始めた。


「このお盆の一か月前ぐらいからね、お化けが出るの。」

「はあ?お化け??」

「そう!!おばあちゃんが一人でやってる八百屋さんあるでしょ?その目の前の海岸でいつからか出るの!男のお化けが!」

「ええ?誰かが海見てるだけじゃないの?」

「違うって!夜なの!わざわざ夜家出て海見に行く人なんていないし、その人声かけても微笑むだけなんだってよ」

「だから先生、あそこ夜一人で通んない方がいいよ!マジで怖いから!!」

あれ怖いよねえー!とだんだん生徒も集まってきて、例の幽霊の話題で盛り上がっていた。

みんな知っているんだなと思いつつ時計を見たら、いい時間になっていた。

他に仕事が残っていたので生徒に「先行くけど、鍵早くかけて職員室まで持ってこいよ」と声をかけてその場をあとにした。




ひぐらしの声も聞こえなくなった頃、窓の外を見るとあたりはすっかり暗くなっていた。椅子から立ち上がりぐーっと背伸びをした。

懐中電灯片手に教室を見回りながら誰もいないことを確認し、カーテンを開け、窓をしっかり閉めた。職員室に戻って散らかった机を片づけてから学校を出た。


自転車をギコギコ走らせながら新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。ここの海沿いの一本道は夜になると車も通らず、波の音が聞こえるだけだ。静かで、のどかで、素敵なところだ。



『夜になるとお化けがでる』

『八百屋さんの目の前の海岸』



ぼーっとしてたらふと、今日生徒たちが話していたことを思い出す。と、気が付けばその八百屋さんの前にいた。好奇心で来たわけではなく、家に帰るのにここの道を通るしかないのだ。


「やべー」

怖いわけではない。ただ、ほとんどの人が寝静まった時間帯に一人あの話を思い出して、しかもちょうどその場所にいる。正直に言えばかなり怖かった。


「....あんあんあんとっても大好き!!ドーラえーもんー!!!」

銀魂の銀さんのように怖いときはドラえもんの歌に限る!と思い、歌いながら帰ろうとした時。海岸の方で人気を感じた。


見てはいけないと思ったが、思わず振り返っていた。


「あ.....」


いる。男が。波打ち際に立っている。

こちらに背を向けているが、背丈や肩幅から男だとわかった。


ついさっきまで人気なんて無かった。いや、いつも無かった。この時間は誰もいないはずだった。突然現れたそれに気を取られ、足に力が入らなくなり自転車から転げ落ちた。


これは生徒たちが言っていた、


「お...ばけ..」


ハッとした。思わず口に出していた。

動きたいのに動けない。冷や汗を流しながらその場に座り込んでいた。せっかく小さい頃からの夢である先生になれたのにここで終わりか...と、絶望を感じていた。


ふと、視線を感じおそるおそる海岸の方を見ると男がこちらを向いていた。




「...え」




怖い、よりも先に綺麗だと思った。

銀色の髪は月明りを反射し、キラキラ光って見えた。

両耳についているピアスが揺れている。

男はニコッと笑って俺を見ていた。

そして一歩一歩近づいてきた。


「あ、えっと、おばけとかいってごめんなさ」

「や別に。おばけはマジだし」



あマジなのか。じゃあいいのか。



え?



「お化けなの!?しゃべってるし!!」

「ちょうるさい。そりゃしゃべるだろ!」

「いやだってお化け!!!しゃべった!動けないし!なにこれ!!」

「お前うるさいヤツだな!!動けないのはビビッて腰抜かしてるからだろうが!俺のせいじゃねえよ」


ほら、立てよ。と目の前のおばけは手を差し伸べてくれた。なんとなく、触るのを躊躇してたら痺れを切らしたおばけが舌打ちしながら俺の腕をがっしりつかんで起こしてくれた。見た目は自分よりもひょろいのに、想像以上に力が強かった。


「うわっ!!」

「なに、お化けに触るの怖いとか思ってたろ」

「いや!...まあそうだけど..お化けって触れるんかなって」

「あそ。触れてんじゃん」

「なんか思ってたのと違くてびっくりだわ」

「ははっ!こっちもびっくり。幽霊に普通にしゃべってくるやつなんて初めて見た」


そう言われて気づいた。俺は普通に人間としゃべるような感覚で話していて、なんだかこの男はお化けには見えなかった。


「あ、あのさお化けさん」

「やめろそれ....お化けって名前じゃないんだから...。お前はなんていうの」

「あ、ごめん...俺は佐藤凌太郎です。あなたは?」


するとお化けは少しだけ目を見開いて、すぐに微笑んだ。その顔がすごく綺麗だったのをよく覚えている。



「碧だよ」







碧と出会って2週間経った。

毎日仕事が終わった後に碧のところへ遊びに行くのが恒例行事となっていた。

最初碧は驚いていた。「幽霊怖くないわけ?てかビビってたじゃん」と聞かれたが、碧はやっぱりお化けには見えなくて、なんだか、初めて会ったようにも思えなかった。そりゃ怖かったけども、話してみたら全く怖くなくなっていた。

