02
断れないんですか? と問えば、断れないんだよねぇ、とだらりとした答えが返ってきた。
日曜日、本日も麗らかとは言い難い曇天。私は相変わらず暇な時間を賃金に変えるべく、荊禍邸(という名目の心霊アパート)で四川風麻婆豆腐を作っていた。
甜麺醤を買っても使い切る自信がなくて、挑戦できなかったレシピだ。調味料、調理器具含む材料費は全て栖さん持ち、とのことなので、私は好きなレシピを好きなだけ試せる。そこだけは素晴らしいバイトだと思う。
ちゃちゃっと強火で仕上げた麻婆豆腐に、胡椒と山椒をふって中華卵スープと共にテーブルに出す。春菊とキノコのナムルも添えたところで、丁寧に手を合わせた栖さんはいつものようにもぐもぐと咀嚼しながら、私のなぜなぜ攻撃に答えてくれた。
そう、私は学習したのだ。話してくれるまで待つのではなく、ぐいぐいと質問するべきだ、と。
栖さんは決して極悪人ではない。しかしながらとにかく面倒事は手をつけようともしないし、訊かれない事は基本的に話さない。悪気があるわけではなく、シンプルに、本当にただ単に、面倒くさがりなのだ。
「ぼくの仕事は基本的に二種類あってねぇ。趣味と実益を兼ねてというか、暇つぶしお小遣い稼ぎにやってるのが、さゆりんちゃんみたいな『一般の人』からの呪われ代行依頼なのよ。んで、本業が、こっち」
と言って、栖さんは人差しを床に向ける。つまり、この場所に住むことを指しているのだろう。
「ええと……ということは、栖さんに物件を紹介して住んでもらっている人は、『一般の人』じゃない、ってことですか? 不動産屋さんとか、そういう企業の方?」
「あれ、こまどちゃん、みっちゃんに会ったでしょ? 名刺もらってないの?」
「みっちゃん……」
だれ、それ。
と首を傾げそうになってハッとする。私が最近、というか昨日、栖さんの言いつけでご挨拶したスーツの男性の名前は、シノミツさんだった。
みっちゃん、とは、おそらくシノミツさんのことだ。
……しーさんとか、しのさんとかじゃないんだ……。うすうす気が付いていたけれど、どうも栖さんは、あだ名をつけるセンスがおかしい。
「シノミツさんには確かにお会いしましたけど。あ、そういえば部屋の中でネズミが死んでいたり蝙蝠が巣くっていたりしていて、入った瞬間シノミツさんが業者さんに電話をかけたりなんだりと大変な騒ぎで、結局名刺をいただくタイミングがなくて」
「はぁーみっちゃん、わりとねぇ、しっかりしてそうで間抜けだったりするんだよねぇ、ぼくに言われたかないだろうけどねぇ。えーと、あるある、持ってるよ、みっちゃんの名刺」
ごそごそと壁際に置いてあるリュックの中身を漁った栖さんは、よれよれの紙きれを取り出した。なんだかとても汚れているし、湿気でわしゃわしゃしているそれを、つまむように受け取る。
企業ロゴや、細かい連絡先の記載はない。名刺としての意味はあるのだろうか、と大学生の私でさえ疑問に思うほど、情報が足りていない。
穢土調整課
シノミツ
記載されている文字は、この二行のみだった。
漢字すらもわからない。下の名前もわからない。連絡先も、管轄もわからない。……これ、本当に名刺なの?
