叔父と蝶と骨
がらなが
第1話
話すと長くなるし気が滅入りそうになる理由で、俺は両親とはほぼ絶縁状態だ。かといってまだ一人で暮らして行くには若干不安が残る年齢なので、叔父の家に世話になっている。もっと細かく言うと、戸籍抄本と現金だけを持って不動産屋に行こうとしていた俺を見かねた叔父が、俺の首根っこを掴むように家まで引っ張ってきたのがきっかけで一緒に暮らすようになった。
柵の向こう側で親牛が文句を言うように鳴いている。親牛が餌の催促のために興奮し始めたのにつられるかのように、足元で子牛が跳ね回っていた。
叔父は畜産農家だ。世話になっている身としては叔父が働いている間に部屋であくびして転がっているのも申し訳なくて、よく手伝いをしている。
「叔父さん、もうこいつに餌やっていい?」
「ああ、頼むわ」
叔父はすぐ隣で水桶を交換していたところだった。手持ち無沙汰だった俺はフォークを手に取って、草の塊を突き刺してから草をほぐしていった。新品の畳と茶の葉を混ぜたような牧草の匂いが漂い始め、深呼吸するように息を吸い込む。この匂いは割と好きなのだが、一瞬だけ、甘ったるい匂いが顔に掛かった気がした。その匂いにつられて来たのか、周囲には数匹の蝶が飛んでいた。真っ黒い羽根に白い筋をいくつか伸ばした、見たこともないような蝶だった。
フォークで黙々と柔らかい草をほぐしていくと、ふとフォークの先にコツンと何かが当たった感触がした。何か物があるらしき周囲の草をどかしていくと、何かの動物の大きな頭蓋骨が出てきた。見慣れている大きさの物だから、すぐにそれが牛のものだと分かった。
「なんでこんな物が……」
その骨からはあの甘ったるい匂いがした。周囲を飛んでいた蝶が次第に牛頭骨に集まり始める。蝶を引き寄せるような匂いを放つ真っ白い骨には、刻み込まれたかのように黒々しい蝶の形のシミができていた。まだら模様を思わせるほどの数で骨を埋め尽くすそのシミを仲間だと勘違いしているのか、牛頭骨に集まった蝶はそのシミに群がった。俺もまた匂いとシミに引き寄せられるように骨に近づく。しゃがむと、何もないはずの眼窩の奥の暗がりが、俺の様子を伺い見ている気がした。
次に感じたのは衝撃だった。横に突き飛ばされ不格好に床に転がる。甘ったるい匂いは意識の外側へ行き、変わりに鼻腔に入ってきたのは牧草と牛の糞の匂いだった。
俺が元いた場所を見てみるとそこには叔父が立っていた。慌てて駆け寄ってきたかのように顔が赤くなっている。叔父は突き飛ばした俺の方には目もくれず、蝶の群がる牛頭骨を見ていた。
「仕方ねえよな……」
叔父はそう呟くとしゃがみ込み、骨に触れた。途端に白い筋の模様を持つ蝶達は飛び散り始め、数匹が叔父の肌を掠めていった。そうしてどこかに飛んでいった後、戻ってくることはなく、俺は一連の出来事に呆然としていて、叔父は何もなかったかのように床に転がっていた俺を起き上がらせた。
「牛の餌やりは俺が終わらせるから、お前は家戻って風呂でも浸かってろ」
「叔父さん、さっきのは……?」
「なんかの気まぐれだろ。ほら早く戻れ」
叔父の適当な返事と有無を言わせない雰囲気に俺は押し負け、それ以上を聞くことは出来なかった。
翌朝牛舎に行ってみるとあの骨はどこにもなく、聞いてもなにも答えてくれなかった。
それから少しの間、叔父の仕事仲間や、俺の両親以外の親戚連中が家を訪ねてくることが増えた。皆明るくはない顔つきで叔父に同情や励ましの言葉を掛けていたが、叔父は適当に髭を掻きながら「死んだ後のことだからなんも思わねえよ」とよく返していた。けど時々、会話の流れのまま俺の方を一瞬だけ見て、申し訳なさそうに眉を下げることもあった。
あの妙な骨を見つけてから5年後の夏、俺が大学を出て就職してからしばらく後、叔父は牛舎で一人で亡くなっていた。解剖の結果心筋梗塞を発症していたらしく、病死と判断された叔父はあっという間に死装束を着せられ自宅に帰ってきた。
ふと俺はあの蝶達のことを思い出して、叔父の胸の中に蝶が蔓延っているのを想像した。だが解剖では心臓以外に何もおかしい所はなかったらしく、俺は叔父の色の抜けた手を見つめることしか出来なかった。
叔父のいなくなった牛舎は、親戚連中の話し合いで牛がいなくなることになった。
叔父の葬儀はいくつか不可解なことがあった。まず、俺の変わりに葬儀の準備をしていた親戚連中が言いづらさそうに、叔父の骨は散骨しなけらばいけないと言ってきた。理由を尋ねても、決まりだからとしか言ってくれなかった。数年一緒に住んでいたとしても若造に決定権はないらしく、叔父の骨は自宅近くの山に散らされることになった。そして、更に言いづらさそうに言ってきたのが、叔父の骨をパウダー状にするのを、業者に頼めないということだった。気がつくと俺は反射で、「俺が砕きます」と言っていた。
数日後、俺は叔父の骨を山に散らしながら、数匹の蝶の群れを見た。真っ黒い羽根に白い筋を伸ばした模様を持つ見覚えのある蝶で、風に乗っていく叔父の骨と戯れるかのように舞う蝶を見て俺が思い出していたのは、火葬場から出てきた叔父の骨がまるで骨格標本かのように綺麗に残っていたことと、蝶の形をしたシミがまだら模様状に頭蓋骨に刻まれていたこと。そして、蝶のシミごと叔父の骨を砕いた時の感覚だった。
叔父と蝶と骨 がらなが @garanaga56
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