出会った次の日やその次の日、そのまた次の日に碧に会いに行ったら「おー」や「あ、来てくれたん」と言ってくれていたのに毎日会いに行ってると「また来たのか」「え暇なの?」とだんだんふざけるようになっていった。

まあそれもなんだか仲良くなれている気がして心地よかった。


俺と碧はこの2週間で色んな話をした。と言ってもほぼ俺が一方的に話していたけど。

都会生まれだということ。この島の学校につい最近赴任してきたこと。年齢や家族の話など、碧に俺のことを知って欲しくて聞かれてもないことも話していた。

碧は話を聞くたびに笑顔を浮かべてうんうん、とあいづちを打っていた。自分ばっかり話していたので碧の話も聞こうとしたが、「どうだったけなあ」「死んでから随分経つもんで忘れたわ」とそればかりだった。

心を開いてくれていないのか本当に忘れてしまったのかわからない。それでも今日もこれから碧のもとへ行くので少しずつ心を開いてくれたらそれでいいなと思っていた。



「碧~今日も来たよ~」

「お前、仕事以外は暇なの?恋人とかいないわけ?」

「いるわけないじゃん!俺この島来たの4月からだし?」

「あーまあそうだけどさ...東京にいた時とか」

「ええ....いたにはいたけど...この島に来る前に振られちゃった。いっつも振られるんだよなあ」

「ああそう。島に一緒に来るってのは....ないよなあ、女の子だもんな」

なかなかこんな島に移住しないもん、と笑いながら砂で遊び出す。


「...碧は」

「ん?」

「こんな島って言うけど、碧はこの島で生まれたの?」

またはぐらかされるかと思ったが、碧は貝殻をいじりながら黙って下を向いたままだった。そして、ふぅ、と一息つくと顔を上げて俺の顔を見てきた。

夜空の星が反射しているキラキラ輝いている瞳に見入っていたら、見すぎだよ、と立ち上がって額をぺちっと叩かれた。



「この島で生まれた」

初めて碧のことを聞いた気がする。

「この島で生まれて、この島で育った。高校卒業した瞬間に島出てったけど」

「そうなんだ.....」

「なんだよ。そりゃこの島で育ったから死んだ後ここに帰ってきたんだろ」

「や、碧のこと聞くの初めてだなって」

そう言うと碧は少し驚いた顔して、あそうか。とつぶやいた。


初めて碧のことを知れて嬉しかったし、もっと知りたいと思った。碧は昔のことは忘れたと言っていたけれど、全て忘れているわけではないことくらいわかっていた。言えないことがあるのだろう。



死んだ後、碧は何を思ってこの島に来たのだろう。なぜ、夏にしか現れないのだろう。



「てか結構ここで話してるけど時間大丈夫なん?」

「え!!もうこんな時間!」

腕時計を見ると短針はすでに12を指していた。仕事を終わらせてからここへ来たものだから随分遅い時間になっていた。


「んーそろそろ帰ろうかな~」

「明日も仕事?」

「ん?明日は午前だけ部活あって....午後は家帰ってごろごろしようかなって。でも夜になったら来るから」

「あ、いや」

明日も来ることを伝えた瞬間、碧は少し困った顔をした。

「そんなに毎日来ても話すことないだろ。あと、忙しいだろ、先生って。だからそんな来なくてもいい」

「え、迷惑?」

「ちげえって。お前を心配してんの」

「なんで?」

「お前ね、毎日毎日仕事あるのにこの時間まで俺のところにいて、結構疲れた顔してんぞ」

ほら、隈できてる。と碧は自分の目元をトントンと叩いて見せた。

気が付かなかった。隈ができるほど疲れていたとは。

いや、寝不足であったとしても精神的には疲れていない。ここ最近はあまり疲れるようなことがなかった。


碧に会ってるからかな。


「大丈夫だよ~まじで疲れてねえって」

「...お前」

「碧に会いたいから来てるの。俺が好きで来てるから来れる間は来させて」

そう力強く言うと碧はうーん、と唸りながらわかったとだけ言った。

「じゃあ、帰るね。また明日」

「ああ......おやすみ」

手を振り、自転車に乗って家へ帰る。明日も会えるのが嬉しくて仕事も頑張れそうだ。

よし!と小声で自分に喝を入れ、ペダルを力強く踏み込んだ。







「ごめん!佐藤先生これも頼める?」

「はい!分かりました」

先輩から渡された資料に目を通す。午前中の部活を終え支度をして帰ろうとした時「一緒に確認しながら進めたい」と頼まれたのでまだ学校にいる。

「ほんとごめんね~帰るところだったのに」

「全然大丈夫ですよ!むしろ任せてもらえて嬉しい限りです!」

「若くて仕事もできるし生徒からも信頼がある。頼りになるよ~」

先輩が「ほらお菓子あげる」とチョコを渡してきた。頭を使うときにもってこいだ。ありがたく受け取り、口に入れた時ちょうど鍵を返しに生徒が職員室へ来た。お菓子を食べているところを見られていたようで、こちらへ駆け寄ってきた。

