流浪の賢人とその弟子、つま先を盗む怪異を鎮める
まさつき
前編
今は昔のことである。
咲き誇る花の如き美男であった。歳の頃は二十七程だが、実の歳は不明である。
幼い頃より仏門に帰依したが、仏法を修めた後に還俗し、名のある仙人の弟子となった。本人曰く「ほどなくして」仙道を得ると、新たな学びを求め東の倭国へ渡ったという。陰陽道を修めて後、ここ云十年は
道登には一人、童子の弟子がいた。名を
天賦の武芸の才を備え、道登による厳しい修行にもよく耐える。ところが仙術の覚えはどうにも悪く、その意味では不肖の弟子であった。それでも道登は我が子のように、制多を可愛がった。
さてこれは、そんな子弟の数奇な旅路における、逸話のひとつを語るものである。
制多が道登の弟子となり一年余りが過ぎた、八歳の秋のこと。
都にほど近い水郷への旅の途中、法師と弟子はとある農村に立ち寄り
領主より
逗留して数日が過ぎた頃。
道登は名主宅の縁側で呑気に茶で一服し、宗栄と談笑を交わす最中であった。
「――おかげさまで、弟子も村の子供たちと仲良くしていただいて」
微笑みを湛えて、道登は宗栄に首を垂れる。
「お寺様の法力に守られた、平穏な地なのです。子供たちだけで遊んでいても、何の障りもございません」
自分の手柄であるかのように、宗栄は誇らしげに語った。
上々であった宗栄の気分は、しかしここで途切れてしまう。
血相変えて飛び込んできた若者が、村の異変を知らせたのである。
「宗栄様! 宗栄様! たた大変です!」
「なんだ、騒々しい」
面倒この上無しな面持ちで、名主は若者の姿を睨めつける。
「おれの兄貴が、兄貴が朝起きたら……つま先を無くして」
「つま先? 何を訳の分からんことを」
確かに、面妖である。しかし慌ててはいるが、若者は真剣そのものであった。
「他に何人も、つま先を無くしたって騒ぎになってて……」
道登は茶碗を片手に立ち上がると、縁側から下りて若者の傍らに膝をついた。
「まずはほら、これを飲んで気を鎮めるのです」
道登は手にした茶碗に注がれた茶を、若者に勧めた。
喉を鳴らして茶を飲むうちに、若者は徐々に落ち着きを取り戻す。
「うめぇ、おれ、茶なんて初めて飲んだ……」
「さて……つま先を無くしたと言いますが、切られでもしたのですか?」
「いやそれが、傷はねえのです。まるで、生まれた時から欠けてたみてえに」
「ほう、それで?」
「痛くはねえと言うんですが、足踏ん張れねえもんだから、歩けなくって」
歩けないと聞いたところで、黙って耳を傾けていた名主の顔が真っ赤になった。
「おい! それじゃあ、畑仕事も無理ってことかっ!?」
「そ、そうです! もうすぐ刈り入れだっていうのに……」
「待て待て……それでは年貢が納められなくなるではないか!」
「お待ちなさい」と、村人よりも年貢の心配をする名主を、道登はたしなめた。
「お若い方、おかしなことが起きているのは分かりました。それで、他にも何か変ったことはありますか?」
「そうだった、つま先を無くしたもんが皆言うんです。夢ん中に化け物が出てきて『儂の足返せ』とかなんとか……」
「はっ、バカバカしい! 妖魔の類いが出たことなど、この百年一度も無いのだぞ」
迷信などに貸す耳はないと、宗栄は吐き捨てた。
だが、道登は違った。
「百年無いといって、次の一年目に起こらないとは限りません。宗栄殿、お世話になったお礼です。ここは私が一肌脱ぎましょう」
道登は若者を家に帰すと、まずは宗栄に話を聞き始めた。
ところが――。
「百年一度も何もないというのは、本当のことなのです。私が子供の頃、父や爺様の頃からずっと……ですから私も、心当たりと聞かれましても……」
