影絵
sorarion914
人形
(すっかり遅くなってしまった……)
私は暗い夜道を急ぎ足で歩いていた。
新しい職場へ移動が決まり、転居先のアパートに移り住んでまだ二カ月。
土地勘もなく、知り合いもいない町でひとり暮らすのは心細いものだ。
しかも、赴任先の職場では人手が足りず、配属されてからは連日のように残業を強いられる。
(まったく……冗談じゃないわ)
いくら自分がまだ若いとはいえ、こう毎日ではさすがに疲れてしまう。
帰宅しても、疲れて何もできやしない。
食事して、お風呂に入って寝るだけ。
見たいドラマも見れないし、休日だって疲れて何もできない。
ストレスが溜まる一方だった。
(あぁ、嫌だ嫌だ)
その上今日はトラブル続きて、もう夜の9時を過ぎている。
こんな夜道。
若い女が1人で歩いてて――もし何かあったら、会社は助けてくれるのだろうか?
私は心の中でブツブツ文句を言いながら、足早に歩いていた。
駅からアパートまで。
歩いて20分はかかる。
いつもなら、車が通る広い道を歩くのだが、この時は早く家に帰りたい気持ちが強く、夜間は通ったことがない住宅地を抜けることにした。
ここを通れば少しは短縮できる。
一軒家が並ぶ狭い路地に入る。
昼間に何度か通ったことはあるが、こんな夜更けに歩くのは初めてだった。
(ここを抜ければすぐだ)
私は急いで路地を通り抜けようとして———―
ふと、足を止めた。
ある一軒家の前を通り過ぎようとした時、視界の隅で何かが動くのを見たのだ。
(え?)
私は目を疑った。
窓の障子に、人が吊るされてるシルエットが映っているのだ。
それが、ゆら~んゆら~んと揺れている。
「ちょっと……ウソでしょう?」
私は思わず声に出してしまった。
あの障子の向こうで、誰かが首を吊っている!
そう思った瞬間、私は考えるよりも先に110番してしまった。
「人が首吊ってます!」
その後、駆けつけた警官と共に住居の確認をしたが、出てきた家の住民は苦笑しながら「すみません」と、なぜか頭を下げた。
「あの部屋、おじいちゃんの部屋なんですが……ぶら下がっているの、人形なんです」
そう言って障子を開いてみせると、そこにはビニールで作った等身大の人型が、窓枠に紐で括られぶら下がっているだけだった。
「紛らわしいからやめてって、何度も言ってるのに……おじいちゃん、ちょっとボケちゃってて。気にしないで下さい。いつものことで。近所の人も、みんな知ってますから」
人の好さそうな中年女性がそう言いながら、駆けつけた警官と私に笑ってみせる。
「なんだ……脅かさないで下さいよ」
「すみません。私の早とちりで」
申し訳ない気持ちになり、私は警官と中年女性に頭を下げた。
警官は、「なんでもなくて良かったですよ」と笑ってくれたが、穴があったら入りたい心境だった。
その後も、私はたびたびその家の前を通って帰ることがあったが、分かっていても見るたびにギョッとなった。
事情を知らずに見た人は尚更だろう。
(脅かすつもりでぶら下げてるとしか思えないわ)
痴呆気味の老人らしいが、悪趣味としか言いようがない。
それを許している家人もどうかしている。
窓を障子ではなく、厚手のカーテンとかにすればいいのに……
そう思いながら、私はその日も帰宅が遅くなり、近道のため狭い路地へと入っていった。
――あの家の前を通りかかる。
すると。
いつもなら、ぶら下がっているはずのシルエットが今日は見えない。
(あら?)
不思議に思い、私は立ち止まって障子を見つめた。
明かりがついているので、人はいるのだろう。
(あの人形、どうしたのかしら?)
さては、苦情でも来て撤去したんだろうか?
だとしたら、ヤレヤレだわ……そう思い、肩を竦めて立ち去ろうとした時。
障子の向こうで人影が動くのが見えた。
それは――背を丸め、両手を前に突き出しながら、何かもがいているように見える。
(?)
まるで影絵の様なその仕草に、私は障子をじっと見つめた。
その影はもがきながら、今度は両手を上に掲げて天を仰いでいるように見えた。
そのまま、何かを掴んで上体を大きく上へ伸ばす。
が。
次の瞬間。
大きな衝撃と共に、シルエットが窓枠にぶら下がり、ゆら~んゆら~んと大きく振れた。
「ヒッ!!」
私は声にならない悲鳴を発して、思わず口元をおさえた。
ゆら~んゆら~ん――と。
窓辺に揺れるシルエットは、いつも見ていたあのシルエットだ。
でも――
なにかおかしい。
あれは本当に、人形だろうか?
今の動きはまるで……
――私はしばらく無言でその様子を見ていたが、急に怖くなって、逃げるようにその場を後にした。
これ以降、私は一度もその道を通ることがないまま、別のアパートに転居した。
******
これは後日。
近所の人に聞いた話だけど。
あの家のおじいさんは、もうずいぶん前に亡くなったという。
家には中年女性が1人で住んでいて……その女性が、あの部屋に人形を吊るしていたのだそう。
おじいさんが首を吊った、同じ場所に―――
……END
影絵 sorarion914 @hi-rose
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