たつとへび。

鐘古こよみ

たつとへび。

「金?」

 報告書を見て神様は白い眉を上げた。

「え、嘘でしょ? また金?」

 たぶん、あのくだりだ。二〇二四年〝今年の漢字〟。

「いや、選ばれ過ぎでしょ。二〇〇〇年代入ってから確か五回目くらいじゃない?」

「よく覚えてますね。ニュースでもそう言ってました」

「だよね! いやあ、ないわー。いくらオリンピックイヤーだからってさ、さすがに五回も選ぶ? だったらそろそろ『神』とか選んでやれよっつー」

「あの、報告書も提出し終えたことだし、俺は帰りますね。お疲れっした……」

「あー待って待って! 次の子新人でさ、たっつんに引き継ぎお願いしたいんだよね。残業代は出ないけど、まあ、どうせ帰ってもやることないっしょ?」

「は?」

 

 二〇二五年元日朝。

 一年間の業務を終え、神様に報告も済ませ、晴れて自由の身になるはずだった俺は、こうしてなし崩し的に追加の業務を請け負うことになったのだった。

 内容は新人研修。

 期間は松の内まで。

 相手は代替わりした十二支の〝巳〟。

 俺はもちろん、二〇二四年を担当していた〝辰〟である。


「白皮ミコと申します。よろしくお願いします!」

 そう言って床に手をつき深々と頭を下げた相手は、俺の予想を遥かに超えて若かった。先代の蛇親父に一人娘がいると聞いてはいたが。

 まだ一五〇歳だという。人間で言えば高校生くらいだ。

 だからなのか知らんが、セーラー服を着ている。

 ミルクティみたいな色の髪をゆるふわのおさげにしている。

 ちなみに、蛇なのになぜ床に手をつきセーラー服を着られるのかと言うと、人間の姿に化身しているからだ。


 現場は築三十年の木造ボロアパート二階、六畳間。

 人間界ではフリーターの鯉淵タツミとして生活している俺が、なんとかコンビニバイトの稼ぎだけで借り続けている部屋だ。

 互いに本性は人間じゃないからいいようなものの、絵面としてはあまりよろしくない。万一この場に警察が踏み込んだりしたら、俺は女子高生を自宅に連れ込んだ社会不適合者として現行犯逮捕されるだろう。

 そんな絶望的な想像をしながら、恐る恐る声を掛ける。


「白皮さん」

「ミコとお呼びください!」

「えーと、あのね、親父さんから仕事について、何か聞いてる?」

「いいえ、ちっとも。父は母を連れて神界周遊ツアーに出かけてしまって……」

 そりゃ千年は戻ってこねぇな。


「じゃあ簡単に概略を説明するんだけど」

「はい」

「一年間、動物神の大将として人間たちを見守ります。範囲はアジア圏ね」

「はい」

「給料は出ません。神格を上げるための修行の一環とかなんとか言われるけど、要はやりがい搾取なんで、業務と生活のバランスは自分でうまいこと取るように」

「はい……」

「あと精神面ね。この仕事、結構きついときもあるから」

 ミコ、黙って頷く。

「何か趣味見つけるといいと思うよ。人間界で過ごす一年って結構長いから。あと住む場所ね。親戚とか知り合いが大きい神社なんかに祀られていて、一緒に住まわせてくれるってんなら、そこに行ってもいいんだけど……」

「あの、働きながら一人暮らししてみろって、父が」

「あ、そうなの? 意外と厳しいんだな。働くっつっても、高校生くらいの……あ、俺が働いてるコンビニあったわ。店長に訊いてみようか? いつでも人手足りねぇし、たぶん親戚の子とか言えば即決だと思うけど」

