【エッセイ】AIのイラストや小説が今後の創作界隈の「骨格」になるかの予想

バンブー

いずれAIを使おうが使わまいが無視は出来ないのだ

 私はよくAIイラストを生成して使わせてもらっている。

 目的は基本的に小説のイメージ画像の出力の為だ。自分で描く技術は無いし時間も無い、イラストを依頼するお金も無い。

 短時間で塗りまで出来たイラストが出せるのは作業効率的にありがたい。

 AIイラストの投稿時も「これはAIイラスト」だと明記し、自分が描いた絵だと認識はしていないし、不快な絵だと思ったら投稿した物を下げますとも言っている。

 使うモデルの著作権のガイダンスも読んで、それに沿っています(明記が嘘ならもはやどうしようもないけど)。


 昨今ではAI絵師だとかディープフェイクだとか、悪い使われ方をされ過ぎてAIをしている人達はほぼ犯罪予備軍的な扱いを受けるほど風当たりが強い。

 だが、私自身は結構開発者側の想定した順当な使い方をしている方だと思っている。


 まだ世間的には話題になっていないが、AI小説も既に存在しており「AIに小説を書かせてみた」等で遊んでいる人もいるが、中には隠れて「AIで作品の展開を考えてもらっている」という作者も存在している。


 正直AIの文章と人間の文章の見分けがつくかと言われたら、イラストより判別出来ないのではなかろうか。

 文章にも癖はあるが、AI生成系は情報があれば「模倣もほう」が出来る。

 作者や編集はある程度見分けが付くかもしれないが、一般の読者がそれを意識して読むのだろうか。

 もしも、AIが書いた小説をあたかも自分が書いたと言って小説投稿するゴーストライターが既に現れていたら見分けが付くのだろうか?


 もし見分けがつかないなら圧倒的な生成速度で人間は圧倒され出版業界も生成AIの作品を黙って出版していれば良いから人件費もかからず安定した生産体制が取れる。

 人間の作者なんて時代遅れ!

 今はAI小説家が効率の良い読まれる作品を読者に提供出来る時代なのだ!







 なんて事にはならない。

 AIイラストを生成している私から見ても、創作の世界で人間から機械に置き換わることは、一瞬だけなら出来るかもしれないがボロが出てくる。

 特にAI小説に私が手を出さなかった理由は、少し遊んでみて明らかに1から自分自身で書かなければならない事にすぐ気付いたからだ。

 細かい内容が多いので凄く抽象的な言い方になるが、それはAIは生成していけば生成するほど良くなるのだが、長く続ければ続けるほどその良さがへ向かって行くのだ。


 いわゆる無難、もしくは平均、万人受け、あらゆる人が見て「良いじゃん」と言える概念を持つ物をAIは作れる。

 小説の冒頭は1番最初の生成に必ずブレが生じて個性が出るのだが、生成を続けて行くとどんどん中央値へ向かい最初に産まれたを失う。

 ブレを伸ばす事や微調整も、結局の所人間の手で無いと出来ない要素が多く、完成度が高くても全てを機械に任せた創作物は判子絵のような量産型が世の中に増えていく縮図が回避出来ないと思われる。

 AI生成作品が影に潜んで広がった世界に産まれるのは浮き彫りになった「面白さの中央値」ではないかと私は思っている。

 多くの人達は直感で面白いかどうかを判断していく以上、無意識で「無難」に答えが行き着きやすい。

 元々あったけど漠然とし過ぎて誰も掴みきれなかった「面白さの骨格」が量産されることで可視化されるのではないだろうか?

 そうなった時、きっと心ない人から出てくる言葉がある。


「お前の作品より、AIの方が面白いよ」


 きっと傷つくかもしれないが、AIは結局基準を作るの生成ツールでしかないので、自分の作品が基準に到達していないのだと可視化できる世界になったと思った方が良い。

 人間自体が面白い物で全ての要素を基準値まで持って行くことは難しい。

 だが、機械よりもいろいろな「ブレ」を大きく意図的に作ることが出来る。

 基準に到達出来なくとも、それをフォローするほどのブレを操作出来れば基準値をフォローでき、唯一無二の形の「基準」に到達創作物を生成出来る。

 それが客観的な「個性」というAIの真似出来ない要素となり得る物だと考えられないだろうか?


 今まで自分の個性に見向きもせず、もしくは押し殺して読者に受ける事だけを目的にした効率の良い作者や作品にとっては厳しい世界になってくると予想される。

 それをプログラマーは基準値にする可能性が高いからだ。

 効率だけならAI生成ツールが彼等の上位互換になってしまうのだ。


 今後くるAIの創作時代はより「面白いの骨格」が見えた世界。

 そこ生き延びるには自分の「個性」を見つけ、それを伸ばし、そして使いこなす事が求められるのではないか。

 自分という個性を認識して、人間だけでなく機械とも戦う為に「自分の得意」を伸ばし、AIが作り出す平均的な「面白いという世間の骨格」を超えるように成長させ続けなければ、


「お前が作るより、AIの方がまし」


 なんて言われてしまうと、プロを目指す人は考えた方が良い。


 昔からではあったが、自分の骨格を見つめ直す良い機会が来たのだと思う事にしようじゃないか。

 世間が持ってる面白いが可視化するならそれを知り骨格を知る。

 自分の得意な事や好きな事を改めて考え、

面白いの枠組みを超えて人間としての個性を伸ばす。


 時代に飲まれず成長しよう創作者達よ。

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