わたしは砂糖菓子のように甘い

西しまこ

息子たちより大事なものは何一つない

 わたしはどうも、息子たちに対して、砂糖菓子のように甘いようだ。


 スマホの管理もしていないし、そもそも部屋のゲーミングPCがあるし(ただし、これはお年玉等を貯めて自分で買ったんだよ)、使用制限もテスト前しかしていない。「勉強したら?」とは言ってみるけれど、成績が悪くて怒ったことは一度もない。

「友だちと出かけてくる」の友だちの名前を教えてもらっていないけど、「いってらっしゃい!」と送り出す。ちなみに、「どこに行くの?」と訊いても「渋谷」という答えのみである。まあいいや。楽しんで来てね! という気持ち。


 そもそも、スマホやゲームの管理をしたところで、監視の目をかいくぐってどうにかするものである。「勉強したら?」とは言うし、勉強するメリットデメリット、勉強しないメリットデメリット、将来のことについてのわたしの意見は述べるけれど、結局勉強するのは本人なのだ。本人がやろうと思わなければどうしようもないとわたしは思っている。いつかやる気になればいい。その「いつか」は来ないかもしれないけれど、生きているのだから、いいではないか! とわたしは思っている。


 世の中に溢れている教育論が大嫌いだ。

 あんなふうにうまくいくなら、誰も苦労はしない。あれはうまくいった例であって、うちみたいに「ちょっと特殊なケース」は手探りでいろいろやっていくしかないし、そもそも、子どもは、もともと持って生まれた花の種を咲かせることしか出来ないのであって、たんぽぽの子に薔薇になれと言っても、それは不可能なのである。親がどうこう出来るレベルの問題ではない。たんぽぽだろうが菫だろが薔薇だろうが百合だろうが、ともかくその子の花を美しく咲かせればいいだけ。

 強制は不可能である、と悟っている。

 どんな花でもいい。

 まっすぐに太陽に向かって咲いていれば。

 あ、でも、ときどき萎れることがあるんだよ。

 そういうときは寄り添うしかないけれど、暴言はかれることもあるからなかなかしんどい。出来るのはそばにいてあげることだけ。


 子どもが中学生くらいになったら、親が出来ることは非常に少ないと思う。

 出来るのは、ほんとうに、毎日ごはんを作ってあげることくらい。

 おいしいごはん。

 それだけで、きっと元気をあげられる。


 友だちの名前を教えてくれなくてもいい。

 一応、「どんな友だち?」とは訊くけれど。

 オフ会しに行くこともあるけれど、心配はあるけれど、信じて送り出す。

 でも、妄想女王のわたしとしては、「もしかして騙されていたらどうしよう? 闇バイトに誘われたり。或いは、変なモノを買わされたり、宗教勧誘されたり。……誘拐されたり!? 何しろ、うちの子はすごくかわいいし優しいし、人がいいから、騙されちゃうかもしれない」と、帰って来るまで、あらゆることを想像するけど。

 

「でね、闇バイトに誘われたり変なモノを買わされたりしたら、どうしようって心配していたんだよ。誘拐されたりとか。もし変だったら、すぐ逃げて来てねって言うのを忘れたって思ってたの」

「……ばかじゃない?」


 遊びに行く息子を駅まで送り迎えするわたし。

 朝も、「朝だるい」と言うと、「大丈夫! 送って行ってあげるよ!」と送って行く。電車が止まっていたときは、学校までドライブした(仕事がなかったので)。

 帰宅時間になるとそわそわして、連絡があるといそいそと迎えに行く。


 ちょろいです!

 友だちは「送り迎えは甘やかしだから、絶対にしない」と言っていたけれど、わたしはちょろいので、自分が仕事の日でも、高速で用意をして駅まで送って行く。

 小学校の頃は宿題を手伝ってあげたりもしていた。

 理由は、その宿題が無意味に思えたからなんだけど、でも、ほんとうは自分でやらせた方がいいんだよね。でも漢字をノート一面埋めるとか、音読とか、意味あるのかな? ってうっかり思ってしまって。


「なんで、覚えてる漢字を書かなきゃいけないんだよ」

「謎だよね。汚い字で書いておいてあげよう!」


「音読、めんどくさいんだけど。覚えちゃってるし」

「それは音読じゃなくて暗唱だよね。意味ないよね。適当に書いておいてあげるよ」


 ……すみませんすみません!


 遊びに行くと言われれば、お金をあげるし(バイトしていないから)、漫画と本はかなり自由に買っているし、アニメも長時間一緒に見ている。

 漫画やアニメが禁止のうちもあると知り、わたしはこれでいいのか? と自問したけれど、まあいいかと思って、今に至る。


 ……すみませんすみません!


 多くの家では「中学生までは課金禁止なの」らしいけど、我が家は課金している。でも、それは「このくらいならOK」とか、お年玉や祖父母にもらっているお金の範囲だからいいかと思って。そもそも、他に何か欲しいものってないらしいし。その「欲しいもの」が、大人の価値観に合わない、仮想現実のものでもわたしはいいと思っているんだよね。


 子どもには子どもの価値観があって、それは尊重してもいいのかと。

 ……でも、甘いよね。

 甘すぎる! 砂糖菓子のようだ!! たぶん、いや、絶対!


