第二十七章 再生の音がまた町に響いて
六月も下旬になると、博多の町は陽気に包まれていく。
「
古御門骨董店にやってきた伊吹総七郎が、笑顔で解説してくれた。
「七月になると、博多の男たちは山笠を担いで博多中を練り歩いて走り回るんです。町中の人たちがそれを見て応援する。そりゃあ勇壮な景色ですよ」
「それは楽しそうですね。ぜひ、見てみたいです」
「ええ、楽しいですよ。駆け回る山笠を囃し立てながら、水をぶっかけるのがこれまた楽しくてね、ははは」
「水を、かけるのですか。いいのですか、そんなことをして」
「山笠を担いでいるほうも暑いですから、水をかけられたほうがいいんですよ。僕も昔、まだ仕事をしていなかったころは山笠に出ていたから分かります。……ねえ、古御門さん、今度はみんなで、山笠に水をかけまくりましょうねえ」
「なぜそんなに楽しそうなんだ、お前は。手前は見物だけで充分だ。お前ひとりでかけろ」
「つまらないなあ。古御門さんがはしゃぎ回りながら、山笠に水をかける姿、きっとさまになりますよ。町のみんなも、あら悪魔さんが楽しそう、明るい悪魔だったのねって見る目が変わるかも――」
「明るい悪魔。そんな二つ名になるくらいなら、いまのままでいい」
(物見さまが、楽しそうにお祭りに参加して、水をかけまくる姿……)
万葉子は空想した。
思わず、口元が緩んだ。
「待て、万葉子さん。いまなにを空想した」
「いいえ、私はなにも? ええ、なにも考えておりませんとも」
「いや、その顔はなにか考えた顔だ。だめだ、だめだ、却下だ。空想は禁止だ。……それよりも、午後に出す婚姻届と祝言の用意をだな」
「おお、婚姻届。古御門さん、万葉子さん、ついに提出されるんですね。いや、本当におめでとうございます」
「ありがとうございます」
「ああ、うむ。……ありがとう」
古御門物見にしては、素直な反応だった。
万葉子は笑顔で、夫を、本当に夫となる相手を見つめた。
心の傷はまだかさぶたになった程度だ。
一連の事件で失ったものは、万葉子にとってあまりにも大きすぎた。
(それでも、立ち上がっていける。物見さまと一緒に、この町で)
店の外から、なにやら威勢の良い声が聞こえてきた。誰かが吹いたのか、笛の音が聞こえてきた。婦人たちの立ち話が聞こえる。子供たちが駆けていた。音の多い町が、しゃがみこんでいた万葉子の心を励ましてくれる。ゆっくりとだが、それでも少しずつ、確実に。
「ああ、ついに古御門さんが結婚かあ。ねえ、その婚姻届そのものが無念骨董にならないよう、気をつけてくださいよ。万葉子さんは素敵ですけれど、古御門さんはわがままだからなあ」
「よく言った。お前が年老いて亡くなったら、伊吹総七郎の遺骨を無念骨董として人類の終わりまで語り継ぐように手配してやろう」
「怖い。怖いですよ、古御門さん。やだなあ、冗談なのに、あはは……」
「手前は本気だ。なにしろ、悪魔だからな」
「そして私はその妻、ですね」
万葉子はにっこりと笑って、古御門物見の隣にそっと立つと、
「これからはずっと一緒ですもの。つまり一心同体。伊吹さん、私の夫の悪口を言うと、たとえ冗談でも悪魔の妻が許しませんよ」
「あはは、参ったな。こりゃ怖いや。万葉子さん、古御門さんみたいになってきていませんか?」
「ええ、だって、夫婦は似ていくものですから」
万葉子は、会心の微笑を古御門物見に向けた。
「そうでしょう、あなた?」
「そうだな。万葉子さん」
古御門物見もまた、熱っぽい瞳を向けてくれる。
数多の無念が、心の中に土壌として形成されている。
それでも確かな愛が心の中に芽生えていく感覚。
(幸せ。あなたのような人に巡り会えて)
これからも、無念骨董にまつわる事件に、古御門物見はきっと立ち向かっていくのだろう。
けれども確信をもって言える。自分の姿も、その隣にいるのだと。
(物見さま。私は、あなたとずっと、ずっと一緒です)
いま、少なくともいまこの瞬間だけは、万葉子はあらゆる苦悩から自由となり、愛情そのものを抱きしめていた。
<完>
―――――――――――
これにて「大正レグレットミステリ」全27話、完結です。
面白かったと思っていただけたら、星、応援、レビューなどをくださればと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
大正レグレットミステリ 没落華族の令嬢は悪魔と呼ばれた男爵と共に謎解きを 須崎正太郎 @suzaki_shotaro
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