後編
「さてそれでは……『本尊様』とご対面と参りましょう」
「ひいぃぃ……ぃやしかし、書きつけにある通り裏庭に蓮池と如来像はありますが、入口が水の中では……」
化け物を検分に行く、しかも水の中を通って……
そんな坊主どこ吹く風と、
慌てて徳玄も後に続いた。
裏庭では、樹木を背にした二丈ほどの背丈がある如来像が、蓮池を見下ろしていた。池の水はなかなかに深く見える。いったいこの法師はどうやって水中の入口に辿り着くのだろうと、徳玄が訝しむ目の前で――。
「まずは水を抜きます」と、道登は懐に手を入れた。
ひょいとひとつ、手のひらほどの小箱を取り出す。
道登は小箱の蓋をとり、ぽいっと箱の身を蓮池の隣に投げた。
「そうれ!」と掛け声を発しながら道登が右手で弧を描くと――蓮池の水が舞い上がり、投げた小箱の身の中へぐんぐん吸われていくではないか。
呆気にとられる徳玄の前で、見事蓮池はからっぽとなった。
「こ、これは一体……」
「道術ですよ、とても簡単な」
言いながら道登は、穴の縁へと歩んでゆく。だんだんと法師の姿が穴の中に沈んでいった。見れば、穴の縁には底まで続く階段が掘られている。丸く大きな蓮の葉に隠されて、今まで気がつかなかったのである。
干上がった池の底、ちょうど如来像の下あたりに、横穴があった。
僅かに水を残した横穴へ、道登は散歩でもするように入ってしまう。
穴の先には、四十畳ほどの四角い広間となっていた。天井までの高さは一丈余りである。壁に生えた苔が青白く光り、暗いはずの部屋の中を照らしていた。
「ひぃいいいいっ!」
後に続いて小道から
二人の眼前には、祭壇に封じられた大きな人型があった。
四本の柱で囲まれた祭壇の中央、大岩の台座の上に巨体が這いつくばっている。
四肢を鉄杭で穿たれて、上から大岩ごと鎖を巻かれて締め付けられ、封印の護符があちこちに貼られていた。両足の膝から下は、切り取られたように失われている。
「惨いことをする……」と独り言ちる道登の背に、感嘆する子供の声が響いた。
「おお、すげえ! でっけえおっさん、いたんだあ……」
丸い徳玄の影から童子が飛び出した。
「大人は慌てるばっかりでうるさいし、退屈だから見に来たんだ。御師さん、夢に現れたおっさんはこいつだったよ。でもだいぶ……萎びてんな」
「死んで……おるのですよね?」
おずおずと聞く徳玄の期待を、道登はあっさりと砕いた。
「存命です。封じられて妖気を吸われ、動けないだけです。とはいえ――」
道登はうつ伏せの額に手を触れて、妖魔の体に生気を流した。
ぶるりと、戒めの下で巨体が震えた。
びくりと、徳玄も声を震わせる。
「道登殿……何を、なさるのですか!?」
「怪異を起こした本人に、話を聞くのですよ」
「鬼など、調伏してしまえば……」
「それでは村人のつま先は戻りません。それに、法力の源はこの者ですよ?」
道登の言い分に、徳玄は返す言葉を持ち合わせない。
「聞こえますね……お前、名は?」
「儂に、名は、無い……」
そうして居合わせる三人に、妖魔は
――百年前、まだ未開の山野であったこの地で独り、妖魔の男は暮らしていた。
そこへ荘園を開くため、遠方より僧侶と農民たちがやってきた。
百年前といえば仏敵はあまねく調伏と、鬼狩りが横行していた頃でもある。鬼と見なせば見境なく狩られた。この妖魔も同様に、都から来た武人の手により狩られる一つとなる……が、殺されはしなかった。
宿した強い霊力を目当てにして、開墾地を護る妖魔払いの柱として使われたのである。万が一にも逃さぬ用心として足を切られ、膝から下は別の場所――子供たちが壊した祠の奥に封じられた。
かくして、妖魔本体は祭壇に隠され、目くらましに如来像が造られる。霊力を吸い上げ法力と偽りこの地を護る結界の源にされ、荘園領主の寺が建ち――。
「ところが、まったくの偶然で足の封印が解かれました。僅かながら己の力を取り戻し、人の夢枕に立って解放を呼びかけた……とまあ、そんなところですね」
「御師さん……また、閉じ込めちゃうの?」
「そんなこと、しませんよ」
「封印せんのか!?」
