愛しい愛しい私の仔
八方鈴斗(Rinto)
愛しい愛しい私の仔
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〝それでは次。これは何に見える?〟
『ぱずる。ほいくえんにあるよ』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『こっぷ。あいりもね、パパにかってもらった』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『うーん。ねんねしてる、ねこちゃん……?』
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あの、先生。これ、いつまで続くんです?
実はこの後、
ああ。あの子、先週の誕生日に高い熱が出たもんで、誕生日ケーキを食べ損ねてるんです。だから今日の検査が終わったらパパと一緒に買ってお家で食べようね、って。そう約束してて。
いやあ可愛いもんです。目に入れても痛くないくらい。聞き分けもいいし、いつも私に向かって笑いかけてくれるし。あの子の笑顔を見れるから、どれだけ仕事や生活が大変でも耐えてこられたってもんですよ。
熱ですか? あの時は、九度台前半まで上がりましたかね。
インフルも、コロナも陰性でした。はい。ただ熱だけ。
結局、解熱剤使っていたら三日程で平熱に戻って。
ああ、それで。これあとどれくらい掛かります?
え。まだ。困ったな。
あそこのケーキ屋、夕方過ぎに行くと結構種類が減っちゃってるんですよね。あの子、自分じゃ決められないからお店で一緒に選んでって言うもんだから。
まだ掛かる。そっか――ところでこの検査、なんの意味あるんですか。
なんか抽象的な模様だけ書いた紙出して、何に見えるかだなんて。
どうとでも捉えられるじゃないですか。正解ってあるんです?
えっ、無いんですか、正解が。なんでですか?
ろーる、しゃっは? はあ。そういう検査。
いやでも、あの子まだ三歳なんですけど。
ああ。確かに三歳児検診ですもんね。そりゃここに来る子みんな三歳か。
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〝それでは次。これは何に見える?〟
『……わかんない』
〝答えてください。これは何に見える?〟
『わかんないよお、パパは? ケーキたべたい』
〝答えてください。これは何に見える?〟
『……………パパのつくえ?』
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いや、何がいいたいかって言うと――私も男だし、子育ても初めてだったもんで、ちょっとわからないんですけど。
これって、本当に三歳でやらなきゃいけない検査なんですか?
その、こんなこと言ったら変かもしれませんが。
気味が悪いっていうか。なんか、変な影響が出そうというか。
それに、どれだけやり続けるんですか。
もう十数分も続けてるでしょう。可哀想ですよ。あの子、だいぶ疲れてるみたいだし、ちょっと休ませて上げてください。
え? 疲れさせることが必要? なんなんですか、それ。
……これ、本当に、他の子もやってる検査なんです? え。全員ではない?
特定のワクチンを打っていない子が対象?
予防接種は全部済ませてるはず――ええ? 昨年から新しく? コンカプ……? 手紙が来てるはず、ですか。
いや、ちょっと覚えて無くて。来てたかなそんなお知らせ。
……え? 普通の親御さんだったら知ってる――? ……はあ、そうですか。
……ああ、でも妻がそんなようなことを何か言ってたような気がしなくも――ううん、どうだったかな。あの、実は、昨年はかなりバタバタしてたんです。
親が病気したり、……その、妻が亡くなったりしたもんで。
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〝それでは次。これは何に見える?〟
『……えほん。パパがよんでくれる』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『……んー、くるま。パパのくろいくるま』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『…………あおむし』
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ええ。そう。愛理――あの子は、母親を事故で亡くして。
亡くなって半年は、私も娘も辛くて。
子どもって良く言うじゃないですか。「ママがいい」とか、「ママじゃないとイヤ」だとか。でもママはもういないから、私が世話するでしょ。ママ、ママって泣いて暴れる娘を、私も泣きながら面倒みてました。無力感でおかしくなりそうでした。
けどね、私が仕事が忙しくて、あの子を田舎の実家の方に何日か預けたあたりからだったかな。凄いんですよ。それから吹っ切れたみたいに泣かなくなって、今や「ママ」って言うことなんて全く無くなりました。
本当に明るくて。元気で、手のかからない良い子なんです。
あの子がいたから、私もあの不幸と苦難を乗り越えられたようなものです。
なんの話をしてたっけ、ああ。それで、話を戻しますけど。
何ていうんです? こういう精神分析みたいな。
そういうのって、もっと大きくなってからやるものなんじゃないですか。いくらあの子でも、三歳児程度だと、正確な結果が出ないような気がするんですけど。
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〝それでは次。これは何に見える?〟
『あたま?』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『……あたま』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『…………あたまー』
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あ。ほら。
疲れすぎてもう適当に答えちゃってる。
いや、絶対そうですよ。全部絵柄が違うし、あんなギザギザな模様まで「頭」だって答えるのはさすがに違うでしょ。面倒くさがってるんですよあの子。
足ゆらゆらさせてるし、目もなんだか虚ろで。
ねえ、もういいんじゃないですか?
