第3話 鎌足、道綱、伊周の精霊がつないだ与一の矢
昼ならば、陸に上昇気流が生じるために海から陸に風が吹く、夜ならばその逆で海に上昇気流が生じるために陸から海に風が吹く。夕方だとちょうど、海風から陸風に切り替わる時刻であり、そのため、一時、無風となったのである。
「我が那須家の名に懸けて、どうかあの扇を射させ給え!」
与一はついに矢を放った。放った矢は小舟の扇に向かってまっすぐ飛んでいく。その様子をみて中臣鎌足はにやりとした。
しかし、そこで、わずかなつむじ風が矢の方向をわずかな狂いを発生させた。そこに別のご先祖の霊が舞い降りた。その霊は藤原道綱であった。
藤原道綱の霊は海上をふわりと飛ぶと、与一の放った矢に追いついた。与一の矢は的に向かって進んでいるが、わずかに軌道の狂いが生じている。そこで道綱はそっと息を吹きかけた。道綱の吹きかけた息により矢の方向はわずかに修正され、ふたたび扇の真ん中をめがけて飛翔していった。その様子を見て、鎌足と道綱はにやりとした。
藤原道綱は道長の兄である。道綱が少年の頃に行われた宮中の弓試合で劣勢だった方を道綱の力で引き分けに持ち込んだといわれている。このことは『蜻蛉日記』にも記されているのである。
いよいよ矢が扇の的に差し掛かった時であった。突然、波が生じて、小舟を揺らした。小舟とともに竿が揺れ、扇の位置に変化が生じた。そこに舞い降りたのはまた別のご先祖の霊であった。
三人目のご先祖の霊は得意げに語った。
「俺は弓の名手だ。花山院の牛車を狙って矢を放ったのも俺だからな」
その霊の正体は藤原伊周であった。海上をふわりと飛び、小舟に乗り移った。
「このままだと、矢は的を外す。少しだけ調整することとしよう」
そういうと伊周は竿を握って、ぐいと引っ張った。竿の位置が変わったところで与一の放った矢が扇の端ぎりぎりのところを通過。その勢いで扇は空中へと舞い上がった。
その様子を見て、鎌足、道綱、伊周はにやりとし、浜にいた源氏も船の上の平氏も一緒になって歓喜の声をあげた。矢を放った那須与一は、安堵の表情を浮かべていた。
「これで、少なくとも命は助かっただろう」
藤原伊周は弓の名手である。長徳二年、伊周は花山法皇に矢を射かけるという事件をおこした人物である。当人は、相手が花山法皇とわかっていなかったためであるが、相手の袖をわざと射抜くことができたのは、弓の腕に自信があったからである。
与一の射撃を祈る際、高天の原からこの様子を見下ろす皇族がいた。
「さすが、伊周の末裔。みごとじゃ」
そう語ったその皇族の袖は、なぜか穴が開いていたそうじゃ。
陸にあがった那須与一に、畠山重忠が真っ先に声を掛けた。
「よくやった。お前ならやってくれると思っていたぞ。お前を推挙した甲斐があったというものだ」
畠山重忠は安堵の表情に満ちていた。
与一は再び義経に呼び出された。与一は内心、恩賞を頂けるのかと期待した。しかし、義経からの言葉は予想外のものだった。
「真ん中を当てよと言ったはずだ。次は必ず真ん中に当てよ」
「はっ。仰せのままに」
ブラック上司義経 乙島 倫 @nkjmxp
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