かつて勇者だった――。

夕藤さわな

第1話

「国王様、王妃様、お下がりください! まもなくこの部屋にも侵入、者……っ、が……!」


 最後まで言い切ることなく兵士が床に崩れ落ちたのは首の後ろを剣の柄頭つかがしらで叩かれて昏倒したからだ。カットラスと呼ばれる海賊がよく使う剣だ。気を失った兵士をまたいで国王と王妃の寝室になだれ込んできたスケルトンたちもまた、両手にカットラスを握りしめていた。


 王都からいくらも離れていない港にボロボロの大きな海賊船が現れたのは夕方のこと。海が夕焼けで血の色に染まる頃だった。下船したスケルトンの大群は逃げ惑う市民には見向きもせず、真っ直ぐに王都を目指し、王城を目指した。

 勇者一行によって魔王が倒され、平穏が訪れて五十年あまり。魔物の襲来など経験したことのない兵士たちは次々と昏倒させられ、王城はあっという間に制圧された。寝室で休もうとしていた国王と王妃もまた、すべもなくスケルトンたちに捕らえられたのだった。


「何が目的だ」


「誰だか知りませんがこんなことをしてただで済むと思っているのですか」


 四方八方から伸びるスケルトンたちの白骨化した手に手足を掴まれ、ベッドに押さえ込まれた国王夫妻は、それでも毅然とした態度で尋ねた。大人二人が両腕を広げて横になってもゆったりと余裕のある、国王夫妻にふさわしい大きなベッドだ。


「お久し振りね、ヴァンサン、サンドリーヌ。誰だか知らないだなんてそんな寂しいこと言わないで」


 そんな二人を見下ろしたのはスケルトンに抱きかかえられた老婦人。黒いドレスをまとい、黒く長いベールを頭から被っている。いつから喪に服しているのだろう。黒いドレスも黒いベールもずいぶんと古びていた。

 老婦人を睨み付けた国王と王妃だったが痩せ細って皮と骨だけになった手が握りしめている杖に気が付いた瞬間、ハッと目を見開いた。


「その杖……もしかして、あなた……アデル、なの……?」


「ああ、良かった。覚えていてくれたのね、サンドリーヌ」


 震える声で尋ねる王妃に老婦人は嬉しそうに言って自身を抱きかかえているスケルトンの頬を撫でた。スケルトンはカラコロと骨を鳴らしながら身をかがめ、そっとベッドに――国王と王妃のあいだに老婦人を下ろした。


「ええ、そうよ。魔王との最後の戦いで瀕死の傷を負い、あなたとヴァンサンに魔王城に置き去りにされた白魔道士のアデル」


 被っていた黒いベールを上げ、顔をあらわにした老婦人は目じりに皺を寄せ、にこりと微笑む。


「かつては白魔道士だった、と言うべきかしらね。節操なく読み漁っていた魔法書の知識がこんな風に役に立つなんて思わなかったわ」


 白魔道士は回復や呪いの治療を行う白魔法を使う者たちだ。死者を操る魔法を使うのは闇魔導士――その中でも死霊使いと呼ばれる者たち。

 まとった喪服も、元は人間だったのか魔族だったのかもわからない骸骨を操るさまも、今の老婦人は完全に死霊使いだ。白魔導士ではなく死霊使い。


「……何を、しに来たんだ」


 強張った表情の国王に老婦人は悲しげに眉を下げた。


「そんな怖い顔をしないで、ヴァンサン。魔王を倒すため、勇者一行として共に旅をし、戦った仲間が五十年振りに会いに来たのよ? もっと歓迎してくれてもいいじゃない」


 左手の甲で国王の頬を、右手の甲で王妃の頬をそっと撫で、老婦人はくすりと笑って腕をあげた。

 そして――。


「それも一人じゃなくて二人。勇者一行そろい踏みね」


 抱きかかえ、ベッドに下ろし、今もかたわらに寄り添うスケルトンの右腕に自身の腕を絡めて引き寄せる。スケルトンの腕を愛おしそうに撫でる老婦人に眉をひそめた国王だったがその顔はみるみるうちに青ざめた。