「本当ですか!?」


 がばっと顔を上げてきらめく瞳で見つめられ、俺は「うっ」と仰け反った。

 別にミコが何かしたわけじゃない。あれだ。対人恐怖症。

 俺は人の視線が怖い。

 だから外見だけやたら厳つくして、あまり人に見られないよう工夫している。

 耳と唇にはリングピアスを二、三個ずつ。

 これなら万一嫌な顔されても、あ、ピアスのせいだなって思えるし。

 髪も一時期は金髪ロングにしてたけど、髪染めに金がかかるからやめた。今は肩につくくらいの長さで自然に生えてくる黒のままだ。

 バイト先の店長が多様性を拡大解釈する人で、すんなり雇ってくれたのは、今にして思えばラッキーだった。仕事中はさすがにマスクしてる。

 ぎこちなさを隠すために、俺は目を逸らしつつ口早に続けた。


「あとは住む場所だな。このアパートも空きがあるから、こんなんで良ければ大家さんに訊いてみたら。裏に建ってる一軒家がそう。なんなら俺保証人になるし」

 言いながらふと気付いた。

「そういえば今って手持ちいくらか……敷金とか礼金とか知ってる?」

 端から一人暮らしさせるつもりなら、さすがに親がいくらか置いてっただろと思ったのだが、ミコはぶんぶん首を横に振る。

「先に人間界で暮らしていらっしゃる先輩が助けてくれるって、言われました」


 ……まあ、確かにな。俺も初年度は兎先輩にお世話になったわ。あの人はナンバーワンホストやってたから援助の仕方も半端なかったわ。それを思うと、目の前の世間知らずな娘を冷たく放り出すなんて真似はできない。かといって、兎先輩みたいに財布から万札をばら撒いて拾わせたりもできない。


「えーっと、じゃあ、まあ……しばらくここに住む?」

 どうか生ゴミを見るような目をして断ってくれと思っていたのに、返ってきたのはどうやら、さっきと同じかそれ以上に輝かしい感謝の眼差しだった。


 動物神ってのは厳密に言うと神様ではなくて、神の亜種、みたいな扱いになるらしい。元々は神様の使いだったのが、それなりの信仰を受けるようになって、人間界では神様と同じカテゴリで扱われるようになった。でも神界では格が違う。

 言うなれば何年も続く名家か成金か。

 実は龍神一族はちょっと扱いが特殊なんだけど、その説明はまあ措く。

 そんなことより今の人間界では、ドリンク補充の効率的なやり方を説明した方がよっぽど有意義だ。


「まあここは駅チカの店なんで、忙しいのは早朝と夕方で、昼間は楽。品出しの途中でもレジ優先でね。何かあって離れる時はペアの人に声かけて」

「はいっ」

「フライヤーの油交換とかはおいおい覚えればいいから。新人はまず掃除と声出しをしっかり。絶対ミスできないのはやっぱりレジ対応で……」


 ミコのコンビニ勤務初日。俺はレジ内でお客さんの切れ目を見ながら、先輩バイトとしてさっそくいろいろなことを教えていた。

 他のバイトたちが軒並みインフルエンザでダウンしたらしく、悪魔の手でも借りたいって状態になっていた店長は、俺がミコを連れて現れるなり、リアルに「神様!」って叫んで、一も二もなくその場で採用を決めてくれた。

 なんなら翌日から来てくれと言われたので、その通りにして今に至る。


「早めに憶えといた方がいいのは煙草の銘柄と……あ、ちょっと待ってて」

 入店音が流れたので入り口を見ると、灰色の髪をした背中の丸いおばあさんが入ってくるところだ。幸い他に客はいない。俺はミコをレジに残しておばあさんに歩み寄った。二言三言交わし、温かい缶コーヒーを持ってレジへ戻る。

「ちょうどいいからレジ通してくれる。俺買うから」

「あ、はいっ」

 ミコがぎこちなくレジ打ちしたそれを、俺はおばあさんに渡した。おばあさんは何度も後ろを振り向きながら帰っていった。


「今の人ね、万引きの常習犯」

 不思議そうな面持ちのミコにそう明かすと、「えっ」と驚かれた。

「今日はしてねぇよ。その前に俺が止めたから。いつも言ってんだよね、缶コーヒーくらいなら奢れるから、声かけてよって」

「な……仲良しなんですか?」

「どうだろ。毎回俺のこと忘れてるんだよね。でも、こんにちはって話しかけて、買った缶コーヒー渡すと、なんかホッとした顔になって、万引きせずに帰ってくれんだ。だったら、その方がいい……イラッシャイマセー」


