たった一つの物語が、千差万別の姿で心に立ち上がる――
そんな経験は、きっと誰もが一度はしているはず。
このエッセイは、「物語とは何か」を言語の根底から分解し、
言葉、文字、文、そして読書という営みのすべてを
丁寧に、時にユーモラスに、そして鋭く解きほぐしていく。
目に見えない物語の正体はどこにあるのか?
紙の上? それとも書き手の頭の中?
――いいえ。
その答えは、読む人の中にだけ、ひっそりと生まれる。
書かれた文字の音や形、
順番、間合い、使われる文体や句読点の位置までもが
読者の心と結びつき、そこにしかない世界を立ち上げていく。
しかも、その世界は誰にも覗けない。
あなたの中にだけ現れる、唯一無二の物語。
「オデ イヌ 好き」という、たった三語の語順の違いすら
感情の波を変え、登場人物の輪郭を描いてしまう日本語の特性。
「売ります 赤ん坊の靴 未使用」によって、
ページに書かれていない物語までもが流れ込んでくる瞬間。
それらはすべて、読者自身の内側から生まれる。
読書とは――
人間という『再生機』が、自分の中だけで物語を起動する行為なのだ。
これは、読む人すべてに贈る知的な『再発見』の旅。
物語に触れたことがあるすべての人に、ぜひ読んでほしい。
最初から最後まで、とても興味深い内容でした。
語順の話、文字の持つ意味の話、言葉と文字の話、なるほどと思うものばかりで一気に読んでしまいました。
文体も柔らかくて読みやすく、くすりと笑えるところもあり、とても面白いです。
個人的に、『本を読むというのは個人だけの体験』というのはなるほど全くその通りだと思いました。
挿絵や現物などが全くない状態の文章を頭の中で像にしたとき、どれほど緻密に描写されていたとしても、きっと全く同じ像を結ぶことっておそらくないですもんね。
そんな「うんうん、なるほど!」という、物語の分解図、ぜひ皆様におすすめしたい作品です。
幼児向けのことばの絵本なんかを見てみると、擬音語や擬態語の持つ印象を、音とリズムで表しているものが多くあります。「もちもち」とか「つんつん」とか。笑い方も「げらげら」とか「くすくす」とか。まずはお母さんの膝の上で、その音を沢山、読み聞かせてもらって。あいうえおの文字を習うのは、小学校からですね。
やはり、音(意味)→文字→文→文章と段階を経て理解し、読解力はついていくのだなぁ~と。
英語なら、先ずはフォニックス(音)が重要なのに、日本ではいきなりABC(文字)から教えるから、みんな馴染めなくて覚えられないんだろうな~と思ったりします(笑)
本論考は「物語分解図」と題されていますが、まことに勝手ながら評者は本論考を物語について語ったとは見ていません。
カクヨムに投稿される作品群が等しく自身の土台にするもの、文字というメディア(媒体)について述べたものだと見ています。
人間には物語を語る媒体として、文字以外のものは扱いがたく、文字に頼らざるを得ません。しかし画像や映像や音声と異なり情報量が少ないことは否めません。
昔ならいざ知らず、コンピュータという「他の情報と区別するために必要な情報量が掛け値無しで露わになってしまう機械」が登場したことで、文字は画像や映像や音声より小さなデータで届けられることがバレてしまいました。カクヨムは動画配信サイトより「軽い」のですから、気づかないうちに恩恵にあずかっている(スマホからお読みの皆様にとって通信制限に優しい)のですし。本レビューもデータが増えないように話を進めないと……
データが少ないはずの文字の連なりだけで、どうして皆が興奮し感動する物語を伝えることができるのか。その手品のタネを明かす試みが本作で進みます。
どんな内容かって? それは御本人による解説、つまり本文をどうぞ。
まず書き手を目指すなら目を通すべきです。たとえ批判して持論を構築するにしても、一度読まなければ始まりません。また読み専にとっても批評眼の助けになると見込まれます。それほど内容が濃い論考です。
手品は、騙されるだけでも面白いですが、タネを知ってから見るのも興味深いものです。ひと味違う、小説の鑑賞法を得られます。