「徳玄殿、あなたそれでも、仏に帰依する者なのですか? 訳を知ってなお、その命を己の都合で好きにすると? そんな仏の教え、私は聞いたことがありません」
ぐうの音も出ず歯がみする徳玄を捨て置いて、道登は封印の祭壇を去った。
祭壇から出て本堂の前に戻ると、境内の人々は相変わらず騒がしいまま。
そんな人々を後にして道登と制多は駆け出し、風となった。
制多に先導させ、道登はほどなくして子供たちの秘密の遊び場に辿り着く。
辺りの様子を伺いながら、師弟は祠のある洞穴の奥へと進んだ。
「入口は元々、埋めるかして隠していたようですね」
「子供が掘り返したんじゃないみたいだよ?」
「百年の間に雨風や地震などで、自然と崩れたのでしょう。ですが――」
子供たちに壊された封印の祠を見て、道登はしばし言葉を失った。
「物知らずに怖いもの知らず……しかし、今となってはガラクタか。消しますかね」
「ええっ?」
驚く制多の目の前で、道登はさっと右腕を前に払った。
音もなく祠は塵となって、さらに奥へと続く小道が現れる。
洞穴の最奥の小部屋には、鉄杭で台座に縫われた妖魔の足が二本あった。
大きな力で打ちつけたであろう鉄杭を、道登は魚の小骨でも抜くようにして、こともなげに摘まみ上げてしまった。
法師の懐にしまわれる二本の足は、息づくように脈打った。
そうして師弟は再び寺へと戻ったのだが――門前には僧衆を従えた徳玄が、待ち構えていたのである。
§
「足を持ち帰ったのでしょう、渡していただきたい」
道登に告げる徳玄の声は、切実であった。
得物を持って左右に控える僧衆の身体に、力が漲る。
「荘園の暮らしが、掛かっておるのです」
受け継いだ土地を守らねばならぬという道理が、住持を動かしていた。
岩のような身体をした僧衆二人が、徳玄の左右から進み出る。
手にした薙刀を、下段に構えた。
「力づくですか……制多」
「子供を盾にする者が、私に説教をしていたとは」と、和尚はせせら笑う。
左の僧衆が、進み出た制多の鼻先に刃を突き付けた。
「坊主、引くなら今のうちぞ」
「坊さん、刃物で子供を脅すのかい?」
「脅しと思うかっ!」
ぐいとそのまま、切っ先ごと踏み出した。
頭が二つに割れるかと思いきや、制多は数瞬早く右に躱して踏み込んだ。
左足を軽く横に振り上げ振り子のように揺り戻し、僧衆の左脛の内側目掛けてしたたかに蹴り抜いた。
厳しい修行で鍛え抜かれた弟子の足先は、鋼である。
「んぐぅうううっ……!」
金棒の如きに急所を叩かれ、堪らず苦悶の声が上がった。
地に伏す僧衆を見届ける間もなく、続けざまに右から薙刀の突きが討ち込まれる。
制多は刺突の動きに身体を添わせ、身を滑らせ股下に踏み込んだ。
そのまま右の
「ほんぐぅっっっ……」
挽き潰した呻きをあげ、薙刀をとり落し、身を縮めて悶絶する。
童子に倒された僧衆は二人とも、震えたまま起き上がる様子がない。
徳玄は制多の強さに腰を抜かし尻もちをついたまま、あわあわとして
「やれやれ、子供に刃を向けるとは……急ぎますよ、制多」
境内の奥から遠目に様子を見ていた人々は、通り過ぎる仙人師弟を遠巻きに見送ることしかできなかった。
封印の祭壇に戻った道登は、切り取られた両足を見せながら、妖魔に語りかけた。
「これから封印を解き、足を繋ぎ直しますが……ひとつ頼みがあるのです」
「つま先か……?」
「そうです。取り上げたつま先を、皆に返して頂きたい」
「無論だ……儂は足を取り戻して、ここから出たいだけだ……」
では――と返事をし、道登は右腕を振った。すると全身に穿たれた全ての鉄杭がするすると抜けて、地に落ちた。続けて左腕を振る。護符と鎖が塵となって霧散した。
道登は懐から二本の足先を取り出すと、あるべき場所に並べた。切り口の両端に手を置いて生気を流し込む。すると見る間に傷口は繋がって、切られた足が元の形を取り戻したのである。
「動かしてごらんなさい。立てそうですか?」
ゆっくりと、手をつき膝をつき、巨体の妖魔は立ち上がった。頭頂が天井をかすめそうになったとたん、身体を屈めてごほごほと
「一夜明ければ、つま先は全部元通り。これで良いか?」