徐々に平常を取り戻した宗栄は、これから起きるであろう得体の知れない出来事と、年貢を納められないかもしれない不安に、脂汗をかきはじめた。
「村の故老を紹介しましょう。何か知っているやも――」
とはいえ、名主と何十年も齢が違うわけでもない。
それでも聞かぬよりはと考えて、道登は故老を訪ねたが――。
結局、無駄足に終わった。
一方、制多である。
道登が宗栄に礼を述べた通り、制多はすっかり村の子供と馴染んでいた。流浪の身であり普通なら爪弾きにされるところだが、制多生来の人懐こさが功を奏した。
とりわけ、齢も近い名主の息子である
今も制多は宗俊を筆頭とした村の悪童どもに連れられて、子供たちの「秘密の遊び場」に案内されるところである。
村はずれの森の中、僅かながらに妖気漂う不気味な場所であった。
「気味の悪い所だろう? ここは大人たちも近づかない隠れ場なんだ」
「へえ……」と、感心するのか呆れるのか曖昧に、制多は宗俊に返事をした。
「なあ、面白いもん見せてやるよ」
宗俊は日も差さぬ森の奥、崖に掘られた横穴の中へ、制多を案内した。
しばらく歩いたどん詰まりには、無残な姿をさらした小さな祠があった。
「これ、いつから壊れてるの?」と何気なく、制多は宗俊に聞いた。
「昨日だよ。オレたち肝試しでさ、一番派手に壊せるのは誰かって競ったんだ」
「へー……すごいな~、肝ガ座ッテンダネー」
呆れてものも言えないとはコレなんだなと、制多は宗俊に目を向けた。
「ま、なーんにも起きなかったけどさ」
悪童は心底、つまらなそうである。
何も起きないはずはないと、不肖の弟子は思った。
きっと悪いことが起きるぞ、早く御師さんに知らせないと――。
だがもう、手遅れである。
村人がつま先を失う怪異が起き始めたのは、祠が壊された日の夜からであった。
§
日の暮れぬうちに壊れた祠を後にして、制多は急ぎ道登の元へと帰った。
名主の用意した部屋に戻るや、制多は壊された祠について、師に語った。
道登は弟子の持ち帰った手がかりに驚き、よくやったと褒めちぎる。
「おいら話がよくわからないよ、どしたの?」
「そうでした、思わぬところから手がかりを得たものですから……」と道登は、村に起きている異変について、弟子に語り聞かせた。
「――つま先なあ……なんだろね?」
「分かりません。なんらかこの怪異に、祠が関わりあることは確かですが」
「ふーん……」とする弟子の前に座り、道登は印を切って呪を唱えた。
「今のなんだい?」
「お前の眠りに妖魔を誘い込むまじないを施しました」
「おいらそれで、何するの?」
「私では、力が強すぎて警戒されてしまいます。今のお前程度なら、妖魔もそれほど怪しまず誘いに乗って来るでしょう。そこで――」
道登は制多に、夢枕に立つ妖魔と対話し事情を聞いてくれと、頼んだのである。
制多は床に就き大の字になるや、三つ呼吸をする間もなく寝息を立てた。眠った制多はしかし、夢の中では起きていた。
暗闇の夢の中で胡坐をかいて待つこと数刻――。
ふいに、地に伏し這いつくばる大きな人影が、朧げに現れた。
身の丈は二丈足らず、筋骨逞しい身体は毛深く、粗末な腰蓑を纏っている。
鬼のようにも見えるが、制多にはよく分からなかった。
「足返せ、ここから出して足返せ、出さねば主らのつま先取るぞ」と、恨めし気に呪いの言葉を吐きながら、じりじりと匍匐して制多のほうへと進んでくる。
見れば確かに、人影の両足は膝から先が失われていた。
「おっちゃん、その足どうしたんだい?」
道登から言付かった通り、制多は臆することなく問うてみた。
だが何を聞いても、足を返せとつま先取るぞの一点張り。
しびれを切らした制多は「おいらのつま先はやれねえから、どっかよそへ行きなよ」と、しっしと妖魔に手を振った。
すると大きな姿が、朧となって消えていくではないか。