その、コンカプワクチン、でしたっけ。
それ、きちんと後で打ちに来ますから。
……あの、もう一度そのワクチンの接種票いただけたりします? あ、駄目。そうですか。すみません、じゃあ家で探してみます。え? もうやらなくていい。
三歳過ぎてからだと、意味がない?
あの。それ、なんのためのワクチンなんですか。
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〝それでは次。これは何に見える?〟
『……あたま、いたいひと』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『……あたま、けがしたひと』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『……あたま、われちゃったひと』
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ありゃ、ごめんなさい。
もうあれ完全にふざけちゃってます。笑ってるし。
ねえ、もういいじゃないですか。別にワクチン打ってなくても、すぐに問題が出てくるわけではないですもんね? 明日からまた私の職場が繁忙期で、しばらくまとまったお休みとれなくなっちゃうんです。
二人でゆっくりケーキ食べていられるの、本当に今日くらいで。
ふざける余裕があるくらいだし、発達もそんなに問題ないでしょ?
去年の検診の時は――それは、確かに他の子と比べて喋らないだとか、おむつが取れないとか。癇癪がひどいとか色々相談したとかとは思いますけど。
でも、ここ最近は本当に出来ることが増えて。
え。まあ、どうですかね。急に成長し始めたの――ここ半年くらいですかね。
はい。それで先週、高熱でした。三日間。
いわゆる知恵熱というか、急に成長したからお熱になったのかなって。
寝てる時? たまに、明け方にぐずること。あった――かもしれません。
はあ? 目がせり出て見える時がなかったか?
え、ちょっと何言ってるんですか。そんなの。
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〝それでは次。これは何に見える?〟
『……いやだ! ――ママっ!!』
〝答えてください。これは何に見える?〟
『やだっ、やだっ、やだあっ、やだあああっ!!』
〝答えてください。これは何に見える?〟
『――あたま、われちゃった。ぱちんって。けーきなの、ああはああははははあ』
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……えっ!?
愛理ちゃーん? どうしたの? 愛理? 大丈夫ー!?
おかしいな、 ママのこと言い出すなんて。なんで今さらになって?
いや、本当に最近全くなかったんですって。
先生、これってこっちからの声、部屋に届いてます?
届いてない? いや、オンにしてくださいよ。無理? あのですね、それじゃあ一度検査を中止してください。なんかあの子、変になってきてるじゃないですか。
あんな笑い方するの、家でだって見たことない。
こんな長い間、狭いところ閉じ込めてるからでしょ。児童虐待じゃないですか。
なんですそんな難しい言葉使って。国からの許可を得てる?
あのですね。さっきから私がシングルの男親だからってバカにしてませんか?
私だってこの一年、必死でやってきたんですよ。なんなんですか、その言い方。
ワクチンを一つだけ打ち忘れたくらいで。
こんな扱い絶対、絶対におかしいでしょう。
私が子どもの頃だって、こんな検査やった記憶ないですよ。
昨年から施行? いやだから、私、本当にそれどころじゃなくて。
本当にあの時は、過労死一歩手前までいってたんですよ。それくらい大変で――
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〝それでは次。これは何に見える?〟
『……なかにね、けーきがね、うねうねうねってね。むしさん――』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『……ママじゃないといや!! ――でもね、きれいなんだよ――ママあっ!!』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『――すごいみえるの。うしろまで。あたまがくすぐったいの、すっきりする』
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愛理? 愛理? 愛理!? 大丈夫だよ、パパがいるよ!!