 集団のお客さんが来て会話はそこで途切れた。急に無駄口叩く暇もないほど忙しくなって、交代の時間まで俺たちは夢中で働いた。

 帰り際、俺は消費期限間近の弁当やおにぎりをいくつもカゴに放り込む。

 やはりミコが不思議そうに見ているので、「俺が食べるんじゃないよ」と弁解した。俺たちは人間の食事をしてもいいけど、別に食べなくても生きていける。


 パンパンに膨らんだレジ袋を引っ提げて向かったのは、河川敷や高架下で段ボールハウスを造って暮らしている人たちのところだ。

 ホームレスってやつ。俺の姿を見て「たっつん!」と明るく呼んでくれる人もいれば、黙ってじっとこちらを睨む人もいる。

 リーダー格の一人にレジ袋を渡して、新年のあいさつを口の中でもごもごと唱えて、俺はミコの待つ人通りの多い道へ戻った。


「いつもあの人たちにご飯、あげてるんですか?」

「まあ、金がある間は」

「もしかしてたっつん先輩……あんなボロアパートに暮らしているのは」

 あ、やっぱりボロいって思ってたんだ。


「俺たちは動物神だし、その辺に転がってても風邪引くわけじゃない。わざわざアパート借りてんのは、不審な行動で人間たちを怖がらせないためだから、ボロくていいんだ別に。金だって、俺たちがいくら持ってたって仕方ねぇもんだし」

「それはそうですけど」

「人間界で暮らしてるとさ。神様って役に立たねえなって、思うんだよね」


 川のせせらぎが聞こえてくる道を夕陽に照らされて歩きながら、俺はぽつりと本音を漏らした。


「一年間、動物神の大将っつってもさ。できることなんて、本当は何もねーんだ。俺たちはただ見守るだけ。人間界は人間のものだから、神格のある連中がやたら手を出すのは駄目なんだよ。その中でも動物神なんて、そもそも力が弱いしさ」


 だから、ミコに教えることだって、本当は何もない。

 いや、あるな。ただ見守ることの辛さとか。

 そう、まさに今、教えていることだ。


「俺が初めて〝辰〟の役割をした時、兎先輩に言われたんだよね。自分に何かができると思うな、それを後ろめたく思うなって。そんなんで十二支の意味あんのかよって、最初はイライラしたもんだけど、始まってみたら本当に何もできなくてさ。

 人間の生活ってさ、実際近くで暮らしたらわかるけど、生まれてから死ぬまで毎日何か食べて、寝て、出して、仕事して、子供育てて、余暇楽しんで、勉強して、辛い目に遭って、嬉しいことあって、傷ついたり傷つけられたり、助け合ったり。

 すげえ忙しいんだよ。

 どんなに駄目に見える奴でも、最低限のことやってんだよ。

 それなのに、ある時突然、それがぷつっと断ち切られたりして……」


 ふいにある光景がフラッシュバックした。

 瓦礫の山。

 新年のあいさつが途絶えた町。

 ――神様なのに何もできないのかよ。

 俺を見る人間の全てが、そう言っているように思えて。


 何か続けようとしたけど、どうしても声が出なくて、そこから無言になった。

 傍から見れば、急に語り始めたと思ったら不機嫌になる精神不安定な野郎だ。

 ミコ、こんな先輩で悪い。

 兎先輩、まだ人間界にいたりしねぇかな。


 さすが若いから呑み込みが早いってオッサンの感想しか出てこねぇんだが、ミコはそれから三日ほど一緒にシフト入るうち、どんどん仕事を覚えていった。

 今日は初めて俺以外のバイトと組むから、俺は守り役からしばしの解放だ。

 いや、守り役なんて、もういらねえんじゃねーかな。

 松の内が過ぎたら、どうすっかな。

 

