線を引くこと
残されたフーは、肺が空っぽになるのではと思うような大きなため息を吐きだした。
「息が止まるかと思ったよ。そこの
声を掛けられた三匹は、一様に伸びをして筋肉をほぐした。「自分は背景の一部です」と言わんばかりに硬直し、何故か体色を変化させられないブランカを除く二匹は、背景の庭木に溶け込む暗い色に変化していた。フーの声を合図に、それぞれ大型犬の姿に戻る。これが一番落ち着くらしい。
さて、背景に紛れることが出来ない人間たちの緊張は相当なもので、キーチェは泣き出してしまった。
「わ、私なんにも出来なくて、ごめんなさい……!」
フーが慌てて背中をぽんぽんと叩く。
「そんなことないさ。犯罪者の逮捕に協力してくれたじゃないか。それがあったから、女の子が新しい人生を歩むきっかけを作れたんだよ」
キーチェはふるふると首を振る。
「あの子になにも声をかけてあげられませんでしたわ。何を言っていいのか、分からなくて……本当言うと、私、同年代の子どもたちをうらやんでいたんですの。ご両親に愛されて、楽しそうでいいなって。私は健康でご飯を食べることが出来て、魔法を勉強することも出来たのに、自分のことを哀れんで、他人の不幸を見ていませんでした」
ユーリも励ますように彼女の細い肩を叩く。
「ありがとう、キーチェ。最後まで、泣かないで頑張ったんだな」
ユーリの言葉を聞いて、彼女はさらに泣いてしまった。
「あ、あの場面で私が泣くのは違うと、思って……うぅぅ」
目に見えてうろたえたフーは「うち、子どもいないんだよなぁ」と言いながらがばっとキーチェを抱きしめ、ぽんぽんと背中を叩き続ける。アレウスは、前足をキーチェの靴の上に置いて、彼女を見上げていた。オリオンはフーより動揺しているらしく、うろうろと歩き回っている。
ブランカが、トレフル・ブランのポンチョを引っ張った。実はポンチョの裏側にはたくさん魔法のポケットがあって、トレフル・ブランはいつもここから色んな道具を取り出している。おそらくブランカは「なにか気の利いたものを出しなさい」と伝えているのだろう。
困ったトレフル・ブランは、少し考えて、ラベンダーのポプリをハンカチに包んで差し出した。キーチェは化粧品や整髪料などの美容アイテムが好きなので、喜んでもらえるかと思ったのだが、好きな香りまでは知らない。事前に調査しておくべきだったと、少し後悔する。
恰好がつかないなと思いながら、トレフル・ブランも彼女に話しかける。
「あのね。俺だってなんにもしてないし、正直、両親の揃ってる子がうらやましいと思ってるよ」
たまたま先生の作った魔道具に助けられただけ……いや、偶然ではないだろう。こんな都合のいいタイミングで、魔法の湿布が届くはずがない。先生は知っていて助けてくれたのだ。魔導士としても人間としても、まだまだ未熟であることが身に沁みる。
「悔しいけど、今回のユーリはちょっとカッコよくて、でもすぐにマネできる気もしなくて……だから俺は、俺に出来る小さなことから始めようと思う。今日知った、あの子の痛みを忘れないこと。それから、友だちにハンカチを貸してあげること」
そう、言い訳はやめて、自分の気持ちに素直になろう。
ユーリもキーチェも、もう「旅の同行者」ではなく「友だち」なのだ。
いつも心のどこかで「自分と彼らは違う」と一線を引こうとしていた。でもいつの間にかその線は掠れて消えていた。その事実を受け入れることもまた、「千里の道の一歩」なのではないだろうか。
親がいないから、お金がないから、生まれた場所が違うから、病気だから、障がいがあるから、子どもだから、女性だから、老人だから。人間は色んな理由で、他人と自分との間に線を引き、時に線の向こう側を切り捨てる。
しかし、自分と違いを見つけて、バカにして、切り捨てて――その先に残るものは何だろう。自分と全く同じ人間が存在しない以上、異分子をすべて排除して残るのは、ひとりぼっちの自分なのではないだろうか。
「ねぇキーチェ。世界には、まだ俺たちの知らない不幸がたくさんあるよ。でも、楽しいこともたくさんあると思うんだ。みんなで一緒にご飯を食べよう。思い出を作ろう。俺たちが生きていることで、誰かを励ましたり守ったりすることが出来ると思うよ」
フーの腕の中から、キーチェの紫紺の瞳が見上げてくる。そんな彼女に、ユーリの黒い瞳が微笑みかける。もちろん、トレフル・ブランの緑色の瞳も。
ドリームボックスが稼働する世界でも、瞳の色が違う三人が友だちになることが出来る。違いを認めて、尊重する心がある限り、彼らの夢が潰えることはない。
※注意※
この物語の一部はフィクションであり、実在の人物、団体、事件等に関係するかどうかは、読者諸氏の判断に委ねられます。
見習い魔導士とドリームボックス 路地猫みのる @minoru0302
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