言葉には霊が宿ります。しかし読み解くのは難しく。

評者は詩を書きます。下手ですけど。

詩を書くとき、同じ単語でも読者の裏をかいてやろうと思うこともあります。ダジャレや掛詞、漢字を仮名に開く(普段の言葉遣い、例えばスマホのかな漢字変換なら間違いなく漢字が第一候補になるもの、それを敢えて仮名で記すことでむしろ読みにくくしてスピードを落とすテクニックは詩の常套手段の一つです),さらには行分けに空白の配置。それらで、ただでは済ませないと狙ったりします。

しかし、それら企みは、言葉自身にお見通しかもしれません。言葉に意識があれば、人間が裏の意味を見つけることを、曲がり角で塀に隠れて笑いながら待っているのかもしれません。

この小説のトリック、最初の切っ掛けは単純です。これは引っ掛かる、そう思いました。

引っ掛かった後に、手を曳かれて進む道が怖いのです。

企む。そう書きましたが、その主語は何でしょう? 言葉でしょうか? 人でしょうか?

言葉には霊が宿ります。霊は企みを抱きます。そして似た者同士、企む人間が出逢えば。

その絡んだ企みを読み解くのは難しいのです。

さて、まるで先生のようにかたった私は、言葉にどう扱われるでしょう? 「語った」でなく「騙った」と裁かれないよう首をすくめます。