鈴木さんという名前のこの後輩とはかなり思考が似通っているらしい。会話の中で笑うタイミングが重なることが多く、話していると心地良かった。ただ、僕の知り合いにはここまで仲良く話せる鈴木さんがいないので、僕が会ったことのない人だろうという確信は間違いなさそうだ。


 それにしても、帰宅前に教室で少し自習をしていたのは運が良かった。後輩の女子と二人で歩いている途中に友人に会ってしまったとき僕はなんて反応すればいいのか分からない。しかし、同じ制服を着た生徒が誰もいない今の時間は安心して歩ける。


 学校からしばらくは坂の多い住宅街を通り、地面が平坦になったところで駅前の商店街が見えてくる。鈴木さんとは話が弾み、好き嫌いの話から日常生活など色々な話題の話をした。学校の話になるとなぜか言葉を濁すのでその点だけは少し気になったが、快晴の日に見ず知らずの先輩と相合傘をするような不思議な人なのできっと学校では苦労も多いのだろうと思い、詮索は控えた。


 商店街に入ると人通りも増え、向かいから歩いてくる人の邪魔にならないように体を少しだけ鈴木さんの方へと寄せた。すると、ちょうど同じタイミングで僕に寄ってきた鈴木さんの肩に腕がぶつかってしまう。


「あ、ごめ……」


 と横を見ると、鈴木さんは思わず合ってしまった目をじっと見つめながら僕の手を握った。僕は心臓が飛び跳ねるほど驚いて思わず足を止め、後ろを歩いていたらしいスーツ姿の男性が僕の肩を掠めて舌打ちしながら通り過ぎて行った。

 耳の辺りが熱い。とても恥ずかしいが勇気を出して僕も手を握り返すと、鈴木さんは少し俯いて髪で顔を隠した。顔は見えないが、髪からすこしはみ出した耳がほんのり朱に染まっている。


「で、でね、アオちゃんがさ……」


 鈴木さんは友達の家に遊びに行った時の話の続きをしながら歩を進めるが、明らかに声に動揺が混じっているのが分かる。相手からしてきたこととはいえ、手を繋ぐのは少し早かっただろうか。そう思って握っている手の力を少し緩めると鈴木さんはそれに反抗するように僕の手を強く握りしめた。どうやら嫌ではないらしいので僕も手を握り直す。女子の手を触るのは初めてだが、とても冷たく感じられる。なんなら気温よりも低いんじゃないのかと肌感覚を比較してみようとしたところ、そういえばいつもよりも周囲が寒く感じられないことに気付いた。

 普段と同じ寒い秋の夕方とはいえ、他に楽しいことがあれば辛さも簡単に忘れられる。


「人の脳って都合いいなあ。」


 と考えていることが思わず口に出てしまい、何が?と鈴木さんがきいてくる。いつもなら肌寒い季節なのに鈴木さんといると全然寒くないから、僕の脳って都合良いなと思って。と説明すると


「私も。」


 そう言って鈴木さんは僕のほうへさらに近づいた。すでに肩と肩の距離は拳一つ分程度しかなく、僕は脈拍が上がって体が熱くなっている。握りしめている手は手汗が半端なくなっているはずで、今すぐ拭きたいが、先ほどと同じく僕が手を離そうとしても鈴木さんがそれを許さない。


 駅のバスロータリーを通り過ぎ、駅舎に入ったところで鈴木さんが壁に寄るので僕もついて行く。そしてやっと解放された手を拭き、思ったよりも手汗をかいていなかったことを僕が認識したところで鈴木さんがスマホの画面を僕に見せる。画面に表示されているのは使い慣れたSNSアプリのフレンド登録用QRコードだ。


「連絡先……交換してくれませんか?」


 先ほどまでは僕に対して攻めの姿勢だった鈴木さんがどうしたことか、ずいぶんと緊張した風に画面を差し出す。僕はフレンド登録画面を開くのにすこし手間取りつつも無事フレンド登録を完了し、鈴木さんのホーム画面を見る。そこに書かれているのはファーストネームだろう「なぎさ」の文字。


