第3話 金魚すくい
祭り会場は老若男女でごった返していた。大音量のお祭りソングと行き交う人々の雑踏。十八時を過ぎて提灯に明かりが灯りだした。
私は今日、ある賭けをしようと心に決めていた。浴衣だって、髪結いだって、お化粧だって、和彦さんとは初めてのデートだから当然気合が入っているけれど、それだけじゃない。
金魚すくい。金魚すくいをして、出目金が獲れたならば、私は和彦さんと結婚しよう。もしあの時本当に光が通ったならば、今回だってきっとうまくいくはずだ。金魚すくいなんて小学生以来したことがないし、まともに獲れた覚えもない。いつも、おじちゃんにおまけで金魚をもらっていた記憶がある。だけど、もしこれが運命ならば。曾祖母の時のように弘法大師様が私を正しい道へと導いてくださるんじゃないだろうか。
和彦さんがやってきて、一通り夜店を見終わった後、私は「何かやってみたいとか、食べたいものはあった?」という和彦さんの質問に対し、「金魚すくいがしたいです」と答えた。
和彦さんも一緒にするのかと思いきや、お金を払ってくれただけで、俺は見ているという。せっかくだし一緒にしたい気持ちもあったけれど、そんなことはどちらでもいい。
これは私の賭け―――。和彦さんは何にも知らないでほほ笑んでいる。私がこれから何をしようかも知らないで。
お店のお姉さんにポイを渡され、いよいよ私の大舞台の開幕―――ところが、しゃがみこんだ低い水槽の中に出目金は一匹も見当たらなかった。あら、と思い隣の水槽も見てみたが一匹もいない。これでは賭けにならない。仕方なく、水槽の中でも一番大きくぶくぶくと太った金魚を賭けに使うことにした。
まずはポイを濡らして、金魚が内側に入ったらスライドさせるように器へ入れる。名人の動画を何度も見たから、イメトレだけは完璧だ。後ろから、和彦さんの頑張れの声が聞こえた。
ターゲットが私のそばに泳いでくる。私はポイと器を構えた。
弘法大師様、お願いいたします―――。
ポイが金魚を獲らえる。これを器に入れさえすれば―――と思っていた矢先、金魚は薄い紙を突き破って、どぼん、と水槽の中に落ちた。
「あ」
「あー、残念だったねえ。お嬢ちゃん、もう一回するかい?」
「あ、いえ、結構です…」
今はおまけというのもないらしい。私があんまり悲しい顔をするものだから、気遣ってか、隣のおじいちゃんが金魚を模したスーパーボールをくれた。それが出目金の形をしていたので一層憎らしかった。
この際、私が獲らなくたっていい。私は代わりに和彦さんにあの金魚を獲ってほしいとせがんだけれど、夜店の金魚は早死にするからという理由でしてくれなかった。ハルさんの置いてくれた金魚も孫がどこかの夜店ですくった金魚だと言っていたから、いなくなっていたのはそういう理由かもしれない。今頃、曾祖母と天国で仲良くしていることだろう。
よく考えてみれば、私は弘法大師様のご加護を受けられるはずがなかった。私は曾祖母のように毎日朝晩お祈りをしていたわけでもなければ、何かある度感謝をしてきたわけでもない。そういうものに頼ってしまったのは、自分に自信がないからだ。あの日、目の奥に光が通ったと感じたのも違うかもしれない。
大体、私の男を見る目は節穴だ。だって、初めての彼氏で、私のすべてを捧げた男にだって簡単に振られてしまったのだから。「重い」ですって?自分の彼女が縁談を迫られているのに、根を詰めて駆け落ちの話を切り出したのに、「重い」?本来なら、嘘でも頷くところでしょう?私だって本当に駆け落ちをしようなんて馬鹿なことを考えてはいなかった。彼が私を宥めたうえで、父に物申してくれることを期待していた。ただ、それだけだったのに。いや、これは私が期待しすぎてしまっただけ。実際、私の惚れた男は、所詮それまでの男だっただけの話。
今、私はきっと浮かない顔をしている。和彦さんが何を話してくれても生返事で、和彦さんはちょっと困った顔をしていた。
なぜか心の底から落ち込んでいた。それは、私の決意を「重い」の一言で片付けられてしまった時よりも胸に大きなしこりを胸に残していた。ご縁がないのかもしれないと思う度、胸が苦しくなる。私がこんな調子だから、和彦さんは心配して休憩しようと言ってくれた。何か飲み物を買ってくるから、ここで待っていてと私をベンチに座らせた。浴衣が汚れないようにとハンカチまで敷いてくれて。
優しいひと。こんな人と結婚出来たらなんて素敵なんだろう。私がこんな調子だと破談になってしまう。私には和彦さんしかいないけれど、御曹司の花嫁候補はたくさんいるんだろう。
