絶愛 ─静観する狂気とともに─

かごのぼっち

泥にまみれた少女

 雨が降っている。


 隙間無く空を埋め尽くす雲から、冷たい雨が降り注いでいる。

 小高い丘にはたくさんの石が並んでおり、その間を雨水が流れて小さな川を作っている。

 途中土を含み泥水となって流れてゆくその小さな川は、窪みに集まり水溜りとなる。

 その窪みが一杯になって溢れ出した水が流れ、また小さな川を作る。


 その川を遮るようにひとつの影が見える。


 よく見ると、手足が泥土にまみれた少女がひとり、冷たい地べたに蹲っている。


『ねぇキミ、どうかしたのかい?』


 声をかけてみるも、ぴくりともしない。


 何か事情があるのだろうが、放ってはおけないので再び声をかけた。


『風邪を引いてしまうよ?』


 やはり反応がない。


 まさか死んではいないだろうかと、少女の顔を覗き込むと、ひどくやつれた様子で顔も泥まみれだ。もはや誰だか判らないほどに汚れてしまっている。

 泣いていたのだろうか、手の泥が顔についてしまったと言うことだろう。


 少女はその腕の中に何かを大切そうに抱えている。白くて丸いボールのようなものを。


『うう⋯⋯』


 少女の躰が細かく震えている。


 それがこの雨による寒さからなのか、啜り泣きによるものなのか、その震えは止まらない。


『何かあったのかい?』


 あいも変わらず返事はない。


 私は震える少女の肩にそっと手を添える。少女は一瞬ぴくりと動いたが、こちらを見る様子もない。


 しかし


 これは少女の感情、または記憶だろうか。私の中に流れ込んで来る。悲しいくも温かい、感情と記憶を合わせたような⋯⋯思念?


 視える


 それは、幼い彼女の小さな恋に始まる。


 幼馴染だろうか、彼女と同じくらいの年頃の少年。快活で気概が強く、優しすぎるくらいに温かい心の持ち主だ。そして何より、眩しいくらいの笑顔が印象的なのは、彼女のフィルターを介しているからだろうか。


 彼女はそんな少年に淡い恋心を抱いていて、いつも目で追いかけて観ていたようだ。


 やがて


 少年は少しづつ成長してゆく。少年が成長するにつれて彼女の恋心も成長し、それに伴い熱い感情が芽生えた。


 しかし


 ある日、少年は他の女性に恋をした。


 少年を目で追いかけるだけの彼女は、何も言い出せず、ただ観ていることしか出来なかった。否。あまつさえ、幼馴染の少年の恋愛相談に乗る始末だ。

 彼女の心に霞がかかり、ひんやりとした冷たい感情が生まれる。

 しかし、彼女の恋の火は激しさを増すばかりで、消えることはなかった。


 躰は燃えるように熱いのに、心は凍えるほどに寒い。


 このちぐはぐとした感情が、彼女の心を蝕んでゆく。


 ──そして私は気付く。先ほどより大きくなった少女の躰に。もしかすると私の勘違いで、気の所為かも知れない。


 少年は成長して青年となり、また別の女性と交際を始めるようになっていた。

 同じように成長した彼女は、あいも変わらず青年の恋愛相談を受けて、見せかけだけの笑顔を取り繕って見せた。


 その間にも、彼女に言い寄る男性はいたようだが、取り尽くしまもなく追い払っていた。


 その心はずっと変わらず、彼を恋い、乙女の心をそのままに、どす黒く染まり、歪んで行った。しかし、そのことに当の本人は気付くことはなかった。



 ──気の所為ではなかった。明らかに先ほどの少女の躰は無く、成人女性の躰がそこにあった。肩口ほどの長さだった髪も伸びて、腰の辺りに達していた。ただ、雨に濡れてうち震える様子は変わらない。