「あー!先生ずるい!私も欲しいー!」

「ダメでーす。先生は仕事してるから特別でーす」

そう言い、もらったお菓子を全て引き出しにしまう。えー!なにそれ!と言ってるが聞こえてないふりをした。


「あ、先生これ鍵!あと明日からお盆だけど部活ないよね?」

「ありがとう!明日からお盆終わるまで全部ないよ~」

「はーい。みんなにも伝えちゃってもいい?」

「いいよ~お盆明け最初の日は.....この日で。時間は今日と同じで朝早いけど、よろしくな」

「分かりました。じゃあさようなら~」

さよなら、と手を振ると生徒も元気よく手を振って職員室を出た。


「佐藤先生は本当に人気者ですね~」

先輩が俺と生徒のやり取りを見てニコニコしていた。そう言われると照れてしまってええ、まあありがたいです、としか言葉が出なくなる。

「ここに赴任してから3、4ヵ月でこんなに懐かれるのって、才能だよ」

「いやあ....そんなこと」

「佐藤先生は明るくて優しいから生徒たちも心開いてくれて、俺たちも嬉しいよ〜みんな田舎っ子だからさ。最初は都会から来る先生をちょっと怖がってたんだよ」

「へえ....でもみんな初めて会った時色々話してくれて、俺の方が助けられてますよ」

ほんと、生徒のおかげですよ、なんて話をしていてふと明日からのお盆期間が気になった。


「そういえばお盆期間は丸々休めるんですか?」

「そうそう。教職にしては珍しいのかも。島だからねえ~生徒も少ないし部活も大会に出るほど力も入れてないからね」

「へえ~俺、丸々貰ちゃってすみません」

「いいよいいよ。来る人は来るし休みたい人は休むってだけだから。そこらへん緩いよ~」

ここの島の人は本当に懐が広い。東京という狭い都会で生きてきた自分にとっては天国のような場所だった。


「あ、佐藤先生って幽霊くんに会った?」

突然先輩がこう言ったもんで口に含んだお茶を噴き出すところだった。

「え、え?幽霊ってあの?」

「生徒から聞いたでしょ。あいつら噂とか好きだからな~」

「......あの八百屋前の?」

「そう。俺は見たことないし、聞いたことすらないけど目撃者は多くて」

会ってみたいな~と嘆く先輩。俺、会ったことあります、なんなら毎晩話してます。とは言えなかった。

傍から見ると面白い話だし、これがもっと面白いことなら先輩!俺知ってます!一緒に見に行きます!?なんて言ってたと思うが、このことはなんとなく誰にも知られたくなかった。


「というか、いつからそんな噂が流れてたんですか?」

「え?いつだったかな~.......3,4年前とかかな」

「結構最近なんですね」

「.....まあ。確かに」

そう言うと先輩はうつむいてしまった。何か余計なこと言ってしまっただろうか。

そう思っていた瞬間すぐ笑顔になり、「さ、後はやっとくね。ありがとう。よい休日を」と俺から資料を取り上げ、ニコニコして背中を叩かれた。さっきの妙な空気は気のせいかな、と見なかったことにしてじゃあ、お疲れ様でした!と職員室をあとにした。





家に着くと溜まっていた疲れがドッと押し寄せたような気がして、着替えもせずベットへ倒れこんだ。生徒は大丈夫だろうか、お盆休みではしゃぎすぎて怪我をしなければいい。先生方もゆっくり休んでほしい。

親に連絡しなきゃ、心配してるだろう。友達からメッセージが届いてたな。返事、しないと。



会いに行かなきゃ。









「碧!来たよ~」

夜。いつもの時間。小走りで砂浜に駆け寄るが、誰もいない。

「あれ、どこー?」

いつもいる場所に行ってもいない。どこにいるんだろう。買い物?いやいやそれはない。りょうたろう、と名前を呼ばれた気がしてどこからかとあたりを見渡すと、海。そこには碧がいた。ひざ下まで海に浸かって。


そして、体は透き通っていた。


「あ.....」

「じゃあな」

碧はそのまま俺に背を向けて水平線に向かって歩き出した。


「待って!碧!!」







「待って!!!」

手を伸ばした瞬間、自分の体が宙に浮く。

そしてゴツン、と鈍い音がしてベットから落ちて頭を打ったことに寝ぼけながらも気づいた。痛みにうめき苦しみながら、目を開ける。

外は明るかった。

「んだよ夢か.......」

はあ、とため息をついてスマホを手に取る。

「え朝?」

時間を見ると日付は変わっており、翌日の朝どころかすでにお昼前になっていた。体から血の気が引いた。



『また明日』

『おやすみ』



「.......約束破った........」

最低だ。髪の毛をかきむしってでかいため息をつく。碧は、昨日ずっと待っていてくれたのだろうか。なんて最低なんだ。今日は行かなきゃいけない。必ず。

二度寝なんかするか、と起き上がって夜まで家の片付けをしようとここ数日で散らかった部屋の掃除を始めた。





日は暮れ、あたりは星に照らされていた。自転車を飛ばしながら、途中で商店によって買い物をした。

いつもの砂浜に着くなり「碧!!」と大声で叫ぶ。が、周りをどれほど見渡しても碧はいなかった。


まさか正夢?