 だけど、わたしは砂糖菓子のように甘い自分をやめることは出来ない。

 

 子育て、全然上手に出来ないけれど(砂糖菓子だし)、「無償の愛」なんて分からないけれど(時に激怒する)、彼らが、毎日笑っているといいな、と思う。

 全然、予定通りに行かなくて、「教育論」通りにはならないし、究極のところ生きていればいいと、本気で思っている。


「毎日学校に行っていて偉いね!」

「でしょう? もっと褒めていいよ!」


 結局のところ、わたしは、自分がして欲しくてしてもらえなかったことを、やってあげている。

 わたしには褒められた記憶があまりない。

 我ながら実にいい子だったけれど、「いい子」がデフォルトだったので、「いい子」から外れると、存在価値が無かったのだ。

 でもさ、生きていて学校に行っているだけで偉いんだよ。いいじゃない、それで。

 砂糖菓子のように甘いわたしだけど、そうしか出来ない。


 わたしは、「わたし」でありたかったし、その「わたし」を親に理解して欲しかった。でも理解してもらうことは叶わなかった。

 だから、出来るだけ、理解してあげたい。

 完全理解は無理でも、否定しない、絶対に。


 自分の好きなものを、何一つ買ってもらえなかった。

 いつも、親の意志が介在したものしかもらえなかった。

 友だちづきあいも難しかった。

 親の気に入った子とのつきあいを勧められた。

 大学生になってバイトするまで、友だちとどこかに行く経験がほとんどなかった。

 なぜならば、お金をもらえなかったから。

 当日いきなり「駄目だ」とお金をもらえなかったこともある。

 

 だからわたしはずっと、金銭的に自立したかった。ものすごく。

 自由になりたかった。

 お金で、わたしを縛らないで欲しいと思っていた。


 あのころの、惨めな思いを、息子たちにさせたくないという思いが強すぎて、友だちと出かけると言われると、楽しんできてくれるといいなと思って、お金を渡し、駅まで送り迎えしてしまう。

 どこで誰と何をしていたのかは、ほとんど話してくれないけれど(笑)。

 だけど、帰って来たときの顔を見て、安堵する。もしくは嬉しくなる。

 楽しかっただろうことが分かって。


 わたしは小さい頃、おいしいものが食べたかった。

 だけど、わたしの母が料理が苦手で嫌いだった。

 ずっと、毎日のおいしいごはんに憧れていた。

 何でもない毎日の、特別じゃないけれど、おいしいごはん。

 それが、食べたかった。


 だから、わたしはわたしの家族においしいごはんを作る。

 毎日のごはんに一番お金をかける。

 外で嫌なことがあっても、ごはんがおいしいと、また頑張れる気がするから。

 


 わたしは、息子たちを一人の人間として尊重し、彼らの自主性を尊重したいと、幼い頃から強く思っていた。その思いが、彼らを信頼し、過度な規制をしないことに向かわせる。

 ゆえに彼らはとても自由だ。

 幼い頃から、欲しいものを買ってあげていたので(節度はあるけど)、どうも彼らには物欲があまりないようだ。「羨ましい」という気持ちすら、希薄であるように思える。

 わたしは高校生くらいから家を出たくてたまらなかったけれど、どうもずっと家にいたいらしい。……それはちょっとどうかと思うけれど(笑)。家にいた方が楽なんだって(笑)。砂糖菓子のように甘いからね!


 砂糖菓子のように甘いけれど、譲れないことはある。

 三つの大事なこと。

 1.犯罪に手を染めない

 2.借金をしない(保証人にもならない)

 3.自立して生きる


 2の「借金をしない」に関しては、住宅ローンならいいけど、車くらい現金で払ったら? と話している。ゆえに、大学を行くにあたって、給付型以外の奨学金は借りない。三つの大事なことに反するから(これはそれぞれの家庭の事情があるよね。我が家の場合です)。


 わたしには、3つめが最も大事。

 就職してお金を貯めたら、家を出ていくように伝えている! 

 わたしは砂糖菓子のように甘い。

 だけど、自立して生きていける人間に育てたいのだ。とても難しいけれど。そして、この辺りはまだ手探りなので、出来るかどうか分からないけれど。


 スマホの管理もゲームの管理もしていない。勉強しろと厳しく言うこともしない。宿題をしてなくても怒らない。

 でも、自分のお弁当箱は自分で洗わせているし、水筒も各自で用意させている。自分の洗濯物は自分で畳んでしまう習慣だし、大掃除は当然みんなでやった。洗い物の手伝いもしてもらうし、お風呂の準備は長男担当だ(お風呂好きだから)。

 そして、時々ごはんを作ってもらっている!

 わたしがインフルエンザで寝込んだとき、ごはんを作ってもらったり洗い物をしてもらったりした。その他家事も。


 だからもういいよねって思っている。

 スマホもゲームも自分で管理していくしかない。

 お金の使い方も、自分で学んでいくしかない。仮想現実にお金を使う時代の子なんだよ。



 砂糖菓子のように甘いんだけど、この甘さをあたたかさとして、心と身体の深いところで覚えていて欲しいと願っている。

 わたしが作った、甘い空間は、大きくなった子どもたちが、いつか外で傷ついたとき、羽根を休める基地であるといい。ずっと、そう思っている。


 ずっと大人になっても、親鳥が雛をぐくむように、ぐくんでいてあげたい。

 目には見えない羽根で。




 いつまで一緒にいられるかな?

 その、一緒にいられる時間ずっとずっと、わたしはきっと砂糖菓子のように甘いままなのだろう。


 それでいいや。

 



        了



 

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