ある程度のびっくりには慣れてきた私といえど、さすがにからかわれているのでは、と不審全開な視線を送ってしまう。
大きな口にナムルを放り込んだ栖さんは、副菜もおいしいね~と一度私の料理を褒めた後に、いつものだらりとしたテンションのまま箸で名刺を指した。
「あーそれね、普通の人が見ると、もうちょい普通に見えるらしいよぉ。市役所とか都庁とか、なんかそういう役職の下っ端みたいな所属が書いてあるっぽい。ぼくは普通じゃないからわかんないし、残念ながらこまどちゃんも普通じゃないから、みっちゃんの本当の役職が見えちゃうわけだ」
「穢土……って、ええと……なんでしたっけ? 仏教、です? なんか……穢れて汚いこの現世、みたいな意味じゃ……」
「博識~。ググらないでいきなりそういうの口から出ちゃうのが、こまどちゃんがただの大学生とはちょっと違っちゃうところだよねぇ、そういうところすごく良いと思うけどね」
「栖さんに褒められると正直、微妙な気持ちになります」
「わは。辛辣。そういうとこもぼくは評価しています。んで、穢土調整課っつーのはたぶん造語だし、定期的に名前変わるし、勿論ググっても出てこない。現世っていうよりは字面そのまま『穢れた土地』を指してんじゃないのかなぁと思うけど、前回の名前は『お清め相談課』だったからね、穢土調整課の方が格好良くていいと思うよね!」
「え、すいません、全然わかんない……つまり、えーと。シノミツさんは、何者なんですか?」
「何者だろうね。うーん、実はぼくもよくわからない」
「は?」
ああ、また渾身の『は?』を繰り出してしまった……。
今の私の声も表情も、普段の私しか知らない人たち――例えば宇多川さんとか――が見たら、本当に三歩くらい引いてしまうだろう。
結構凶悪な声で『何言ってんのこのひと』感を出したにも関わらず、栖さんは相変わらずにやにやと笑っているばかりだ。
「怖い顔しなさんなよーいやぁ、実はぼくもみっちゃんの所属する機関に関しては全部を把握しきれていないわけよ。本人はしがない下っ端公務員ですよ、としか言わない。下っ端なのはそうなんでしょうよと思うけどね、管轄が市なのか都道府県なのかはたまた別の機関なのか、さっぱりわからない。まあ、とにかく、この正体不明の穢土調整課って奴は、ぼくみたいな人間を何人か管理していてねぇ……そんで、定期的に穢れを祓うために、汚れた土地に居住させるんだよ」
「え、そんな……除湿剤じゃないんだから……」
「いやぁ、言いえて妙だぞ、除湿剤。うん、そうだね……ぼくたちはたぶん除湿剤なんだ。嫌な湿気(けがれ)を、集めて部屋(とち)をきれいにする。ぼかぁ他の『同業者』には会ったことがない。だから、他の奴らがどうやって穢れを浄化してんのか、それは知らない。ぼくに関してはこまどちゃんも知っている通り、そう、午前二時のお食事だね。ま、ぼく自身も結構幽霊ホイホイな体質ではあるんだけど――」
「そういえば、栖さんに憑いているモノって……」
「あー。だめだめ。アレ、わりと強いから、あんま話題にしない方がいい。由来とか知るのも良くないタイプの奴だから」
そう言われてしまうと、それ以上はなぜなにと突っ込めなくなってしまう。
でも、確かに私が知ってもどうしようもないことだ。例えば栖さんに憑いている『なにか』ではなく、栖さん自身にお祓いの能力があったとする。どこで、どうやって、なんでそういう力を手に入れたんですか? と私が詰め寄り、事細かに説明されたところで、私はほんのちょっとの知識欲が満たされるだけで、他に何がどうなるわけでもないだろう。
荊禍栖は霊感体質で、穢れを喰う何かが取り憑いている。その何かのおかげで、彼はとある団体に管理され、定期的に穢れた土地(たぶん、心霊現象がひどかったり、不可思議なことが多発する場所だと推測される)に一定期間居住する。……それだけわかっていれば、私の家政婦バイトに支障はない気がする。
「なんとなく理解しました。ええと、つまりシノミツさんは日本の穢れた土地をどうにかすることが目的の団体の下っ端構成員で、栖さんは除湿剤なんですね」
「ンッ。……そのまとめ、合ってんの? いや、合ってんのか……。あ、ところでこまどちゃん、みっちゃんの顔、どう見えた?」
……にやり。目を細めながら栖さんは私に問う。
結局昨日、名刺ももらえなかったし、シノミツさんのお顔について、ご本人に質問する機会はなかった。
「どう、と、いうか。……えっと、紙を――真っ白な、A4サイズくらいの紙を、顔全面に貼っている、男性、……に、見えましたけど……」
「ほーん。結構きれいな見た目じゃないの。紙かぁそうかー、和紙かねぇ。それならこまどちゃんは、神事方面の力が強いのかねぇ」
「え。栖さんには別のお顔に見えるんですか?」
「顔っつーか、まあそうね。みっちゃんはさぁ、名刺と一緒で顔にもそういう呪をかけてんの」
――呪。
これは単純な『のろい』という意味ではない。どちらかというと、呪文とか魔法とか、そういう意味合いの言葉だ。
「一般の人には、まじで何の変哲もない顔に見えるらしい。あまりにもありきたりすぎて、まず目を向けようとも思わない顔。そんで、一回視線を外したらもう思い出せない顔。要するに視線避けの呪だねぇ。顔を隠すための呪は、普通の人にはそれで作用するけど、ぼくたち霊感バリバリ人間には『顔を隠す』っていう呪自体が前面にバーンて出て見えちゃうらしい」