そんなことがあってたまるか。正夢にはさせない。お願いだから消えないで、消えさせるものか。


「碧!!!」

「うるせー!」

ハッとして振り向く。すると波打ち際でしかめっ面をしている碧がいた。


体は透けていなかった。


「そんなでかい声出さなくても聞こえてんだよ。お前ただでさえ声大きいんだからもうちょっと静かにしろ。周りに怪しまれんぞ」

「.........」

「......おーい」

「...碧!」

駆け足で寄って思わず抱きしめる。力強く。

彼に触れることができた。まあ最初から触れたけど。

骨ばった体だったけど男らしさもあった。ただ、そこに人のぬくもりは無かった。

碧はもうこの世の住人ではないと突き付けられたような気がした。


「おまえ、なに」

「碧が、消えちゃう夢見た」

「............」

「俺が碧、って呼んでんのに碧は笑ってじゃあなって。俺怖くて。ごめん。昨日約束破って来れなくて。もう絶対約束破ったりしない」

「おい」

「だから、お願い、ねえ」

「離せ」

「碧」

「なあ!」

「俺の前から消えないで......」


自然とその言葉がこぼれた。

会ったばかりの、しかもお化け相手に何を言ってるのだろうと冷静に考える自分もいる。

そしてお化けを抱きしめる俺は傍からどう見えているのだろう。頭がおかしい人に見えているだろうな。でもそんなことはどうでもよかった。碧にだけ伝わればいいんだ。


グッとまた一層力を込めて抱きしめると「う、苦しい、死ぬ.....」という声が聞こえ、思わず離す。

「ご、ごめん!」

「お前、自分の力の強さ考えろ....」

「ごめんって!てかお化けって痛覚あんの?」

「うるせーな......とにかく苦しかったんだよ....」

「それはごめん」

「.........ははっ」

ちょっとした言い合いをしていたら突然碧が笑い出す。

「碧?」

「あはは!バカみてえ。死んでんのに苦しくて死ぬ~って言っちゃったよ」

「え、ええ?」

「あ~おかしいわ。お前もバカ言ってんじゃねえよ。昨日のことはいいんだよ。どうせ疲れて寝て来ねえなって思ってたから、謝んなくていい」

俺の頭をくしゃくしゃっと撫でて、口を大きく開けて眉毛をハの字にして笑っていた。それはかわいい笑顔で年相応だった。


「あ、お前いいの買ってきてんじゃん」

「え?」

「それ!花火だろ?」

「ああ!碧とやりたくて買ってきたの」

「いいセンスしてんね。やろうよ」

碧はそう言うと袋を開け、さっそく火をつけた。

ボッと音がして一気に燃えはじめた。碧が持ってる花火はまたたく間にいろんな色に変わり、すげー!久しぶりだ!とはしゃいでいる。


「お前もやれよ!」

「あ、うん。じゃあ俺これ」

火をつけると光とともに熱が伝わる。凌太郎にとっても久しぶりの花火でテンションが上がる。2人で走り回り、光で文字を書いたり、何書いてるでしょうか、なんてくだらないゲームもした。


