つま×先
小石原淳
つま先
「
作家の大河
「また、とは何だね?」
「おとぼけはよしてください。うちがお願いしたのは、夫婦をテーマにした恋愛物の短編でした。これに対し、先生は事前の打ち合わせで、愛妻を亡くした男の話にするつもりだとお答えになっている。なのにおくってくださったのは、どこからどう見てもミステリ、推理小説にしか読めませんでしたよっ」
「ちょっと待った。“愛妻を亡くした男の話にする”なんて言ったっけ」
「言いましたよ。メモにあります。先生ご自身が書かれたメモが」
「ほう。しかとは覚えていないんだ。記憶を蘇らせるために、ちょっと読み上げてみてくれないか」
「いいでしょう、少しお待ちを。――いいですか、行きますよ。『つま 先立たれた男 愛憎』となっています」
「ああ、思い出したよ。それ、“つま”は平仮名になってるだろ?」
「え? ええ、なっています」
「送った拙稿は、どんな話だったか、かいつまんで言ってくれるか」
「えーっと、原っぱにぽつんと建つ一軒家で、男が殺される話です、辺りを雪一面に覆われた、いわゆる雪の密室、足跡なき殺人を描いていました。全然違うじゃありませんか」
「待て待て。作中で犯人が用いたトリックを覚えているかい?」
「もちろんですとも。犯人はバレエ経験のある女性で、突発的なトラブルで相手の男を死なせてしまう。現場から逃げようにも、周りは止んだばかりの雪ですっかり覆われ、どうやっても痕が付く。窮地に追い込まれる女性でしたが、窓越しに、小さな子供らが雪合戦をしているのを目撃して閃いた。子供らが去ったあと、現場である家の屋根などから雪をかき集めて雪玉をたくさん作り、ごみ袋に入れて外に出る。そしてバレエのようにつま先立ちで雪の上を跳ねるように進みながら、雪面につけた痕跡には雪玉を一つずつ置いていく。あたかも、子供らの投げた雪玉がそこに落ちたように、適度に崩しながら。こうすることで痕跡をごまかし、女性は脱出に成功した……というトリックでした。これがどうかしたんですか?」
編集者の話を聞き届け、大河格造は見えない相手に向けてにやりとした。
「今言ったじゃないか。犯人はつま先立ちをして現場から抜け出したと」
「言いましたけど、だからそれがどう……あ? つま先立ち? まさか……」
「そうだよ。殺された男は、女に、つま先立ちで逃げられた。つまり、つま先立たれた。僕、嘘は言っていまい? 恋愛物をと打診されたけれども、そのジャンルで引き受けるとは答えなかったはずだしね」
「~っ」
二の句を告げないで悔しげに唇を結ぶ編集者の顔が、脳裏に浮かぶ。
恐らく怒りと呆れとで喚き散らしたい気分だろうけど、堪えているに違いない。これまで何度となく似たような仕打ちを大河から受けても、よく我慢しているものだ。
(僕のいたずらに文句を言うことはあっても、原稿を突き返す勇気はないんだよなあ。もしもきっぱり拒絶するようであれば、真面目に書いた恋愛物を渡してあげるんだが)
もうしばらく楽しめそうだと、大河格造はほくそ笑むのであった。
おしまい
つま×先 小石原淳 @koIshiara-Jun
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