目玉

多田いづみ

目玉

 なんでもそこはずいぶんと山奥にあるテニス場らしかった。

 空はからりと晴れ、すずしい秋の風が吹いている。スポーツ日和だった。

 広い場内にはコートが四面、ゆったりととられている。わたしたち――つまり、わたしとテニスの相手は、その四面のいちばん手前のコートに陣取った。

 ほかのコートにはセンターネットも張られておらず、わたしたちのほかには誰もいなかった。


 そんな山奥であるにもかかわらず、コートは手入れがゆきとどいていた。地面はしっかりと赤土でならされ、雑草いっぽん生えていない。その鮮やかなオレンジ色の土壌は、街なかであればそれほど気にならなかっただろうが、テニス場をとりかこむ鬱蒼うっそうとした緑との対比で、やけに派手派手しく浮いて見える。


 コートの反対側でラケットを構えている相手の顔に、わたしは見覚えがなかった。どこかで見たような気もするけれど、思い出せなかった。だがそんなことは大した問題ではない。テニスというのは、ボールを打って語り合うものなのだから。


 打ち合いは、ゆったりとはじまった。きょうの自分の調子、ボールの弾み具合、相手の力量、そうしたものを推しはかりながら、わたしは慎重にラケットを振った。七分ほどの力で相手の正面に打ち込むと、相手もまったく同じ調子でわたしの方に真っすぐ打ち返してくる。


 そうして打ち交わしているあいだに、だんだんとわたしは相手のことを思い出してきた。

 といっても、相手は知りあいといえるほどの仲ではない。わたしは近くのキャンプ場にコテージを借りており、相手はそのキャンプ場の従業員だった。

 コテージから出る際、デッキに積もった落ち葉を掃いているのを見た記憶がある。が、言葉を交わした覚えはない。どういうわけだかその従業員が、こうしてここでわたしとボールを打ち合っているのだ。もしかするとテニスの相手がいなかったから、わたしが無理に頼みこんだのだろうか?


 そうかもしれない。というのも相手の格好は、テニスをするにはふさわしくない作業着のツナギのままだったし、よく見ると手に持っているのはテニスラケットではない。さっき落ち葉を掃いていた三角ホウキだった。器用というかなんというか、よくもまああんなものでボールを打てるものだ。


 キャンプ場の従業員は、ラケットの代わりに三角ホウキを使っているにもかかわらず、ボールを正確にわたしの正面に打ち返してくる。

 いっぽうわたしはといえば、何をやるにもカタチから入るという悪いくせがあるから、初心者に毛の生えた程度の大した腕前でもないのに、えらく高額なラケットを使っている。しかも最近、ガットを張り替えたばかりだ。ブタに真珠というやつかもしれない。が、わたしにだって初心者なりのプライドというものがある。相手の実力がどれほどなのにしろ、三角ホウキなんかで打っているやつに負けるわけにはいかない。

 おのずとさっきまで七分ほどの力で打っていたスイングは、八分、九分としだいに力がこもってきた。しかし相手は涼しい顔をして、わたしの全力の強打をいとも簡単に打ち返してくる。

 ネットの上をボールが行き来する様は、だんだん早く激しくなってきた。そうしてついにわたしは根負けし、ボールをネットに引っかけてしまった。


 ボールはそれ一つしかなかったから、ミスをした者が拾いにゆかねばならない。

 わたしがネットのたもとに落ちたボールを拾い上げると、妙に生あたかくてグニャリとした感触があった。色も普通のテニスボールとなんだか違うような気がする。

 よく見てみると、それはテニスボールではなかった。大きな目玉だった。

 大きさも重さもテニスボールとほとんど変わらないが、しかしそれはどう見ても生き物の目玉だった。人の目玉がこんなに大きいわけがないから、なにかもっと大きな動物の目玉だろう。

 目玉は大部分が白目で、はじのほうに小さな黒目がちょこんとついている。ちょうどビリヤードの8番ボールを白黒逆にしたような感じだ。白目には赤い糸みたいな細い血管が、網の目のように張りめぐらされている。黒目の反対側にはヒモのようなものが伸びていて、そいつは神経の束らしかった。

 どうにも不気味だったが、ボールは――目玉がボールと言えるのかどうか分からないけれど――それ一つっきりしかないのだから、嫌でもそいつを打ちつづけるほかない。


 しかししばらく打ち合っていると、さっきまでは目玉がこんなに弾むものかとびっくりするほどだったのに、ボールはだんだんと弾まなくなってきた。どうやら表面が傷ついて、中のものがジクジクと染み出てきているらしい。

 球すじが地を這うほど低くなり、わたしはまたもや打ち損じて、ネットにボールを当ててしまった。

 さっきから打ち負けているのはこっちばかりだ。わたしは高価なテニスラケットを使い、相手は三角ホウキで打っているというのに……。

 わたしは急に恥ずかしくなって、あわててボールを取りにいくと、つまずいてボールを蹴ってしまった。


 ボールはネットにあたって跳ね返ると、止まりぎわ不自然にもうひと転がりし、ギョロリとわたしをにらんだ。


(了)

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目玉 多田いづみ @tadaidumi

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