 他のスケルトンたちが手に持っているのはカットラス。海賊がよく使う剣だ。でも、老婦人のかたわらに寄り添うスケルトンが手に持っているのはツーハンドソード。白銀色に輝く美しい鞘とつかに描かれた女神の紋章を見れば一目でわかる。


「それは……聖剣」


「聖剣!? それじゃあ、そのスケルトンは……!」


 二人の反応に老婦人は目を細めて満足気に笑った。


「ええ、そう。ロイクよ。聖剣に選ばれた勇者。私たちの仲間で、リーダーで、魔王を倒した人。そして――」


 不意に、その老婦人の顔から表情が消えた。


ヴァンサンあなたに背後から斬られ、サンドリーヌあなたに火炎魔法で焼かれて死んだ、この国の第二王子でヴァンサンあなたの双子の弟で、私が愛した人。私を愛してくれた人。……ねえ、どうして殺したの?」


 国王と王妃の頬を手の甲で撫でて老婦人は怒りを押し殺した声で尋ねた。

 でも、すぐにその口元に笑みを浮かべた。


「いいえ、答えなくてもわかっているわ。ヴァンサンは国王に、サンドリーヌは王妃になりたかったのよね。玉座を奪われると、そう思ったのよね。聖剣に選ばれ、魔王を倒し、王の血を引いているロイクに。だから、ロイクを殺し、私のことも口封じのために置き去りにした」


 老婦人を睨むように見つめて国王は唇を噛む。答えがないのが答えだ。老婦人の微笑みに影が差す。


「ロイクにそんなつもりなんて少しもなかったわ。子供の頃、王城を抜け出してよく行った海の見える高台の丘で約束したのでしょう? ヴァンサンは国王に、ロイクは騎士になるって。ロイクの夢はその頃から何も変わっていなかった。国王になったあなたに騎士の称号を与えられること。それがロイクの夢だった」


 穏やかな陽の光が差す教会で、かつて勇者だった双子の弟の両肩に聖剣をそっと当て、騎士に任ずる国王となった双子の兄。

 それが老婦人のそばに寄り添う、かつては勇者だった骸骨が夢見た光景だった。


「……そんなことは」


 しぼり出すように言って国王は奥歯をギリ……と噛んだ。

 

「そんなことは俺だってわかってた。ロイクが王位なんて少しも興味がないことは。でも、本人の思惑と周囲の思惑が違うことなんて当たり前のようにある。本人の意志とは関係なく周囲の思惑に飲み込まれ、押し流され、それによって国が乱れて民が苦しむことも」


「そうね、ロイクもわかっていたわ。そういうことの機微にあなたの方がさといことも。だから、息絶える前に私にこう言ったんだと思う」


 老婦人はそう言うと目を伏せ、かたわらに寄り添うスケルトンの白い手を――愛する人の骨だけになった手をぎゅっと握り締めた。


「〝ヴァンサンは悪くない。そういう生まれ、そういう環境、そういう運命だっただけだ。ヴァンサンも、僕も。だから、僕は怨んでいない。アデルもどうかゆるしてあげてほしい、二人が僕にしたことを〟」


 白くて冷たくて硬い骨だけになった手を強く強く握り締めて老婦人はきつく目をつむった。


「この五十年間、考え続けたわ。あなたたちに置き去りにされた魔王城で」


 悪夢にうなされているかのように顔を歪ませる老婦人から同じように顔を歪ませて王妃は目をそらした。


「魔王との戦いで負った傷で不自由になった足を引きずりながら。骨だけになった魔王や魔族を操って暮らしながら。朽ちて骨だけになっていくロイクの体を見つめながら。赦せるのか。どうしたら赦せるのか」


 ゆっくりとまぶたを開けると老婦人は国王と王妃を見下ろした。老婦人の凪いだ目に国王は身構え、王妃は怯えた表情で体を強張らせる。


「悩んで、迷って……だけど、時間はいやおうでも進んで終わりは近づいてくる。だから、命が尽きる前にあなたたちに会って、あなたたちと話して決めようと思ったのよ」


 痩せ細って皮と骨だけになった自身の手を老婦人はそっと撫でた。年令のせいだけではない。老婦人が手の甲で撫でた国王と王妃の頬は同い年とは思えないほどにハリもつやもある。