花火で子供のようにはしゃぐ碧を見てたまらなくいとおしいと思った。スマホを取り、カメラを向けると碧がこちらを見て、あ!と言い取り上げられてしまった。

「あ!なにすんだ!」

「俺撮るの禁止!代わりに撮ってやるから」

「は!?別にいらねー!自分のスマホに自分の写真とか!」

「いいじゃん思い出~」

そしてスマホを俺に向けてきて撮られる。自分の写真なんかいらない、碧のその笑顔の写真が欲しいんだ。


「幽霊なんか撮るもんじゃねーよ」

一瞬心が読まれたかと思って動揺しているとこちらに近寄ってきて線香花火を渡され、また言われた。


「幽霊は撮っちゃダメ。ご法度なんだよ」

「えそうなの?」

「そうでーす。てことで次これな!」

ライターを持ってキラキラした目で見つめてくる。その目に惹かれて自分も笑顔になった。火をつけるとさっきとは違い、パチパチとその場で光を放っている。


「.....小さい打ち上げ花火みたいね」

「うん」

「俺昔っから線香花火が一番好きで。綺麗じゃん。他の花火よりおとなしいのに他より切ないような気がしてずっと心に残る」

「うん」

「........なあ、」

「なあに?」

線香花火を見つめる碧の横顔を見る。その顔はさっきの笑顔とは打って変わって、どこか切ない顔をしていた。

「お前はずっと変わらずにいて」

「.....どういうこと?」

「お前はそのまま成長して欲しいってこと。俺からの願い事」

「なにそれ。もう大人だけど」

「......忘れるべきことは忘れるんだよ」

「...なにそれ?」

「ん?これも俺からの」

お願い、と碧が言った時、それをまるで合図にしたかのように火の玉が落ちた。


「線香花火って消える前にお願いしたら叶うんだって」

「そうなの?」

「んーまあたぶん?」

たぶんかよ!とつっこむと切ない顔はすでに消えていて、笑顔に戻っていた。

さ、終わり。そろそろ帰んなー、と碧は後片付けを始める。テキパキとこなしており、手慣れているなと思ってると水が入ったバケツを渡してくる。

「これ悪いけど、どっかで捨てて」

「うん。持って帰って処分する」

「ありがとな」

碧から差し出されたバケツを受け取る。


その時碧の手は冷たく、俺の手をすり抜けていった感覚がしたのを少し冷えた夜のせいだと思うことにした。










あの後家へ帰ってすぐ眠りについた。

次の日の朝、目が覚めスマホを見ると通知が1件。


“おはようございます。うちの学校の生徒が怪我したそうです。至急学校まで”


何してんだか、大丈夫なのか、と心配が先に出てきた。

急いで着替えて学校へ行き、事情を聞く。どうやら海に遊びに行った際に防波堤で足を滑らせ転落したようだった。幸い、水泳が得意で海に落ちた後落ち着いて陸まで上がったらしいが、足を骨折してしまったようだった。

そこからは、もう大変だった。

小さな島なのでこの話はまたたく間に広がり、防波堤に問題はなかったのか、なぜ落ちたのかなど話を聞きまくり、生徒の家を一軒一軒電話をして改めて注意するようにと呼びかける日々が続いた。



そんな日々が続いてしまい、あまりにも疲れてしまって夜帰る、寝る、朝起きてまたすぐ学校へ行くを繰り返しているうちに気が付けばお盆もすでに終わろうとしていた。



「佐藤先生、お疲れ様です」

「お疲れ様です~」


夜の7時だというのにあたりはまだ少し明るかった。目を擦り、大きなあくびをしていると隣にいた先輩が笑った。

「本当にお疲れ様でした」

「本当に疲れましたねえ~」

「ですよねえ」

まあなんとかなってよかったよ、と言いながら先輩は荷物をまとめた。

怪我をした生徒は友達とふざけあっていたら足を滑らせ、落ちたようだった。その友達も呼び出し、みっちり叱って事なきを得た。

はあ、とため息をつくと「あ!」という声が聞こえた。


「どうしたんすか」

「今日、16日?」

「そうですよ...もう今日でお盆終わりかあー」

そう伝えると、ああ...と力なく言い椅子に座り込んで頭を抱えてしまった。なんだろう、聞いていいのだろうか、と悩んでいたら先輩が口を開いた。

「今日、命日で」

「え、誰の」

「友達」

そう聞いて、気の利く言葉が出なかった。気にすることなく先輩は続ける。


「そいつさ、高校出てすぐ島出てったんだ」

「やっぱりみんな就職とかで島出てしまうんですね」

「うん、そいつもそれの1人で。東京に行ったって言ってた。島を出てしばらくは連絡とってたんだけどある日から急に音沙汰なくなってさ」

「仕事が忙しかったとかですかね」

「......そうだったのかね。今となってはなんでかはわからん。けど連絡なくなった半年後かな。でも俺はメールを送り続けてて...それにそいつの母親から『亡くなりました』って」

「...なにがあったんですか」

「わかんねえ。けど噂で聞いた話によると、好きなやつができてそいつのせいで自殺、したとか」

「.............」

「俺としては訳わかんなくて。そんなやつじゃなかったんだよ。この島の高校生にしてはピアスとか髪染めたりでチャラついてたけど........見た目がチャラついてる割に礼儀はちゃんとしてるから大人からも好かれて。いつも周りに人がいたしモテてたんだよ」

「そうですか..」

「うん....出席番号が前後でさ、仲良くなったんだよ。名前は碧って言うんだけど、綺麗だよなあ。海好きなあいつによく合ってるんだよなあ」



何度も呼んだ、名前だった。



「あの、」

「うん?」

「その、幽霊って.........」

「俺、海辺の幽霊って碧のことなんじゃないかって思ってて。亡くなって次の年にその噂聞くようになったんだよ。何度か行ったよ。朝も夜も。だけど俺には何も見えなくて、今年は行ってない」