 ベランダで煙草をくゆらせながら沈む太陽を眺めていたら、外廊下を駆ける騒々しい足音が玄関側から聞こえてきた。

 先輩先輩! と叫ぶ声が聞こえる。ミコだ。

 俺は舌打ちして部屋の中に戻った。

 大股で玄関まで行く間に、扉がガバと開かれる。


「おい、人間界では静かにしねぇと、ご近所さんから苦情が……」

「たっつん先輩、あのおばあさん、いなくなっちゃったみたい!」

 室内に飛び込むなり、ゆるわふのおさげ髪を乱したミコがそう叫んだ。

「お嫁さんって人がコンビニに訊きに来たんです、見ませんでしたかって!」

「マジかよ」


 俺はすぐに外へ飛び出した。後からミコも追ってくる。

 おばあさんは十中八九、認知症だ。

 暖冬とはいえ一月の夜は寒い。そのまま帰れずにいたら。

 あっという間に辺りが暗くなった。

 近くに誰もいないことを確認すると、俺は人間の化身を解いた。

 ざわめく鱗が空を昇り、巨木の幹みてぇにめきめきと身体が膨らむ。


「ミコ、家に戻ってろ!」

「嫌です、私も行きます!」

 なんか尻尾が重いと思ったら、こっちも化身を解いたミコが白蛇姿で絡みついていた。二股に分かれた舌をチロチロ出しながら、滑らかに俺の身体を上ってくる。

 なんかエロ……いや今はそんなこと言ってる場合じゃねえ!


「飛ぶからしっかり掴まってろ」

「はい!」

 人間の目からは、一体どう見えてるんだろうな。

 たぶん、頭上の星空が一瞬真っ暗闇になってまた現れる。

 そんな程度の変化なんじゃねえかな。


 俺は昔から弱虫で頭も悪いし、龍神一族の中でもミソッカスの半端者扱いで、だからこそ十二支なんて面倒な役割を体よく押し付けられたフシがある。

 不甲斐ない〝辰〟でごめんって、いつも引け目を感じてる。

 人間界で化身を解くのは、実は違反だ。

 けどこんな時くらい、役に立ったっていいだろ。


 ミコと手分けして地上に目を凝らしながら飛ぶことしばし。

 おーい、おーいと呼ぶような声が聞こえてきた。

 見ると河川敷で、誰かが空に向かって手を振っている。

 ホームレスの、いつも黙って俺を睨んでくる人だ。

 たっつんさん! とダミ声で、確かに俺に向かって叫んでいる。


「先輩、呼ばれてます!」

「お、おお……行ってみるか」

 なぜ今の俺を見て「たっつん」と呼びかけられるのか不思議だったが、とにかく下降して再び人間の姿になる。

 行ってみると、河川敷にはホームレスの人たちが集まっていた。

 その輪の中心に灰色の髪のおばあさんを見つけ、俺とミコは同時に叫んだ。

「おばあさん!」


「いや、フラフラしてて危なかったからよ。とりあえず囲んで、川に近付かないようにしてたんだよ。本当だよ」

 俺がおばあさんを捜していたと知るなり、リーダー格のゲンさんがそう教えてくれた。どうやらホームレスのオッサンたちは、おばあさんが危ない目に遭わないよう、見守ってくれていたようだ。

 既に一人が警察を呼びに、少し離れた交番まで走ってくれているらしい。


 おばあさんが河川敷に現れたのは、つい三十分ほど前のこと。

 それまでどこでどうしていたのか。ズボンの膝下が泥で汚れ、頬に擦り傷を作っていたけど、おばあさんは俺を見てニコニコ笑いながらこう言った。

「あのねえ、アメリカに住んでる孫が、大晦日に、ひ孫を生んでたんだよ。だから、あんたに知らせようと思ったの。辰年生まれだよ」

「そうだったのか……」


 俺は何と言ったらいいかわからず、絶句した。

 辰年生まれ。なんでそれを、コンビニ店員の俺に教えようと思ったかな。

 コンビニを覗いたけど、俺がいなかったんで、川のほうに来たんだろうか。

 龍神は元々水の神だから、勘は悪くねえけど。


「きっとそのばあさん、あの世とこの世を行き来してんですよ」

 後ろからそう声を掛けてきたのは、龍の姿で飛ぶ俺に向かって「たっつんさん」と声をかけてきた、例の睨んでくるオッサンだ。


「現実を手放した分だけ、そういうのって、わかるようになるもんだ。きっと、たっつんさんが普通と違うって、なんとなくわかってたんじゃねえかな」

「そういうあなたは……」

「実はおれ、今はこんな落ちぶれてっけど、元は龍神を祀る神社の宮司を代々務めてきた家の出なんス。昔から神霊の姿がなんとなく見えて、たっつんさんも最初見た時から、あ、やべえなって。どういう龍神かわかんねえから、ずっと警戒してたけど、さっき飛ぶ姿見たら自然に呼びかけちまって……」