「はぁ。なるほど。幽霊が見えちゃってるのと一緒で、呪自体が見えちゃってるわけですね? それで、私には、紙で隠したように見えた。じゃあ、栖さんにはどう見えているんですか?」
「ぼく? ふふ、ぼくはね、誰かの両手が後ろか伸びてみっちゃんの顔を隠しているように見える」
「…………え……こわ……」
なにそれこわい……。それと比べたら、白い紙は確かにマシな部類だろう。
……そういえば、午前二時の『なにか』も、私には無数の黒い手に見えた。栖さんに憑いているものは、手に関係があるものなんだろうか。
話しながらもきれいに麻婆豆腐定食を食べ終えた栖さんは、丁寧に手を合わせて『ごちそうさまでした』と礼をする。相変わらずよれよれの服にぼさぼさの見た目なのに、こういう仕草はとてもきれいで不思議な人だ。
「はー、辛い物はうまいねぇ。もうちょい辛くてもぼくはおいしくいただけます」
「なるほど、覚えておきます。じゃあ、夕飯の煮物とおひたしは冷蔵庫に入れてあるので、あとは勝手にご飯でも炊いて食べてください。私はこれでお暇――」
「あ、いやいやごめん、そういやぼく次の引っ越し先のこと聞いてない」
「あ」
そうだった。その報告に来たというのに、すっかりどうでもいい話に花を咲かせてしまった。
いや、どうでもよくはないのだけれど、穢土調整課の話を踏まえれば、新居の件は栖さんの本業にかかわる大事な案件だ。そんなもの家政婦バイトに説明なしで任せるな、と思うものの、どうせ文句を言ったところでへらっと流されてしまうので、余計な労力を惜しんだ私は立ち上がりかけた姿勢を元の正座に戻した。
足元には、調理器具と調味料と共に買った唯一の家具、私専用の分厚いクッションが敷いてある。無駄な長話にも対応できる、優秀な代物だ。
「唐突に頼んで申し訳なかったけど、ぼくほんとね、地図がねー……ふふ、読めなくてね……そりゃもう壊滅的に……。期日までにこまどちゃんに案内してもらわなきゃいけないんだけど、日取り聞いた?」
「それなんですが、どうも清掃業者との間に行き違いがあったというか、シノミツさんは向こうの不備だとお怒りだったんですけれど、清掃が適当だったうえに壁紙の張替えもできていなくて……。今月中に、中のクリーニングが終わり次第再度連絡をする、と仰っていました」
「あー。みっちゃん、室内クリーニングに関してはなんか妙に口うるさいからねぇ。そういう業者に勤めてたのかね? 部屋の中はどう? こまどちゃん的には快適そう?」
「ええと……快適、かどうかは、わかりませんが……」
私は昨日見た室内を思い浮かべる。湿気でカビだらけの壁、ところどころたわむ廊下、水垢でほとんど見えなくなった洗面台の鏡、和式のトイレ、変色した畳の上のネズミの死骸――。どれもこれもが『わあ、素敵な住居ですね』と言い難い要素だ。
最低限の家具付き、と言えば聞こえはいいが、どう見ても前の住人が残していったゴミにしか見えない。
「家具はわかりませんが、調理器具はたぶんそのまま使えるものはほとんどなかったです。冷蔵庫はおっきかったけど、……」
「けど?」
「……なんか、腕の長い黒い人間みたいなやつが巻き付いてた……」
「わぁ。開けるたびに引きはがすの大変そうー」
「笑いごとじゃありませんよ。冷蔵庫使うのだいたい私なんですから」
「ま、家の中の掃除は早々にやっちまおう。あと気になることは?」
「あと……」
風呂場の鏡にぼんやり映る大きな目。トイレの上からぶらぶら揺れる首のない体。壁をカリカリと引っかくような音。シンクの上に垂れ下がる髪の毛。……上げていけばキリがないが、私が一番伝えなければならないのは、室内の異変ではない。
「隣の部屋が、焼けています」
「…………ふうん?」
栖さんの顔から、すっと笑みが消える。いつでも眠そうな目が、少しだけ真剣に見えた。……気のせいかも、しれないけれど。
「なんかこう、ガムテープ? で、封印してあるんですけど。ドアが。私が部屋の前に居た時、ドアが開いて……中から、なにかが、出てきたような気がするんです」
「こまどちゃんは、そいつをちゃんと見てないの?」
「はい。見ていません。見ちゃだめだ、と思って、腹に力を入れているときにご近所の方に話しかけられて、気が付けば扉は閉まっていました。やっぱり、二階の部屋はおかしい、と噂されているみたいで……」
「おかしいでしょうよ。ぼくも場所しか教えてもらってないけどね、場所を検索してみたら出るわ出るわ、心霊体験談の宝庫だ。でも、その割にあそこで人が死んだ事実は見つからない」
「え。事故物件じゃないんですか!?」
「事故物件だけが、土地の穢れじゃないよ」
引っ越しは来月かねぇ、などとのんきに布団に横になる栖さんを横目に、私は『穢れ』という検索ワードを自分の携帯に打ち込んでいた。
次の更新予定
のろわれすみか -呪われ代行・荊禍栖- 軽乃くき @karunokuki
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