和彦さんはなかなか帰ってこない。花火の始まるカウントダウンの放送が始まった。もしかすると帰ってしまったんじゃないかという一抹の不安が脳裏をよぎる。紳士なふうを装って、実際は私の態度に呆れて帰ってしまったんじゃないだろうか。そんなことがあってもなんらおかしくはなかった。私は本当に男を見る目が―――。
「ごめん、ごめん。遅くなっちゃったね。飲み物を探していたらおいしそうなのがたくさんあって」
顔を上げると私が最初に素敵だと思った和彦さんの顔があって、両手には飲み物の他にイカ焼きや焼きとうもろこし、りんご飴と、とにかくたくさんの食べ物が抱えられていた。私は驚いて、呆然としたまま、ありがとうございますと和彦さんの買って来たものを受け取り、丁寧にベンチに並べていった。どうやってこれだけの量を持ってきたのか、お好み焼きやカレーまであった。食べ物を挟んで和彦さんが隣に腰かける。水を飲んで緊張が解けると、とたんにお腹が減って、ぐうと鳴った。
「あはは、やっぱりお腹が空いてたんだ。たくさん買ってきたから何でも食べて」
「ありがとうございます。いただきます…」
和彦さんの買ってきてくれたものを食べているうちに、だんだん元気になってきた。やっぱり、人間いかなる時も食べなきゃやっていられない。さっきまでの悩みも、何だかひどくちっぽけなもののように感じた。やっぱり、おいしいものにはすべてを包み込む力が、愛がある。
和彦さんは手をつけないまま、私の食べている姿をずっと見ていた。
「あの、そんなに見つめられると恥ずかしいです…」
「あー、なんかあんまりおいしそうにたべるもんだからついじっと見ちゃった。でも、少しは元気になったみたいでよかった。俺、嫌われたんじゃないかってずっとどきどきたんだよ。今も手汗すごいし」
和彦さんが笑いながら両手をパタパタした。和彦さんも同じような不安を抱いていたことを知って、申し訳ないと思う反面、なんだか安心した。こんなにたくさん食べ物を買ってきてくれたのは、お見合いの時の印象だろうか。そうだとしたらひどく恥ずかしい。食べるのが好きなのは間違っていないのだけれど。
「あの、和彦さんも食べてください。って、私が言うのもおかしいですね。一緒に食べましょう」
「そうだな。さて、手汗も乾いたことだし俺も食べるとするか」
和彦さんは焼きとうもろこしを取って食べ始めた。私がおいしそうに食べると言ったけれど、和彦さんだって負けてはいないと思う。和彦さんに食べられる焼きとうもろこしは、今、私が食べているのよりずっとおいしそうだ。
「うまいなぁ、愛がある」
「え?」
花火が上がった。和彦さんの顔を初めて見た時のような衝撃が物理的に、かつダイレクトに私の胸に伝わってくる。
「あ。花火、始まったね」
色とりどりの花火が真っ黒な空を染めていく。空に花が咲く度、私と和彦さんも赤や青や緑になった。でもそんなことより、さっき和彦さんの紡いだ言葉が頭から離れなかった。
うまいなぁ、愛がある。
花火のうち上がる直前だったから定かではないけれど、私には確かにこう聞こえた。
聞き間違いだろうかと、どうしても確かめたくなって、私は和彦さんに尋ねた。
「あの、さっき、何て…」
「花火きれいだねって」
「それじゃなくて」
「花火始まったね?」
「その前」
「俺、なんか言ってたかな」
「とうもろこしを食べている時です」
「えーっと、ああ! うまいなぁ、愛があるって言ったけど……それがどうかしたの?」
やっぱり、そうだったんだ。私は今までにないくらい胸の高鳴りを感じていた。
おいしいねぇ、愛がある。
うまいなぁ、愛がある。
和彦さんの姿が曾祖母と重なった。食べ物に愛があるという人に、悪い人はいない。私は、自分を信じてもいいのだろうか。賭けとか、そんなのよりずっと心に響いたその言葉を。
「ん、何?」と和彦さんがいつものように微笑む。
顔がタイプとか、そういうのとは全く関係なしに頭から離れそうもないその笑顔を。
曲が変わり、花火もいよいよフィナーレだった。
「和彦さん、あの…」
和彦さんの目が私の瞳をとらえる。
一番大きな花火の打ち上げられる音がした。
「私と、一緒になってくれませんか」
紅い、大きな花が咲く。その時、確かに目の奥に一筋の光が通った。
金魚すくい 夜市川 鞠 @Nemuko3
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