【後編】壮年時代
あれから幾星霜。僕は働き盛りと呼ばれうる年齢に達していた。
子供の頃の修行の賜物か、最終的に僕の身長は180cmを超え、日本で居住する限りは十分に大きいと言っても良くなった。高身長であることは、子供の頃に信じていたほどではないが、人生を輝かせた。踏み台無しで高いところの物を取り出すことを容易ならしめたのである。これが、少年が費やした労力に見合った対価であるかは、議論の分かれるところであろう。
学校を卒業後、それなりのロマンスがあった上で僕はどうにか家族を持つことになり、そうして生まれた息子も今は9つとなった。
今日は1年ぶりの帰省で、家族を連れて僕の実家まで長の車旅をした。子供らが帰省を楽しみにしているのは大変結構であったが、息子の竜太は渋滞含めて3時間半のドライブの道中、到着したら『柱の背比べ』をするのだと粘り強く主張し続け、僕と妻とを少々閉口させた。
僕の実家は築100年を超す古民家で、中心には太い大きな柱がある。この柱に、誕生日を迎えた子供の背比べのキズをつけるのは、随分と昔から続くこの家の風習だった。僕も親父も、その親も、その兄弟姉妹たちも、顔も知らない親族たちもそろって柱に背比べのキズを刻んでいた。
数年前にこの無数のキズの意味を教えて以降、竜太は背比べに夢中になり、爾来、帰省するたびに柱のキズと身長を競っている。夏生まれの竜太にとって、柱に背比べのキズを残すのは夏休みの楽しみの一つになっているようだ。ちなみに娘の綾乃はというと、兄がやたらと勧めるにも関わらず本人は背比べにまだ興味がないようだ。
車が実家に停まると、竜太は急いでシートベルトを外して飛び降りた。待ち構えていた祖母がいらっしゃいと声をかける。竜太の誕生以来、僕の母は祖母に、父は祖父へと昇進を果たしていた。
「竜太くん、大きくなったねえ」
久方ぶりに会う祖母の言葉に、竜太は本気で嬉しそうな顔を見せた。9歳の男子にとって、身長の高低は人生の一大事である。来たよ! と元気な挨拶をすると、竜太は家の中に飛び込んでいった。
僕は母と1年ぶりだね、と挨拶を交わすと、妻と一緒に娘や荷物を家に運び入れた。夏も盛りの事とて、僅かな作業でも外では汗が噴き出す。家の中からは、おそらく祖父に向かって言っているのであろう、柱の背比べする! という竜太の叫び声が聞こえてきた。威勢がいいものだ。
「父ちゃんとじいちゃんの9歳を見つけたよ!」
竜太が駆けてきたのは、荷物を全て搬入し終えたときだった。家の中で走り回るな、と言いつつ、僕は荷物の始末を妻に託し、竜太に付きあってやることにした。はい! と元気だけはよい返事をして、竜太は家の奥に走りこんでいく。僕は苦笑せざるを得なかった。
走って先行した竜太は柱に近づくと姿勢を正し、柱に背をつけた。そして、自分の方が高い! と絶叫して僕を見る。見やると、確かに竜太の頭の傍には2本の古いキズが見えた。
リュウゾウ 9サイ
と僕の名と年齢を刻んだ柱のキズは、リュウノスケと父の名を刻んだそれよりも1cmばかり高い位置にある。そして、竜太の頭の天辺は、僕の記録よりも3cmばかり高いところにあった。
息子も大きくなったものだと感心し、次いで竜太の足元を見た僕は覚えず吹き出した。
「こら、インチキはだめだ」
ポン、と竜太の頭をはたいた。こっそりとつま先立ちをしていた竜太は、バレたか、というようにかかとを落とした。少しだけのつま先立ちに抑えている辺り芸が細かいが、幼いころから身長に関しては工夫を続けた僕の目は欺けない。
正しい姿勢で測った竜太は、それでも当時の僕よりも、丁度1cm背が高かった。いつの間に、こんな
リュウタ 9サイ
のキズを新たに柱に刻んでやりながら、僕はもう一度苦笑した。
「竜造もこんな
ふと気が付くと、母がいたく感心した顔で僕を見ていた。どうやら、僕と竜太のやり取りの一部始終を見守っていたようだ。竜太も9歳だからね、と僕が応じると母は違う違うとかぶりをふった。
「いや、竜造、アンタだよ」
予期せぬ一言に、え、と思わず聞き返す。
「アンタも昔、背比べの時につま先立ちして、父ちゃんにバレて頭をはたかれてたじゃない。アンタも父親になったんだねえ」
母はそう言って目を細めた。
竜太も僕と同じく、子供なりの『善』を目指しているのだろうか。
僕は妙に得心し、竜太の頭をポンと撫ぜた。竜太は頭上の僕の手を見上げ、自分の手を重ねてきた。
【了】
【全2回】柱のキズ 山本倫木 @rindai2222
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