 なるほど、龍神一族の氏子の血筋だったのか。きっと俺の目的に無意識に呼応して、おばあさんを見つけ出す協力をしてくれたんだな。


「ありがとう、助かった」

「いや、なんの」

 オッサンは迫力のある三白眼を照れたようにぐるんと回した。

「いつも弁当、センキューです」


 ほどなくパトカーが到着して、おばあさんは無事に保護された。


「辰年のひ孫が生まれたこと、教えてくれてありがとうな」

 別れ際にそう声をかけると、おばあさんは上品に微笑んで、俺に手を合わせた。

 ぼんやりした目つきしか見たことなかったけど、本当はこういう人だったんだ。

 次にコンビニに来た時は、きっと今夜のことを忘れているだろう。

 いいよ。俺が憶えとくよ。


 オッサンたちと別れ、俺とミコは帰路につく。

 そういやミコは、さっきからずっと黙ってるな。

 さすがに疲れたか?


「ラーメンでも食って帰ろうか」

 なんとなく先輩としてはそういうこと言わないといけない気がしてそう言うと、ミコは急に足を止めた。

 拳を握り締めて俯いているので、謎の焦りを感じる。


「あっごめん。ラーメンじゃねえな女子は。スイーツか!?」

「たっつん先輩に謝らなきゃいけないこと、あります」

 意を決した表情でミコは顔を上げた。謝らなきゃいけないこと?

「な、なんだ。財布から金でも抜いたか……?」


「下心アリアリで近付いたことです。実は父から懐に潜り込めって言われていました。気弱なたっつん先輩に手垢がついていないうちに落として婿にしろって。蛇一族は昔から龍神一族に連なるのが悲願なんです。形状がほぼ同じなのにそっちはカッコいいイメージで空飛べる、なのにこっちは気持ち悪いとか言われて地べた這いずり回らないといけないのズルくない?って、昔から嫉妬心剥き出しなんです」


 怒涛の暴露に俺は顎が外れそうなほど驚いた。


「セーラー服着てゆるふわおさげ髪にしてるのもその策の一環です。大抵はこれで一発だって父からのアドバイスで。そんな下心もないのに初対面のオスと一つ屋根の下に住むことになって喜ぶ女子高生、いるわけがないじゃないですか」


 なんか胸に刺さるな。わかってるよ大丈夫だよおっしゃる通りだよ……。


「でもたっつん先輩は、セーラー服とかじゃないなって。龍が空を飛べること、私もズルいってずっと思ってたけど、今日の先輩見て、自分が空を飛べても絶対にあんな風に力を使わないなって。うまく言えないけど、自分との違いがはっきりわかったんです。こんな格好してる自分が、急に恥ずかしくなりました。だから……」


 言うが早いか、ミコはセーラー服の襟もとに両手をかけた。

 そのまま左右に引き裂き、「ぬるんっ」と脱皮の要領で脱ぎ捨てる。

 下から臙脂色のジャージが現れた。


「今日から心を入れ替えて、この格好で過ごすことにします!」


 え……………。

 

「たっつん先輩の大事にしてきたものと、私が大事にできるものは、たぶん違うけど。ああいう人間との関係もいいなって、思わされちゃったから。だから私なりに、下心抜きで十二支を頑張る。その嘘偽りない気持ちを見てほしいから」


 あれ、いいこと言ってるっぽいけど、全然入ってこねえな。セーラー服の威力をまざまざと感じさせられながら、俺はかろうじて拾えるところを拾った。


「ミコも白蛇姿でついてきてくれたじゃん。おばあさんのこと、コンビニから走って報せに来てくれたしさ。俺と大して違わねえよ」


 だからセーラー服でも全然いいんだけど……というのをギリギリ呑み込んだ時、後ろからドゥンドゥン低音を響かせる車が走ってきた。間違いなく怖い人たちが乗ってる系だ。絡まれないよう、ミコの腕を引いて速やかに道の端に寄る。