 数年後


 彼女が彼に自分の気持を打ち明けられないまま、彼はまた別の女性と結婚した。


 その頃には恋愛相談をされることもなく、彼女は遠いところから彼の様子を窺うだけで、彼とは簡単なメールをやり取りするだけの関係となっていた。


 そんなある日


 彼が自殺未遂をした。


 彼女はその原因を知っている。それは彼女が全てを観ていたからだ。


 彼は仕事のし過ぎで過労で倒れ、仕事で大きな穴を開けてしまったので、その責任を取らされて退職を余儀なくされた。

 その後も再就職もままならず、アルバイトで家計を支えていたが、嫁が他の男と駆け落ちして、家財道具の一切合切を持って逃げたのだ。

 優しい彼は女を探す事もせず、喪失感と孤独に苛まれて、自殺を計ったのだ。


 犇めいていた彼女の闇が具現化した。


 ──彼女から黒い霧のような煙が立ち昇る。


 数日後


 女は駆け落ちした男と一緒に火事に遭って、焼死体で見つかった。火事の原因は寝煙草だと言うことだった。


 彼が勤めていた会社も、内部告発で倒産したと言う。告発者は匿名なので明かされてはいない。


 しかしそれは彼の知るところではなかった。病院で一命を取り留めた彼のそばに、彼女はいた。


 彼は呆然としていて、かつての弾けるような眩しい笑顔は見せてはくれなかった。

 気が抜けて廃人と化してしまった彼を、病院に無断で、彼女は自分の家に連れて帰ってしまった。


 物を言わない人形のようになってしまった彼。


 ずっと恋焦がれて見守って来た彼を手に入れた彼女。


 彼女は高揚する。


 彼女は彼を、想いのままに、気の向くままに、貪るようにその全てを求めた。


 彼女は全裸となり、彼の服を脱がせ、口づけをし、躰を重ね、愛撫する。


 しかし彼は反応を示さない。


 彼女は執拗に彼の躰を貪り続ける。何時間も、何日も、朝から晩まで、今までの空虚な時間を埋めるように、取り戻すように、彼女は彼を求めた。


 ──彼女の躰が熱を浴び、濡れた躰から雨が蒸気する。


 何日か経ったある日


 彼の生体反応が切れた。すっかりと痩せ細り、ぐったりと項垂れて動かなくなってしまったのだ。何も飲み食いしなかった彼は、彼女の躰に包まれて息を引き取った。

 何日も彼と共に過ごした彼女だったが、結局その心は満たされないまま、その時を迎えてしまった。

 あるいは病院で点滴などの施術が行われていたのなら、こんな早くにその時を迎えることは無かったのかも知れない。しかしそれは、誰も望むものではなかった。


 彼女の腕の中で冷たく、硬くなってゆく彼。


 しかし、彼の躰が硬くなったことで、彼女はようやく彼の躰と一つになることが出来た。痛みを伴った快楽に彼女は夢中になった。

 愉悦と唾液に濡れた口もとは緩み、彼女は何度も幸福に達した。しかしその心だけは、何度絶頂に至るとも満たされず、彼女の頬が渇くことはなかった。


 ──彼女の呼吸が荒くなり、まるで嗚咽ともとれる嬌声を発する。

 この時私は、彼女とシンクロしていたせいなのか、その全ての行動が理解に及び、彼女を責め立てるような考えは浮かばなかった。あるいは私も何処かおかしくなっていたのかも知れない。


 何処かの山の中


 彼の躰が炎に包まれる。


 ゆらゆらと揺れる炎が、彼女の濡れた瞳にくゆる。

 時々パチパチと、生木が爆ぜて火の粉が散る。そこに自らも身を投じようと試みるが、思いのほか、躰が言うことを聴いてくれず、そうこうしている間に火は消えてしまっていた。


 彼女はそこぺたりとへたり込み、頭を地面に打ち付けるも、やはり手加減してしまう自分がいた。


 死ぬに死ねない情けない自分と、何時間も葛藤するが、結局自らの命を断つことは出来なかった。


 ──いつの間にか彼女の震えが止まっている。そして少し細くなっただろうか。

 そんな彼女の記憶を垣間見た私は、少しづつ我に返りつつあった。


 彼女はその手で穴を掘り、彼の遺骨を拾い上げ、その穴にそっと埋めた。


 埋めたそばから彼女は泣き崩れ、彼女と同調するかのように雨が降り始めた。


 彼女は泣く。


 雨は降る。


 彼女は泣く。


 雨は降る。


 ──その既視感にすぐに気付いた私は、いつの間にか我に返っていた。

 

 先程まで彼女が持っていた白いボールのようなものは、彼女が埋めることが出来なかった彼の──


 ──私の頭蓋骨だ。


 だがそれは、泥とすすで薄汚れたただの無機質な何かだ。そんなくだらないモノを彼女はとても大切そうに、慈しむように、愛おしそうに抱いていた。


『こんな⋯⋯こんなにも私を求め、愛してくれる女性がそばにいたのに、私のなんと盲目なことかっ!』


 私の頭蓋骨を持つ彼女の手にそっと手を添えた。


 彼女はハッとして、私の方を見る。


 視線が合う。


 ──合った瞬間、時間が止まったかのように雨が止む。彼女の震えは止まり、涙も消えた。泥だらけだった手足も綺麗になって、濡れていた髪はさらりと風に揺れる。


 薄紅色に艶めく頬に手を触れると、ふわっと花が咲いたように、彼女は紅い花弁のような唇から白い歯を見せた。


 私の胸にわっと飛び込む彼女を、そっと優しく抱きしめた。


 私に煌煌きらきらしい瞳を向けて来る彼女の、顎の先を指の上に乗せて持ち上げると、彼女はそっと瞼を薄めた。


 私は彼女瞳が閉じる前に、彼女の唇と自分の唇を重ねた。




 私は彼女の想いに


 もっと早く気付くべきだった。


 今更何を言っても仕方がない。


 そんな後悔はお互い様だろうか。




 しかし今は


 狂おしいほどに愛おしい。




 私達は


 長い


 永い


 口づけを交わした。




 雨よ降れ。


 彼女の躰と私の頭蓋骨を土で覆い隠せ。


 雨よ降れ。


 誰にも見つかることのないように。


 雨よ降れ。




 雨よ降れ。














       ─了─

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