そうして制多は、やおら大の字にひっくり返ると、夢の中で眠った――。
「――てことなんだけどお……役にたった?」
翌朝、制多はありのままを道登に告げた。
「お前、もう少し話しの仕方が……いや、まあいい。この辺りで昔、夢に現れた妖魔に関わる何かを、誰かがしでかしたようですね。おそらく、百年ほど前に」
「出してくれって言ってたけど、宋俊が壊した祠に閉じ込められてるのかな?」
「それは違うと思います。お前が感じたという微かな妖気では、辻褄が合いません」
そう言うと道登は、弟子を伴い荘園の主である寺の住持を訪ねることにした。
「お寺様の法力に守られた、平穏な地」だと、名主の宗栄は言った。百年代々僧侶が荘園一帯を、一匹漏らさず妖魔から守ってこれたとは考えにくい。法力の正体と妖魔の間に何か関わりがあるのではないか――道登は、そう睨んだのである。
道登と制多が急ぎ訪れた
このまま拱手傍観していては荘園一帯、早晩歩ける者はいなくなるだろう。
慌てふためく人々を後目に道登は、おろおろとして太った体を持て余す紫色の法衣を纏った僧侶に、声をかけた。
「住持のお方とお見受けいたします。私は宗栄殿にお世話になっております旅の法師で、道登と申す者です」
茫洋花咲く風情の佇まいの道登に突然声をかけられて、肉付きの良い顔をした僧侶はぽかんと口を開けた。
「あ、ああ……聞き及んでおります……あなたが、宗栄のところの……私は
天鳳寺の住持、つまり徳玄は寺領荘園の主である。
「さっそくですが」と道登は切り出して、古い妖魔に関わる話が何かしら伝わっていないかと、徳玄に尋ねた。
「土地に関わる妖魔? いや、先代からは何も伝え聞いておりませぬ」
道登は徳玄からすんなり話が聞けるとは思っていない。目当ては別にあった。
「であれば昔の記録、百年ほど前のものなどはありませんか?」
「それほど古いものなら、経蔵に何かあるやもしれませぬが。お調べしましょう」
「ご一緒しても?」
「もちろんです、手伝いに僧衆も幾人か呼びましょう」
制多を本堂に残し、道登が徳玄に案内された経蔵――天鳳寺の経典や典籍を収蔵する
ずらりと並んだ経典には目もくれず、道登はまったく人の立ち入った様子のない、とりわけ古びた一画へと足を向けた。
埃だらけの典籍を納めた函に目をやりながら、徳玄に尋ねた。
「徳玄殿、天鳳寺が建立されたのはいつ頃なのでしょう?」
「およそ百年ほど前です。この辺りの開墾が進められたころで――」
話を聞きながら、道登は棚の奥へと手を突っ込んだ。
「おお! もしやこれではないでしょうか?」
道登は、大きな函に隠されるように置かれていた小さな箱を引っ張り出した。厚い埃がこびりつき、長年誰も触れた様子がない。
徳玄も見守る中、そっと大事に小箱を開けた。
何か物々しい書物や経典でも出てくるのか……。
しかし中には一枚、古びた書きつけが入るきりである。
記されていたのは、次の四つのみ。
一つ、裏庭にある如来像の下に鬼を封じて隠したこと。
二つ、入口は池の底に隠したこと。
三つ、鬼の足を切り、別の祠に封じて隠したこと。
四つ、代々の住持に必ず伝え、秘密として隠すこと――。
「ご存じでない?」
「知りませぬ、知りませぬ……! ましてや本尊の下に鬼がなどと……」
徳玄、嘘はついていないようである。
「知らない方が秘密を守りやすいと、どこかで途絶えたのかもしれませんねえ」
冗談めかして慰める道登だが、しかし内心では呆れていた。
たかが百年、人はこうもあっさり忘れるものなのか――不老不死の仙人にとり、それは常人にとっての十日前の約束にも等しいものであったから。
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