 それなのに、その白くて車高のやたら低いスモークガラスの車が激しいブレーキ音を立てて脇で止まったので、俺はギョッとして口から心臓を吐きそうになった。


「あっれえーーーーー!? たっつんじゃーーーーん!!」

 

 聞き覚えのある声に、めちゃくちゃ安心した。ドアが鳥の羽っぽく上に開いて、降りてきたのは髪真っピンクに染めた兎先輩だったのだ。シロクマみてぇな毛皮のコート着て、一月の夜なのにブルー系のサングラスをかけている。


「兎先輩! まだ人間界にいたんですね!」

「ったりめーだろぉ。オレがいなくなったら誰が世の中の女の子たちを盛り上げるんだっつーの。なあみんなー!?」


 一緒に下りてきたセクシーなお姉さんたちが酒瓶掲げて嬌声を上げる。兎先輩はサングラスを外し、俺の脇に立っているミコをじろじろと観察した。


「ふーん、なんか体温低そうな女連れてるね。今年は蛇親父じゃないんだ。いかにも下心アリって感じだな。ジャージとか逆にあざとくね?」

「は? 急に出て来て何? 草食動物が肉食気取って恥ずかしくないんですか?」

「兎はいざとなったら肉も食うんだよ。オマエの一族、たっつん狙ってんだろ」

「だったら何? もう正直に話したし、隠してることなんてありませんけど」

「たっつんはオレの舎弟にするんだよ。近付くんじゃねーよ」

「はあ? たっつん先輩は私の獲物ですけどぉ?」


 揃って発する強キャラのオーラに圧されて俺は、自然と二人から数歩離れたところにいた。初対面の動物神同士、挨拶の邪魔しちゃいけないしな。やっぱヘタレの俺と違って話が合うのか、なんか盛り上がってるな。


 尻ポケットの携帯端末が不意にぶるぶる震えた。ディスプレイには店長の文字。

「はい」

『タ、タツミくぅ~ん! 明日なんだけどさあー!』

「あ、大丈夫ですよ。入れます」


 神! と叫ぶ店長との通話を切り、俺はやれやれと溜息を漏らした。こんな感じで万年人手不足だから、なかなか辞める話もできねぇんだよな。

 もう辰年は終わったし、ミコも人間界に馴染んでるし、明日で松の内は終わるし、本当なら俺は、もう神界の実家に帰るべきなんだけど……。


 後ろからガバと肩を組まれた。

「たっつん、お役御免なんでしょ? 俺んとこおいでよ、育ててやるよ~?」

 横からぐいと腕を引っ張られた。

「たっつん先輩は私と一緒に帰るんです! まさかあんなボロアパートで女子の一人暮らしさせたりしないですよね!」

 あれ。よくわからんが、まだ俺はここにいていい、のか?


 そういやホームレスのオッサンたちとも、今年もよろしくって言いながら別れたし、おばあさんも……きっとまた店に来てくれる気がする。

 知らん間にいろんな繋がり、増えてたんだな。

 神界にいたら誰の目にも留まらない、こんな俺でも。

 

 帰らなくてもいいかなって気に、ちょっとなった。

 〝辰〟の時は帰りたくて仕方なかったけど。

 ただの鯉淵タツミなら、少しはやれることある気がする。

 ただの鯉淵タツミなら、今まで怖くて行けなかった場所にも、行ける気がする。


「……旅費、稼ぐか」

「え?」

 こっちの話、と言いながら俺は、ふと浮かんだそのプランを頭の中で確認した。

 うん、悪くない。

 次の辰年が巡ってくるまで、そんなふうに過ごすのも。

 そう思ったことを後悔する日が、また来るかもしんねぇけど。

 傷ついたり傷つけられたり、助け合ったり。

 そんな人間みたいな生き方が、俺はたぶん、結構好きなんだ。


「兎先輩、ミコ」

 そういや肝心の挨拶してなかったなと思って、俺は二人に向き直った。

「あけましておめでとうございます」

 二人が「へ?」みたいな顔でこっちを見る。その視線が、前より怖くない。

 いつもよりちょっと声張って、人間界相手に言ってみた。

「今年もよろしくお願いします」

 白い息が龍みたいに長く伸びて、俺の言葉を夜空の隅々に運んでくれた。



<了>

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