 死んでいてもおかしくない怪我と、その怪我によって起こる病気を白魔法で少しずつ少しずつ治療してきた。魔力が尽きては痛みと吐き気に耐え、魔力が回復するのを待ってはまた白魔法を使って治療し――何年も何十年も食べる物も少なく、陽の光もほとんど差さない魔王城で、生き延びることだけを考えて生きてきた。

 そうやって過ごしてきた五十年という月日が老婦人の肉体の時間を本来の時間以上に進めたのだ。


「あなたたちはあなたたちが夢見た通りに国王と王妃になった。ロイクを殺して、私を置き去りにして、そうして国王と王妃の座について。ぬくぬくと贅沢に暮らし、子供や孫に囲まれ、国民に慕われてこの五十年を過ごしてきた」


 かたわらに寄り添うスケルトンの頬を老婦人が撫でる。スケルトンはカラコロと骨を鳴らして聖剣を持つ右腕をゆっくりと上げた。

 瞬間――。


「……っ」


「でも」


 鼻先に聖剣を突き付けられて国王は息を呑み、しかし、ゆっくりと息を吐き出した。突き付けられたのが剣先ではなく柄頭だったからだ。


「この国は栄えて人々の表情は穏やかだった。魔王が倒されたからというのが大きいでしょうけど……たぶん、きっと……あなたたちはきちんと国王と王妃をやっていたのでしょう」


 老婦人が軽く手をあげると国王と王妃の手や足を掴んでいたスケルトンたちが手を放し、カラコロと骨を鳴らしてあとずさった。ベッドの上で半身を起こした国王は老婦人と、聖剣の柄を差し出すかつては勇者で双子の弟だった骸骨を見つめた。


「それなら……立派な国王になったというのならロイクの夢を叶えてあげて」


 国王となった双子の兄の手によって騎士の称号を与えられるという夢を。


 国王はうつむいたあと、まばたきを一つ。ゆっくりと顔をあげた。あとは寝るだけという格好だ。それでも国と国民を背負う者らしい表情になるのを見て老婦人は口元を緩めた。

 真っ直ぐに双子の弟の目を――今は空洞になってしまった二つの穴を見つめて聖剣の柄を掴む。勇者以外に鞘から聖剣を抜くことはできない。でも、勇者の協力があれば話は別。すらりと鞘から抜けた聖剣を手に国王は裸足のまま床に立った。王妃もまた裸足のまま床に下りると国王のかたわらに寄り添う。

 老婦人に頬を撫でられ、かつて勇者だったスケルトンは国王の前に膝をついた。白い骨となった両肩に国王は聖剣をそっと当てる。


「ロイク、そなたに騎士の称号を与える」


 国王が威厳のある声でそう宣言するのを聞いて取り囲んでいたスケルトンたちはカラコロと骨を鳴らして拍手した。


「ありがとう、ヴァンサン。それにサンドリーヌも」


 足が不自由な老婦人はベッドに座り込んだまま。愛した人がかつて夢見た光景を前に涙の滲む目を指でぬぐった。

 老婦人に手招きされ、かつて勇者だったスケルトンは立ち上がり国王から聖剣を受け取るとかたわらに戻った。


「ロイクの夢が叶ったわ。これで私も赦せる」


 かつて勇者だったスケルトンに抱えあげられ、首に腕をまわした老婦人は国王と王妃に向かって穏やかに微笑みかけた。

 そして――。


「二人がロイクにしたことは、ね」


 口元に微笑みを浮かべたまま。冷ややかな声と目でそう言って杖を一振りした。

 瞬間――。


「アデル!?」


「ひ……っ!」


 スケルトンたちが一斉に国王と王妃に襲い掛かる。再び手や足を掴まれ、国王と王妃は押さえつけられた。ベッドではなく、今度は床に。


「どういうことだ、これは!」


「私たちのこと、赦してくれたんじゃないの、アデル!?」


「ロイクはね、こう言ったの。〝アデルもどうか赦してあげてほしい、二人が僕にしたことを〟――と」


 かつて勇者だったスケルトンに抱きかかえられた老婦人は床に転がる国王と王妃を見下ろして言った。


「ロイクにしたことは赦してあげる。ロイクがそう願っていたから。でも、私にしたことは赦さない。だって、ロイクはあなたたち二人がしたことすべてを赦してあげてほしいとは一言も言っていないもの」