……お願いです、先生。あの部屋の扉、一度だけ開けてください。
ね? もういいじゃないですか。検査は後日、必ずまた受けに来るんで。
今日だけは、本当に今日だけは許してもらえませんか。
今日だけ、なんです。
はい? ハリガネムシ? 冬虫夏草? ロイコ、クロリ、ディウム?
えっと、何言ってるんですか?
寄生虫? 似てるって、何が。生態? え? 虫下しを飲めってことですか?
違う? そういうことじゃない。
はあ。じゃあ、どういうことなんですか。……変異?
それに感染すると、少しずつ脳が真菌に置き換わっていく。
発症してから、二週間ごとに、約8.15%ずつ?
え、ちょっと待って。治るんですよね。それ。
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〝それでは次。これは何に見える?〟
『マ゙マ゙あ゙ああああああ たすけてえ゙ええええええ――ちがうの、へいきだよ』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『けーき、これからパパとかってね、おうちでたべるんだ――い゙やあああああ』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『マ゙マ゙あ゙、マ゙マ゙、マ゙マ゙あ゙ああ、――ねえ、パパ。きれいないろがね、にじみたい』
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愛理――っ! 愛理――っ!
ちょちょ、ちょっと先生、どこに電話してるんです。
なんですか劇症型の恐れって。待ってくださいよ。
治るんですよねこれ。ね、ね、ね。そうですよね?
これからお薬を貰って、普通に飲んでちょっと休んでいれば、愛理は良くなるんですよね。ね、そうなんでしょう。そうって言ってくださいよ。お願いです。
今日は、愛理が楽しみにしていたケーキを買って、お家で食べる約束なんです。
そう、あの子と約束したんです。
ちょっと、先生。待って。
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〝それでは次。これは何に見える?〟
『――マ゙マ゙あ゙っ、マ゙マ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙、マ゙マ゙あ゙っ』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『マ゙マ゙あ゙っ……だずけっ……な゙ん゙で……な゙ん゙で……』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『な゙ん゙で……だずげ、で……ぐれな――じゃなくてね、パパ』
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脳が置き換わるって、どういうことなんですか。
苦しみを感じるけれど、それを表現できない状態?
沈んだ当人の意識を、表面化させる唯一の手段?
だからこの方法で、検査をする必要があった?
え? え? え? もっと、噛み砕いて、せ、説明をして――
大脳新皮質の、半分以上が、置き換わりが済んだあたりで。
〝愛される振る舞い〟をし始める? 本人の気持ちとは無関係に?
身近な人間の庇護欲をかきたてて、養育してもらうための、真菌の生存戦略?
――――――――――――――――――――――
〝それでは次。これは何に見える?〟
『……パパ。たのしみだよ』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『ケーキ。パパといっしょにたべよ』
〝それでは次。これは何に見える?〟
『パパがえらんでほしいな。わたしのぶんも』
――――――――――――――――――――――
終末期を迎えると。
本人の意識はほとんど無くなって。
そうなると、生物学的には、もう、別の存在?
――――――――――――――――――――――
〝それでは次。これは何に見える?〟
『パパ、だいじょうぶ? ぐあいわるいの?』
――――――――――――――――――――――
いや、いやいやいや。
え、待ってください。
私、約束したんですよ。
愛理は、わがまま言わない、元気な、良い子で。
私の全てなんです。
愛理が私の、全てで。
愛理がいたから、私は全部耐えられたのに。
あの、先生。
私が、約束した相手は。
私の子、なんですよね。
それとも、ただの――、
ちょっと先生。どこいくんですか。
どうすればいいんですか、私は。
置いていかないでくださいよ。
私たち、この後、すぐに帰れるんですよね?
愛しい愛しい私の仔 八方鈴斗(Rinto) @rintoh0401
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