雨でもないのに傘を差しだされたので知らない後輩と駅まで歩いた話

AtNamlissen

 残暑が去り、夕方になればすこし涼しさを感じる季節が来た。実りの秋や読書の秋などともてはやされるが、木々は色あせ、冷たい風が吹くこの季節は世界が冬の準備をしているみたいで僕はどうにも好きになれない。特に、外にいるだけで少しずつ体温が奪われていく感覚が大嫌いだ。

 最寄り駅まで20分も歩かなければいけない、政令指定都市のわりに辺鄙な場所にあるこの学校に通おうと思ったのがそもそもの間違いだったのかもしれないと思いつつ下駄箱に上履きを入れ、校舎から外に出る。すると寒がりの僕が夏服で過ごすには少しつらい程度の冷たい空気が体を包み込んだ。


 校舎入口のひさしの下から夕日を見つめ、もっと強く地表を照らしてくれと届くわけもない思念を太陽に送りながらため息をついて歩き出そうとすると、体の横から長い傘が視界に差し込まれる。薄紫色に白い水玉模様のついた見覚えのない傘だ。そして奇妙なことに、傘の柄の方が僕の方に向けられている。


 この動機の分からない行動をしているのは誰なのか気になり、どんな顔をしているのかでも見ておこうかと横を向くと、僕よりも15センチメートルほど背の低い女子と目が合った。大きくやや吊り目よりの瞳にバランスの良い鼻と口元。短めに切られた黒髪は首元で内向きに巻かれ、白く端正な顔立ちを際立たせる。思わず顔を見つめてしまう僕にその女子は少し俯いて顔を赤くしながら話しかける。


「石田先輩、傘忘れたのであれば私の傘、お貸ししましょうか?」


 と。制服のリボンからして、この女子は僕の1つ下の高校1年生だ。しかも、なぜ僕の名前を知っているのかは知らないが、おそらく僕は1度も会ったことがない。そんな見ず知らずの後輩が、たとえ雨の日だろうと傘を貸してくる可能性は万に一つもないだろう。なのに、加えて今日は晴れを越えて快晴である。

 これは明日、槍が降ったとしても文句は言えないくらいの異常事態だ。


「今は快晴だけど……」


 もしかすると天気を見間違えたのかもしれないという可能性を考えて、一応、現状のすり合わせのつもりで天気を確認してみる。すると後輩の頬が紅潮し、「分かってる……」と小さな声で答えが返ってきた。今の天気のことは分かっていたらしい。ならばよりいっそう動機が分からないと思い、問いかけるつもりで後輩の目を見ると、今度はさっと目を逸らされた。

 僕はこの変わった後輩にかけるべき言葉も疑問も思いつかず、後輩もこれ以上僕に何かを言うつもりはないのか、寒空の下で向き合ったまま気まずい沈黙が流れる。10秒……20秒……そして30秒が経ちそうになったところで僕の忍耐が切れたので、見知らぬ後輩のことは放って帰宅することにした。

 そして校舎入口の扉から2歩程度進んだところにある階段に足を踏み出そうとした瞬間。


「あの……相合傘とかって、興味ありますか?」


 と後ろから後輩が僕に声を掛けた。まさかこの後輩は僕を相合傘に誘うために声を掛けてきたのだろうか。相合傘といえば当然、好きな人と雨の日に楽しむイベントだ。となれば……この後輩は僕のことが好きということになるが。

 僕は後ろを振り返り、うんと手を伸ばして水玉模様の可愛らしい傘を僕の頭上に掲げた後輩の目を改めて見つめる。


「君、もしかして僕のこと好き?」


 ……なんて、面と向かって訊けるわけがない。仮に勘違いだった場合、僕の心へのダメージが大きすぎる。しかしこういうシチュエーションに遭遇したことがない僕には、どういうリアクションを取るのが正解なのか、皆目見当もつかない。

 脳内で会議が始まり、コンマ数秒のうちに様々な選択肢が脳内を飛び交う。まず、「興味がないので……」とにべもなく断る案。悪くはないが、せっかく向こうからアプローチされているのだから、役得と思ってせっかくなら誘いに乗りたいという勢力から却下される。その勢力からはいっそ相合傘を楽しめば良いという案が出るが、晴れの日に傘をさすのがこっぱずかしい勢力から却下され、相合傘は断るが是非一緒に帰りたいと言えと折衷案が出る。さらにこの後輩を幻滅させないために先輩らしさを崩さず冷静にというお達しが理性から通達され……


「相合傘はちょっと気乗りしないけど、一緒に帰る?」


 と普段より二割増しに低音なイケボ(のつもり)の声で提案すると、何が面白いのか、後輩は少し口角を上げて僕を見る。そして傘を閉じると、もしかして幻滅させたかと動揺する僕の横を通り過ぎて階段を降りた。

 ローファーの踵がコンクリートを打つ、その音が僕の心に冷たく沁みる。何か選択肢を間違えたのか、あの相合傘を受け入れていればもしくは……などと後悔の念が沸きあがり、いや、きっと今の一連の出来事は建物を出た時の温度差にやられた脳みそが見せた幻想だったに違いないという極めて合理的な結論を脳が導き出した。だってほら、後輩が立ち去っていく足音すら聞こえない。


 まあいい夢を見させてもらったということで、普段通り帰宅しますか。と後悔を押さえつけるための言葉を自分に言い聞かせつつ後ろを振り返る。


 すると、階段を少し降りたところにさっきの後輩が立っていた。


「どうしたんですか?幽霊でも見るような目をして。」

「いや、まさかいるとは思わなくて。」

「そんな数秒のうちにいなくなったらそれこそ幽霊ですね。」


 それは本当にその通りなのだけれども、この後輩にはあまりにも非現実的な意味の分からない発言をしていた過去の自分を振り返ってみて欲しいものだ。


「早く帰りませんか?帰ったら外せない予定があるので実は時間がなくて……あと石田先輩、変なイケボなんてしないで普通にしてたほうが似合ってますよ?」


 普通になんて言われても、自分に好意がありそうな可愛い後輩と一緒に帰るというのに普通でいられる男子がいるだろうか。


「ま、まあ、努力は……する。」


 と、僕は努めて冷静な声で返事をした。後輩は僕のこの落ち着かない心を察しているのかいないのか、楽しそうに笑う。

 僕が歩き出すと後輩は隣に立ってうきうきと歩き始めた。肩がぶつかりそうなほど近いこの距離に既視感を覚えるが、その正体が何なのか、僕は思い出すことが出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る