花の咲くような笑みで答えた道登は、意外な言葉を継いだ。
「では……お披露目と参りましょう。本堂まで着いて来てください」
怪訝な面持ちの制多の目の前で、妖魔の男は黒風に変じると横穴を抜けて外へ出た。道登と制多も後に続く。黒風は空高くで渦を巻いていた。
本堂前には、悶絶から快復したのか制多に倒された僧衆と徳玄の姿があった。
未だ右往左往する人々に、道登は本堂の前に進み出て「みなさん!」と
「此度の怪異騒動は全て落着しました。そこで――」
道登は言葉を切り、頭上の黒風に向って手招きをする。
突然巻き起こる大風に、人々は目を覆った。
そうして開いた目の先には、巨体の妖魔の姿があった。
当然――人々は尽く驚き慌てて大騒ぎ。僧衆たちも武器を構える。
「鎮まれい!」と、道登の一括が轟いた。
気圧されて、境内は水を打ったように静まり返る。しかし――。
「それは、鬼だろう!」
徳玄一人が、虚勢を張ったのである。
道登は、静かに応じた。
「違います。この妖魔は『
「妖魔には違いなかろう」と、徳玄はなおも食い下がる。
「元々この辺りを住処にした山野の主で護り手ですよ。人など襲わぬ大人しい、気の良い者です。好物は……なんでしたっけ?」
道登は山の主の顔を見上げた。答える山わろの声は、優しげである。
「カニ、それからエビだ。人など喰うものか……考えただけで恐ろしい」
そう言って身震いする巨人を見ながら、徳玄は道登に力なく訊いた。
「なら……なぜ鬼狩りに狩られたと?」
「山わろを狩った鬼狩りが、学のない大馬鹿者だったということです。仏敵だと決めつけて、功に逸る武人の悪行は珍しくありません――」
吐き捨てるようにしてから道登は、こうであったろうという百年前のいきさつを、人々に語り聞かせたのである。
聞けば聞くほど、憐れで惨い話であった。
「最初から、百年前の残虐非道な行いなど、不要であったのです」
「それで山の主殿は、これからどうなさるのだ?」
おずおずと徳玄が、山わろを見上げて答えを待った。
「儂は山で静かに暮らせればそれで良い。できれば住処にカニなど届けてくれれば、なお良い。あと、エビも」
「そんなことで、よろしいのか? この土地も、護ってくださると?」
「当たり前だ。自分の住処を大切にしない者が何処におる」
ぱちぱちと手を叩きながら、道登がにこやかに騒動の幕を引いた。
「山わろは野に帰して、これからは皆仲良くすること。それで万事落着、これまで通り平穏な生活がおくれますよ」
こうして、怪異はおさまり、荘園の山野には山の主が帰還した。
封印の解かれた翌朝、村人たちが目を覚ますと、山わろが言った通りに失われたつま先は、皆元通りになっていた。
宗栄の村や寺領荘園一帯の全てが、平穏を取り戻したのである。
数日して後、道登と制多は
宗栄一家や徳玄たちに見送られ、農村を遠く背にしてからのことである。
道登にしては珍しく、弟子に向かって愚痴をこぼした。
「まったく……土着の神や鬼神を、仏法はなんだと捉えているのか」
普段は見せぬ師の苛立ちに、師に弟子は目を丸くした。
「御師さんて、始めは坊さんだったのだっけ?」
「そうですよ、仏法を修めました。仏の教えも良いところは多いのですが……ときどき、いけ好かないことをする。そこが気に入らない」
「それでゲンゾクして仙人になったの?」
「まあね……妖魔と言えど人と同じ、良い者もいれば悪い者もいる。十把一からげに人の都合で殺めて良いものではありません。ましてや仏の教えを笠に着るなど」
いつになく熱弁を振るう道登を、制多はしげしげと眺めた。
「そっかあ……そんならおいら、友達が欲しいな、妖魔の」
「できますとも、制多にならきっと、妖魔とも仲良くできますよ」
制多の素直な優しさに、道登は機嫌を直していた――。
こうして二人は、再び水郷の町を目指して旅を続けた。
そして制多は、旅先でとある少女と出会うのだが――その話は、またの機会にて。
流浪の賢人とその弟子、つま先を盗む怪異を鎮める まさつき @masatsuki
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