【全2回】柱のキズ

山本倫木

【前編】少年時代

 子供の頃、背が高ければそれだけで世界は無条件に輝くと信じていた。なぜ、そう信じるに至ったかは判然としない。自分の成長を実感できるという素朴な喜びに由来する部分もあったろうし、年に数回しか会わない親類から、顔を合わせるたびに「大きくなったね」と褒められた経験が重なったことが導き出した帰結にも思える。いずれにしろ、身長が高いということは『絶対的な善』である、という思想は当時の僕にとって、2本の足を互い違いに動かせば歩ける、というのと同じくらいに当たり前のことだった。これは僕ばかりではなく、当時の級友の間にも一定程度共通した認識だったと思う。


 あのころ、僕は『善』を目指して様々な研鑽を積んだ。


 牛乳をたくさん飲む、と言うのは修行の第一歩だった。朝に夕に、神仏に祈るように僕はコップ1杯ずつの牛乳を飲んだ。この修行にとって家の冷蔵庫から牛乳が切れてしまうのは一大事である。僕は事あるごとに家人に牛乳の購入を強く要請した。もっとも、僕があまりに五月蠅く牛乳の残量を確認していたからか、在庫が切れるような事態は滅多に発生しなかったが。

 給食の時間、余った牛乳の争奪戦に参戦するのも当然の心得だった。争奪戦ともなれば、争うべき資源は多く、ライバルは少ないに越したことはない。従って、季節性流感で級友が大量に出席停止になる事態は、学級閉鎖にならない限りは僕にとって大変喜ばしい現象だった。様々な幸運が重なった日、最高で5本の牛乳を手中にしたこともある。が、この時は狭量な教師に「欲張るな」と怒られた上に戦利品を没収、クラスに強制分配される憂き目を見た。これを世に牛乳事件という。


 寝る子は育つ、という格言も励みになった。力士も稽古の一環として食後に昼寝をする、とどこかで聞き及んだことも、睡眠イコール成長という図式の正しさの証明材料になった。

 小学生たるもの、平日は朝の8時30分には学校におらねばならない。大抵の級友は、勤勉にも15分には席についていたそうである。僕は30分丁度の着席を心がけていた。始業時刻ピッタリに到着するのであれば、その分長く自宅の布団で睡眠を確保できる道理である。ごく稀に寝過ごして数分遅刻してしまうこともあったが、これはやむを得ない。背を高くするという大義の前では、たまの遅参など些事に過ぎぬと心得ていた。

 実は学校には8時20分に予鈴というものがあり、級友はそれに合わせて登校していたと僕が知ったのは、卒業式の日だった。卒業の日くらいはと、皆と同じ時間に登校しようとした僕は、普段よりも早い時間になるチャイムに驚いたものであった。


 他に、僕は身長を伸ばす目的で運動を好んだ。中でも、特に剣道には熱心に取り組んだ。切掛けは、他愛もない問答である。親父も体が大きかったので、ある日僕は、なぜそのように巨大な体躯をしているのかと問うた。小さいころから剣道をしていたからかな、と答弁されたことが、僕をこの道に導いた。

 取り組んでみると、なるほど、正しい姿勢で竹刀を振っていると背筋が伸び、ひいては身長も伸びていくような心持になって気持ちが良かった。しかし、長じて防具を付けて稽古をするようになると、ポコポコと頭を打たれることが多く、背が縮んだらどうするのかと文句の一つも言いたくなった。


 身長を伸ばす方法は正攻法ばかりではない。搦手として、身体測定の日の心得も欠くことは出来なかった。厳密には身長を伸ばす手立てとは異なるが、少なくとも記録上の数値を伸ばすことには役立つ方法だ。 

 垂直に起立している時間が長いと重力で脊椎が押さえ付けられ、その分だけ背が縮んでしまうのだという。そのため、身体測定の日は出来れば匍匐前進で登校することが理想である。僕もそうしたかったが不本意ながら環境が許さなかったため、測定が予定されている日は極力前かがみの格好で移動をしていた。これだけで1mmは結果が変わったはずだ。

 身長計での測定の時に、こっそりつま先立ちをしておくのも試みた。派手につま先立ちをすると担任の教師に露見し、補正の無いつまらない記録を残されてしまう。発覚しないギリギリの、わずかなつま先立ちで抑えることが肝要だ。欲をかいては元も子も無くなるということを、僕は牛乳事件で学んでいた。


 努力は実を結ぶ。僕は小学校の間、学年でも1,2を争う長身であり続け、卒業文集の『なんでもランキング』では、見事『ランドセルが似合わない同級生ランキング1位』の称号を得るに至った。


【後半に続く】

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