「え.........」

「会いたかったなあ、碧.....」

先輩が目元を覆って鼻声で碧の名前を呼ぶとうつむいてしまった。


碧、お前に会いたい人いるよ。めっちゃ愛されてるじゃん。

なのになんで先輩の前に姿を見せないんだよ。



そう思いつつ、俺は自分にしか姿を見せないことを知りどこか安堵していた。



「今日が命日なんですか?」

「うん」


もしかして、だから花火をしていたあの時。碧に触れるようで触れなかったんだ。


消える合図だった。



「あの、明日休みとってくださいよ!そいつに会いに行ってください」

「でも...」

「大丈夫ですって!他の先生方も絶対いいって言いますし、俺が何とかしますよ。仕事のことは任せてくださいよ」

「.....わかった。佐藤先生、ありがとう。みんなに今から連絡入れてみるよ。本当にありがとう」


ああ、お礼を言われる筋合いはないのに。俺は生きている頃の碧を知ってる先輩に碧のことを言わずに独り占めしようとしている。


自分だけが知っていればいい。

バチが当たりそうだと思った。それでも教えたくなった。



「今日は早く帰って休んでくださいよ。戸締りやっときますね」

「わかった。ありがとね」

そう言うと先輩はカバンを持って職員室から出た。

しばらくして、自分も荷物をまとめた後戸締りをして学校を出た。




自転車をこれでもかと漕いでいつもの場所へ向かう。

今日が命日ってことは、もしかしたら今日が最後かもしれない。

直感だったがそう思った。



いつもの場所に着くなり、自転車を放り出し砂浜へ走った。

そこに碧はいなかった。

「碧!!」

急いできたものだから息が整わず、呼吸が乱れる。でもそんなことは気にしていられなかった。彼に会いたい。


「碧!!ねえ!」

何度も呼んだ。息がだんだんできなくなってきた。何度も何度も呼んでいるから。

砂浜を走りながら叫んでいると足裏に痛みが走って、思わずこけてしまった

見てみると、足裏の皮膚がぱっくり切れていて血が出ていた。後ろを見ると自分の血で足跡ができてしまっていた。




「碧........」

なあ、もし見ているならさ、俺はずっとここにいるよ。

探しているなら足跡をたどって来てよ。


俺の話を聞いて笑う顔、月の光にあてられ輝いた髪の毛、キラキラした瞳。

もう碧の全てが俺は好きだよ、いとおしくてしょうがないの。涙と一緒に思いがあふれる。





「なにしてんの」


頭上から聞きたかった声が聞こえた気がした。涙をぬぐう手を退け、目を開けるとそこには碧がいた。心配そうに俺を見つめていて、体は半分は透けていた。


「..........碧?」

「そうだよ。お前が呼ぶから、寝てたのに起きちゃった」

「碧」

「お前怪我してるじゃねえか。ガラス?たまに流れてくるからなあ。手当しろよ」

「碧」

「自転車も乗り捨てただろ。打ちどころ悪くてちょっと壊れてたぞ。かわいそうだから直してやれよ」

「好きだよ」

そう言うとしゃべり続けていた碧は口を止めた。俺は起き上がって碧と向き合う。



「好き。大好きだよ、碧」

「ごめん」

「好きなんだよ。誰かをこんなに好きになることなんて今までなかった。ずっと碧のことを考えてる」

「それはダメだから」

「碧の友達って人、いたよ。俺の先輩なんだけどすごくいい人で碧に会いたがってたよ。会ってやれよ。なんで俺のところに来たの?」

「.....ごめん」

「俺、碧に会っちゃって、もう忘れられないよ。好きになったから。俺とずっと一緒にいて欲しいって思ってるんだよ。消えないで、俺のそばにいてよ」



「失恋だったんだ」



そうつぶやいた碧は俺の横を通り過ぎ、海の方へ歩き始めた。夢で見た光景とよく似ていて、思わず手首をつかむとするりと綺麗にすり抜けた。

「正夢になっちまうな」

碧はふっと笑うと再び歩き出した。


「俺がなんで死んだかって聞いた?」

「.......好きな人のせいって」

「ははっ間違ってはねーけど、女の子には困らなかったんだなこれが」

「それは」

「男を好きになったんだよ」

「....そっちの方が妬けるわ」

本音が漏れる。碧が文字通り死ぬほど愛したのは、男。顔も名前も知らない自分じゃない男だという事実がナイフのように心に突き刺さって胸が痛かった。


「その男には一回しか会ってないんだ。一目惚れだった。困ってる俺を助けてくれたんだよ」

波の音がうるさくてところどころ聞こえない。


「その助けてくれた男に惚れた俺は何としてでももう一度会いたかった。手がかりは名前だけ。それでも会いたかったんだ。別に付き合いたいとか抱かれたいとかそういうんじゃなくて、ただお礼を言いたかった。友達に、なりたかった」

碧は、優しい顔をしていた。ここにはいないその男のことを思っているんだろう。

「どうしても会いたくて、俺はあらゆる手を尽くした。色んな人脈を作って挙句の果てには探偵事務所にお願いしたんだよ。まあでもそこがヤバイやつらが集まる連中でさ。そんで2、3年かけてやっと見つけたんだ。けど話しかけなかった。隣に女がいたから。手を繋いで結婚の話なんかして、幸せそうに歩いてた。そんなの見せられたら出る幕なんてない。たくさん恋愛してきたけどこんなに胸が痛くなるのは初めてだった。運命だって勘違いして、仕打ちがこれだった。あの男はなんも悪くない。ただ俺が勝手に好きになって勝手に行動しただけ」

