時刻不明のラストオーダー
初めはほんの軽い気持ちでした。
大好きな翔斗お兄ちゃんが行方不明になったと言われ、子どもだった私は、なにがなんだか分からずに泣きわめきました。
ずっと昔から付き合っていた彼女と正式に婚約をし、その記念旅行だと聞いていました。聞いてはいても、こっちだって初恋だったのです。一緒に夜食を食べた時にかわいい恋に落ちたわけじゃありません。初めて会ったその日からずっと好きでした。期間なら負けていません。
それなのに?
旅行に行って、どっちも仲良く生死不明。「ただいま」の声を聞ける望みは薄いでしょう。
……でも、それから閉ざしていた私の心の扉を、開きたいと願う人が現れました。彼──時道さんは、私を幸せにする、と真っ直ぐに言ってくれました。だから、私から心の中に彼を入れたのです。
幸せでした。人に恋するのは、人を愛するのは、空っぽだった心をあっという間に埋めてくれました。
そして、幸せになればなるほど、怖くなりました。
彼もまた私の前からいなくなってしまうんじゃないかしら。いっそ時間が止まればいいのに。彼と私と二人だけの世界で、静かに暮らせたらいいのに。満たされた分だけ、重く、深く、思考は淀みます。そんなことできっこないと分かりきっていてなお、私は考え続けていました。
「翔斗お兄ちゃん」と林子さんの住んでいた部屋を手放すから荷物の整理を手伝って欲しい、と伯母さんに力無い声で言われたのは半年前のことです。ああもういよいよお兄ちゃんは帰ってこないんだな、と思いつつ、二つ返事で了承しました。
「ありがとう、結花ちゃんはえらい子ねぇ」
十年前と同じ声色を向ける伯母さんは、きっとあの時間のまま生きているのでしょう。
曖昧に微笑んでから向かった家で、私はそれを見つけました。
『平行世界と時間構成概念論』『時空間干渉への考察』……
擦り切れてタイトルが読めないものや、理解できない危なさそうな本もいっぱい。ホコリを被った本棚に並んでいるのは、そういった小難しい本でした。
そういえば林子さんは理系の研究者だったっけ。ぼんやり考えながら機械的に本をダンボールに詰めていくと、バサリと本と本の間から何かが滑り落ちました。思わず手が止まります。その古びたノートは、私がずっと探していたものを彷彿とさせたからです。
『時間の止め方
時間と空間の分離説を検証する。
対象と一般世界を切り離し、他のもの全てと人類においては対象だけをトレースした世界Aと対象だけが消え去った世界Bに分ける。
世界Aが誕生したとき世界Bの時間の流れは全て停止し、世界Aが消滅するまでそのままの状態であるとする。
この状態を引き起こすには以下の方法を実行する。
……
……
……
最後に、世界Aを消す方法だが、対象が死に至ることで崩壊する。対象が二人以上の場合は、誰か一人でも死に至ればバランスが崩壊し世界ごと消滅する。その際世界Aにいる人は、みな世界Bに戻れる。
最終実験日:
これで彼とずっと二人で』
林子さんの字体で走り書きされたそれに、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。あの人は紛れもなく天才でした。手がかりのつかめない行方不明事件。まさか?
最終実験日は空白でしたが、なんとなく今から大体十年前の日付が入る予定だったのだろうな、と理解してしまいました。それにしても自信満々な書き方です。何回か実験したことがあるのでしょうか。二人以上いないと観測できない上に、脱出するとなると『誰か一人でも死に至』る必要がありますが。
しかし最終実験までこぎ着けたということは、この理論は大方は正しかったのでしょう。今時間が経過しているということは、もう全て終わってしまったのか、それともやっぱりデタラメなのか。いくらあの人の頭が良くても、時間を止めるなんてそんな、ねぇ。
でも、さ。じゃあ。私の脳内で悪魔が甘く囁きました。どうせデタラメなら、私も試してみていいんじゃないかな。本当だったら大変だけど、こんなこと、賭けてみないほうが損だよね。……仮に代償が命だとしても? 悪魔は嗤います。人間が賭けることのできる唯一確かなものは、命だけだよ。
私は古びたノートをカバンに詰めました。
結局、あの人がご丁寧に点検をして弾を詰めた拳銃の、そのトリガーを引いたのが私だったというオチなのです。
彼女らが引いた後でも、それとも何らかの原因で引くことはできていなかったとしても、今は関係ありません。
とにかく当然のごとく弾は発射されてしまい、そして……世界が静寂に包まれて半年が過ぎました。
まあ、つまり。消え去ったのは私たち以外の全人類ではなく、私たち二人だけだと最初から分かっていたのです。
私たちだけが平行世界に送られて、元の世界では時が止まっている。戻れば時は動き出す。相対的時間停止とでも言いましょうか。時が止まっている間別の世界に飛ばされるのが最大の欠陥なのでしょうが、むしろ人によってはその状態こそが最適解だったのでしょう。例えば彼女とか──私とか。
今ここでどちらかが息を止めれば、どちらかは元の世界に戻れて、世界も動き出すことができます。二人で一緒に世界ごと消滅する選択肢もありますが。逆に今のままだと、哀れ八十億人はどちらかの寿命が尽きるまで一時停止されることになります。
つまり相手を健全な世界に戻してまっとうな人生を歩ませたければ、息絶えることが推奨されると。
なるほど。ほうほう。ふぅん、そっか。
ふざけるな。
天国で一緒? 思い出を背負って心のなかで生かす? それじゃあ意味がない。二人で共に生きる。手を繋いで、昨日を笑い、今日を這いつくばり、明日を願う。それでしか世界の存在価値はない。もう離れるのは沢山なのだ。
それならこの終末世界は楽園だろう。あなた以外の有象無象に囲われるよりも、あなた以外を見ないほうが何千倍も良いのだから。お湯を沸かしてご飯を食べたり、熱っぽい体で寄り添い合って話したりしながら、温もりを分け合って二人だけで年を取れたらそれでいい。だから、いつか二人が動けなくなる時まで、世界にはちょっと待っててもらいましょう。
ノートを焚き火に放り込み笑顔で振り返る。
「火ィ点いたよー! 何食べる?」
これ、釣った魚ー! と大声で叫ぶ何も知らないあなたの笑顔は夜空に映えて、そう、盛大に躍動していた。
ウィークエンドに■氏100度の温もりを 透川月 @Tokawa
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