骨兆の夢

製本業者

燗淡の夢

いまは昔、山の奧深くに、骨酒かはらきを振る舞ふ一軒の茶屋ありけり。其の骨酒といふは、魚の骨を焼き、酒の中に浸してその香を楽しむものなれど、ただの酒にはあらず。その酒を飲むもの、必ずや奇しき夢を見るといふ噂ありけり。


旅の商人、此の噂を聞きて、「夢を見せる酒とな、いかにも面白からむ」と興味を抱き、茶屋を訪れたり。店主は痩せ衰へたるおきなにて、何も言はず静かに酒を注ぎつつ、やをら口を開きて言ふ。


「此の酒を飲むものは、己が未来ゆくすゑか、さもなくば過去すぎにしのいづれかを夢に見る。されど、さを改めむと欲すれば、必ずや代償あたひを払ふこととなるべし」


商人、笑ひて曰はく、「代償と? いかにも面白き話よ。我が運命さだめ、試してみむ」かく言ひて、杯を傾けたり。


かくて夜深よひのはて、商人は奇しき夢を見たり。己が館に住み、蓄財を誇り、人の羨むところとなりき。されど、其の邸の壁には無數あまたの骨埋め込まれ、あたかも彼を睨むが如き奇景なりき。


夢醒めたる商人、こを奇妙と思ひつつも、「あの館を得ん」と欲念を抑へ得ざりき。されば彼は商ひを拡げ、幾許の歳月を經て遂には巨萬の富を築けり。


然るに、其の後よりわざはひ次々と訪れたり。取引の相手、悉く倒産し、家人は皆去り行き、家内は離れ、孤独のみが彼を包みたり。そして彼が住まふ邸の壁には、夢に見し骨、次第に現れ出でていにけり。


ある夜のこと、壁一面が骨に覆はれたる豪邸にて、商人は獨り酒を酌み交はしてゐたり。と、突然として、あの茶屋の翁、闇より現れたり。


代償かへしを払ふ覚悟は出来たりや?」


「代償とな? そも主が振る舞ひし骨酒が禍のもとなり!」

商人、怒りて言ふも、翁は首を振りて、静かに語りぬ。


「夢は未来のち過去いにひしの一片を示すのみ。されど、己が欲に囚はれ、道を外れしは、主ぞ」


翁の言葉終るや、骨の壁崩れ落ち、商人は深き闇の中へ消え失せたり。


かくて翌朝、茶屋の座敷には、商人が持ちし豪奢なる指輪一つ残されゐたりとぞ。


かくのごとく、今に至るまでその茶屋には伝はりける。

曰く――

「骨酒を飲むもの、夢を見るべし。ただし、其の夢を追ふも追はざるも、代償を払ふも、悉く己が決むるなり」と。

此れはまことにあらむかし……

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