「その後だったかな~探偵事務所に金払ったのに『足りねえだろ』って言われてよ。いやいや割といい額払ったんだよ?なのにボコられて財布取られて。貯金ももうなかったからマジでどうでもよくなった。一文無しでもう全部捨てちゃえ!ってなって飛び降りたんだよ。勢いだった。どうせなら海がいいって思ってさ.....だから海が見える崖でこう、」


俺は碧を後ろから抱きしめた。するとずっとしゃべり続けていた碧の口が止まった。かろうじて触れることができたが体温はなく、まるでそこに存在していないようだった。

「碧」

「なに、まだ終わってない」

「もういいよ」


もういいんだよ。その気持ちを込めて頭を優しくなでた。

「辛かったんだよね。辛いね。ごめん。もう大丈夫だから」

「りょうたろう.......」

「うん。俺は碧のこと大好きだよ。だからもう大丈夫」



きっと碧はその人にずっと未練があったんだろう。だから毎年毎年こうやって姿を見せてるんだろう。俺はその人の代わりにはなれないけどその人の代わりに愛することはできるよ。



「でもなんでこの島に?」

「....気がついたらこの島に帰って来てた。魂が流されたとか?ここに帰りたかったんだと思う」

「そっか.....碧、俺この島に来れてよかった」

生徒はみんな元気いっぱいで、先生もみんな優しい。島の人は暖かくて朗らかでいつも元気をもらってる。それに、碧に会えた。




「碧、愛してるよ。生まれ変わったら絶対一緒にいよう」



そう伝えると、碧は俺に向き合った。そして涙ぐんだ目でとびきり優しい顔で笑った。



「そうやって言ってくれて、ありがとう。愛してるよ俺も」



唇を重ねた。それがキスだと気づいた時にはもう碧の姿はなかった。

時刻は、12時を回った。












「碧ってやつのところ行けました?」

「おかげさまで墓参り行けたよ。ありがとな」

碧がいなくなってから二日後、先輩にそう聞くと穏やかな顔で頷いた。



なんとなく碧の過去を聞くと、彼は島生まれではなく東京生まれであること。ひどく荒れた生活を送っていたらしく、高校受験を控えたころその生活が限界を迎え祖母のいるこの島へ引っ越して来た。ヤンキーのような見た目のせいで最初の方はみんなからおびえられていたが、成績は優秀で人当たりもよく誰とでも話せる彼はすっかり島の人気者になったそうだった。そして、高校卒業と同時に親元へ帰るためにまた東京へ島を出た。


島生まれでなかったことに驚いたが、あの風貌をみるとなんとなくそうだろうなと思った自分もいる。荒れた生活というのは親が原因なのか別の問題があったかはわからないが、そこまでは追及しないことにした。





そんなこんなであっという間に夏休みは終わった。明日から元の生活に戻るのか〜授業とか考えなきゃな、と頭をひねらせながら自転車を押して歩いていた。


碧と出会った海岸に差し掛かった。

死人に恋するなんて自分も変わってると思う。ただ、生きていようが死んでいようが碧という人を好きになったのには間違いなかった。


この先、俺は碧以上に愛せる人を見つけられるのだろうか。



「おや、佐藤先生かい?」

話しかけられ、ぼーっとしていた俺は驚いて飛び上がってしまった。後ろを向くと海岸の目の前の八百屋さんのおばあちゃんだった。

「びっくりした~!おばあちゃん!全然姿見せないから心配したよ!元気してた?」

「そりゃあもちろん。畑仕事したり店にいたりで大忙しよ」

「そっかあよかった~」

じゃあ俺はこれで、と行こうとすると思わぬことを言われた。


「碧と一緒にいてくれたのかい?」

「え」

「あの子ずぅーっとここにいたでしょう」

「おばあちゃん、見えてたの」

「見えないけどねえ、あの子がいる気配は忘れられないからねえ。大切でかわいい孫だもの」

にこにこ笑いながらおばあちゃんはそう言った。そして俺に近づいて話を続ける。


「あの子ね、寂しがり屋なのよ。学校が休みでもよくそばにいてくれたのよ。店の手伝いもしてくれてね。重いものも持ってくれたり本当に優くていい子だったのよ」

「おばあちゃんの孫だったの?」

「そうよ。あの子が亡くなってから毎年お盆になるとこの海にいる気がしてね。盆提灯を吊っていたからかしら。探したこともあるけど私には見えなくて。でもいつも寂しそうな気がしたわ。でも今年は違ったの。楽しそうでどうしたのかしらと思ってみてみるとあなたがいたのよ。碧、碧、って名前を呼んでいたから碧はここにいるんだって安心したのよ。楽しそうで本当によかったわ」