 老婦人が頬を撫でるとスケルトンはそっと床に――国王と王妃のあいだに老婦人を下ろした。


「この国はもう、あなたたちがいなくても大丈夫でしょう? だって、あなたたちには立派に育った子供たちがいるのだから。いつでも王位を継げるくらいに立派に育った王子や王女たちが。みんな優秀だって市民たちも噂していたわ」


 それなら安心ね、と微笑んで老婦人はスケルトンが差し出した剣を受け取った。かつて勇者だったスケルトンが手に持っている聖剣ではなく、かつては魔王だか魔族だかだったスケルトンたちの一体が手に持っている、カットラスと呼ばれる海賊がよく使う剣を。


 剣を両手で握りしめ、高く高く掲げて老婦人は薄く笑う。

 そして――。


「さようなら。最期に会えてうれしかったわ」


「やめろ、アデ……っ!」


 国王の制止の声を無視して剣を振り下ろした。


「ひ……っ、やめ……っ!」


 引きつった悲鳴をあげる王妃にも同じように剣を振り下ろす。何度も、何度も。国王と王妃はそのうちに悲鳴をあげることも、うめき声をあげることもなくなり、動かなくなった。それでもお構いなしに何度も振り下ろし、腕や肺が痛むのも構わずに何度も何度も振り下ろし――。


「……っ」


 不意にめまいに襲われて老婦人は剣を取り落とした。額を押さえ、血だまりのできた床に手をついてうずくまる。少し呼吸が落ち着いたところで隣を見るとかつて勇者だったスケルトンは変わらずに老婦人のかたわらに寄り添っていた。

 めまいのせいで霞む視界に映る光景に老婦人は自嘲気味な笑みを浮かべた。

 そこにいる骸骨は老婦人のかたわらに立っているだけ。勇者で、老婦人の愛した人なら剣を振り上げた老婦人の手首を掴んで止めたはずだ。残りわずかな命を削って大勢のスケルトンを操る老婦人を、肺の痛みに呼吸を乱しながら何度も剣を振り下ろす老婦人を抱きしめて、〝もうやめよう、もういいんだ、もうやめよう〟と言って止めたはずだ。

 でも、かつて勇者だった、今は老婦人に操られているだけのただの骸骨はかたわらで立っているだけ。ただ、それだけ。


「わかって……いたのにね」


 愛した人はもういないのだと。ここにあるのはただの骨なのだと。

 国王と王妃を――かつて仲間だった二人を手にかけたところでなんにもならないのだと、よくわかっていたのに。


 老婦人が腕を伸ばすとかつて勇者だった、今はただの骸骨は腰を屈めた。老婦人をそっと抱きかかえ、かつて国王と王妃だったモノをまたぎ、背を向けてカラコロと骨を鳴らして歩き出す。


「ロイクが話してくれた海の見える高台の丘。あれは……どこにあるのかしら。王城を抜け出して良く、行っていたって……旅の途中で何度も聞い……た……」


 途切れ途切れになる老婦人の声に合わせてスケルトンたちは一体、また一体とカラコロと骨を鳴らして崩れ、動かぬただの骨に戻っていく。あちこちの国や領地に視察や嫁ぎに行っていた国王と王妃の息子や娘たちが兵を引き連れて帰ってくる頃には王城はしん……と静まり返っていた。白い骨が点々と転がり、国王と王妃の亡骸が床に転がり、それを見下ろす兵士や使用人たちが困惑の表情で黙り込んでいるだけだった。


 海の見える高台の丘に座り込んでいる老婦人を兵士たちが発見したのは一週間ほど後のことだった。地面に突き立てられた聖剣に寄りかかるようにして息絶えていた老婦人の足元には白い骨が転がっていた。


 その場所はかつて勇者だったこの国の王子が双子の兄と共に王城を抜け出して遊びに行った海の見える高台の丘では、ない。


 しかし、それを老婦人に教える者はいない。

 かつて勇者だった愛する人も、彼の双子の兄だった国王も、国王から子供時代の思い出話を聞いていた王妃も、もういないのだから。

 老婦人の足元に転がるかつて勇者だった白い骨も語ることはないのだから。

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