年越し

久火天十真

年越し

 息が白く上がる。肺が痛く張り付く。

 夜の空はやけに綺麗で、澄んで乾いた空気が張り巡らせている。

 あぁ、今年も終わる。

 来年は、二〇〇八年。時刻は二十三時五十一分。

 俺は煙草を一つ、取り出して吸う。

 最後の一本だ。

 空になった箱を軽く握りしめて、ポケットにしまい込む。

 煙草を吸いながら思う。

 そろそろこいつも辞めなきゃいけねえのか。

 一つ、口から煙が立つ。

 匂いが俺の周りを取り囲んでは背後に消えていく。

 俺の好きな匂い。ずっと隣で嗅いでいた匂い。想い出に染み込んだ匂い。

 実にくだらなく、愛おしい、想い出の残骸だ。

 あぁ。

 俺はふと、昔、彼女と初詣に行ったことを思い出した。

 金髪に浴衣なんか着て、煙草片手に風情の欠片もない奴だった。いや、逆にそういうズレた姿に惹かれていたのかもな、俺は。

 あの時から、俺はずっと不幸せだった気がする。

 人並みの幸せを享受して、人並みに生きることに喜びを得ていた。

 俺はそういうので満足できる人間じゃなかったのにな。今の方がよっぽど幸せだ。生きている心地がこんなにもしている。一人になって二十四年。あと少しで二十五年か。

 俺はあと少しでまた不幸になってしまう。

 皺に染まった手を俺は見る。

 俺も老いたものだ、と感慨じみた感傷が、俺の中にあふれ出た。

 住宅街では騒ぐ声が聞こえている。どの家も、きっと見えもしない未来というやつに心浮かれている。

 俺はただ見栄の無い未来に心憂かれているというのに。

 どうやって生きていけばいいんだろうな。

 俺は昔どうやって生きていたんだっけか。

 分からねぇ。思い出せねぇ。

 ただ、心からすっと影が引いていく感触だけがあった。

 街路灯の下に、俺は突っ立っている。秒針が微かな音を立てて、俺の首に迫っている。

 針が回る。首が飛ぶ。

 年が明ける。

 俺は自由という不自由から抜け出して、自由という名の不自由に身を投じて生きていくことになった。

 何のことはない。

 そう。何のことはないのだ。

 世界は変わらず回って、社会は俺を気にせず歩いていく。

 そうだな。とりあえずは。

 俺は丸めた煙草の箱を道端に捨てる。

 そして、当てもなく夜の中に消えていくことにした。

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年越し 久火天十真 @juma_kukaten

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