おばあちゃんはそこまで話し、俺の顔を見て笑った。


「そんなに泣かないで、きっと碧は楽しかったのよ」


俺はその言葉とともに顔を両手で覆って泣いた。最初の涙がこぼれてしまうともう止まらなかった。おばあちゃんはそんな俺を優しく抱きしめて背中をさすってくれた。


「碧はあなたのおかげで未練がなくなったのね、ありがとう。今度碧に会ったら友達になってあげてくれる?」

「うん.........友達になるよ....俺碧のこと大好きだから....」

「きっと碧はあなたを見つけるわ。一緒に生きたいと思ってるわよ」

「次会えたら.....絶対そばにいるよ、ずっと」

「ありがとうねえ。あの子のことを愛してくれて」



俺が泣き止むまでずっと背中をさすってくれていた。その手は俺の頭を触る碧の手とよく似ていてとても優しかった。
















3年ぶりの東京は懐かしい思いより、苦い思い出がよみがえってきて辛かった。せっかくことから逃げられたと思ったが、俺はどうしたってこんな状況からは逃げ出せないようだ。

東京から遠く離れた島で3年間過ごしてきたせいで余計にここの空気が悪く見える。


不意に電話が鳴り、出ると男の罵声が聞こえる。何を言ってるかわからなかったが聞く気もなかったが、どうせ早く金をよこせと言ってるんだろう。

どうせババアから金もらってんだろ、と言われ島にいる祖母の優しい顔が浮かんだ。電話先の男にどうしようもないぐらい腹が立ちぶん殴りたかった。


なんでこんなことになったか覚えていない。気付いた時にはこんな人生だった。

俺は普通に大学に行って、普通に就職することはできないのだろうか。こんな人生が続くなら早く死んだ方がマシだろう。

ぼんやりとそんなことを考えていたら派手に人にぶつかった。いってえな!と怒鳴ったとたんに後悔した。見上げると、ぶつかった相手は明らかに自分より年上でスーツを着ていた。ただ、首元にはタトゥーが見えた。それだけではなく、雰囲気からもただものではないとわかる。いわゆるヤクザだった。逃げようとするとあっけなく首根っこをつかまれた。


「おい兄ちゃん。なんでなんも言わねえで逃げんだ?ぶつかったのはお互い様だからこっちに来て話そうや」

俺をつかむ強さが明らかに変わった。男の目は確かに殺意を向けていた。あ、殺されんな、と思った時だった。




「暴行!!警察!!!!」




バカみたいにでかい声が響いたかと思うと、街を歩いていた人たちが一斉にこちらを見る。するとスーツの男は軽く舌打ちをし、そそくさとその場を立ち去った。

急な展開に呆然としていると先ほど声を出した男がこちらへ駆け寄ってきた。


「ねえ君!大丈夫?」

ほりの深いはっきりとした顔立ちの黒髪男が俺に手を差し出してきた。


「.....大丈夫」

「よかった~!もしかしてヤバイやつ?って思ってつい叫んじゃったよ」


はっはっは、と笑いながらその男は俺の手を取ってひっぱりあげる。力が強くて、よろけた俺を片手で受け止めた。



腕に触れた手が熱い。

その顔を見てさらに体温が上がった気がした。



「君、未成年?家出?」

「はあ?どこ見たら家出少年に見えんだよ。18だよ。高校卒業したて」

「え!じゃあタメじゃん!!どこ高なの?」

「言ってもわかんねーだろ。とにかくありがとう、助かった」

火照った体温のせいで早口になってその場を逃げようとした。するとその男は俺の手をつかんで止めた。

「なに?」

「名前は?」

「え、言いたくねえけど」

「じゃ、俺の名前教えとくわ!凌太郎!佐藤凌太郎ね!」

何言ってんだよ、と手を振り払おうとした時「凌太郎~なにしてんだよ~」と呼ぶ声が聞こえた。俺が振り払うよりも先にそいつは手を離れていった。


「わりい!急いでたんだった!!今日入学式でさ!あ、俺じゃなくて友達のなんだけどバイクで行こうかなって言ってたから載せてもらっちゃお~って思っててそのあとご飯行こうってやつね!だから」

「凌太郎お前早くしねーと置いてくぞ!」

「待って行くから!俺、今スマホ壊れてるからアレなんだけど今度会ったら連絡先交換しようぜ!じゃ、またな!!」

そう言って男は手を振りながら人混みの中へ消えていった。早口でしゃべって駆け足でどこかに行ってしまった彼はまるで嵐のようだった。


ただ、自分みたいなどうしようもない人間を助けてくれてた。明るく話しかけてくれたり、優しそうな顔で触れた手はしっかりしていて、フラフラしていた自分を繋ぎとめてくれそうな力強さが輝いて見えた。




もう一度、会いたい。

会った時は友達になろう。今日のお礼も言いそびれたからちゃんと伝えよう。




「佐藤凌太郎.....」




そいつの名前をつぶやくと心に火がついたように熱くなり弾けだした。それが恋心だと察し、自分もまた東京の人混みの中へ紛れていった。









巡り会い___離れていた者同士が思いがけずまた出会うこと

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季節が巡ってまた出会えたら。 @ABCshrimp

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