 鈴木……なぎさ。鈴木なぎさ。……鈴木凪沙なぎさ。思い出した。小学生のころに下校方向が同じだった唯一の同級生の名前だ。まるで顔を思い出してほしいとばかりにこちらを見る鈴木凪沙。小学生のころは髪の長い女子という認識だったからか、髪を切ると一気に印象が変わるが、たしかにその大きく吊り目よりの目は小学生のころの鈴木凪沙の面影を残している。


「やっと気づいた?本当は名前を見る前に気付いて欲しかったんだけど。」


 そんなことを言われても、鈴木なんて苗字の人はいっぱいいるし、気付く要素なんてどこにも……と思考を巡らせると、小学生時代のある日の思い出が網に掛かる。


 そういえば、僕は鈴木凪沙のことが好きだった……ような気がする。小学生のころの僕が自分の恋心を理解していたのかは定かではないし、中学時代にした恋が熱すぎて今の今までそれが初恋だと勘違いしていたせいですっかり忘れていたが、鈴木凪沙に良いところを見せたいとか、週末にどこかに遊びに行きたいとか、そういう明らかに恋をしているとしか思えない思考を確かに僕はしていた。


 そんなある日、午後から突然の大雨が降った。母は降水確率が50%を越えると僕に傘を持たせていたのでその日も傘を持っていたが、同級生の中には傘を持っていない人も多く、鈴木凪沙もその一人だった。

 校舎の入り口で雨を眺めながら途方に暮れている鈴木凪沙に、僕は傘を差しだした。僕は教員室に行けば傘を借りられることを知っていたけれども、それを伝えなかったのは考えてみれば幼い下心からだったのかもしれない。僕はしかし、どこか恥ずかしい気持ちがあったのか、素直に彼女に声を掛けて傘を渡すことはしなかった。その代わり、まさに高校を出た時に鈴木凪沙がしたように柄の部分を視界に差し込んだ記憶がある。


「思い出した。鈴木さんはあの大雨の日の再現をしようとしてたわけだ。」

「そういうこと。さっきまで全くその話題が出なかったから、すっかりあの時のこと忘れちゃってるのかと思ってたけど。」


 忘れてはいなかったけど、心の奥底に沈んでたからあながち間違いではない。しかしあの状況を再現したとすれば妙な点がある。


「相合傘を提案してきたのって鈴木さんの方だよね。」

「昔は凪ちゃんとみのるくんって呼び合ってたけど、これからは鈴木さんって呼ぶんだ?」


 呼び方に文句はあれど、鈴木さんも僕と同じ認識を持っているらしい。


「実くんにとってはどうでもいい思い出かもしれないけど……私にとっては印象的な出来事だったから、傘を差しだした時点で気付いてもらえると思ってたんだよ。だから、もしかしたら実くんが相合傘の提案をしてくれるかな、って期待してたんだよね。」


 なかなか難易度の高いことをおっしゃる。


「じゃあ、そろそろ帰らないと門限間に合わないから帰るね。また連絡するね。」


 と鈴木さんは手を振って去ろうとする。


「まだ16時半くらいだけど、門限早くない?」

「私いま、静岡に引っ越してるんだよね。だから急いで帰らないと親に心配されちゃう。」


 いつの間にか引っ越していたのか。ならもう帰らないと暗くなる前に帰るのは厳しそうだ。けどまだ気になることがある。


「なんでこの高校の制服持ってたの?」

「仲の良い従姉妹がこの高校に通ってるから、その子に借りたんだよね。それと実くんのこともその子から聞いたんだ。じゃあ本当に時間ないから私はこれで!!」


 そう言って鈴木さんは去っていった。改札の中で待っていたらしい高校生の女子と合流するのが見える。なるほど、あいつが鈴木さんの従姉妹だったのか。


 そろそろ自分の乗る電車が来るので急いで改札を通り抜け、人の列に並んだところでちょうどホームに侵入してきた電車に乗る。

 座席に座り、ポケットの中で振動したスマホを開くと鈴木さんから「また夜にでも連絡するね」とメッセージが入っていた。

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雨でもないのに傘を差しだされたので知らない後輩と駅まで歩いた話 AtNamlissen @test_id

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