第2話 中臣鎌足の精霊が与一の弓を支える

 与一は弓の名手である。飛んでいる鳥であっても、三羽のうち少なくとも二羽は打ち落とすと言われている。与一にとって、小舟の上に固定されている扇の的を打ち落とすなど造作もないことなのである。強いて言うならば、万が一、狙いを外して正体不明のあの女官に命中してしまったならば、大いに問題になるであろう。

 しかし、与一の表情は硬かった。総大将の義経に急に呼び出されたかと思えば、いきなり叱責されたからである。何か粗相でもあっただろうか?与一は何度も思い返していたが、気になるところは見つからなかった。

 しかし、改めて言えることは、扇の的を外せば、義経からどんな仕打ちを受けるかわからないということである。

 与一は矢をつがえると、目を閉じて神仏へ祈り始めた。

「南無八幡大菩薩、我が生国の日光権現、宇都宮那須湯泉ゆぜん大明神、願わくは、あの扇を射させ給え。もし射損ずることあらば、生きて再び故郷に帰る事もできませぬ。何卒お力を与え給え」


 一方、浜でその様子を見守る義経は畠山重忠の耳元でささやいていた。

「重忠、お前が推挙した那須与一とやらが的を外した場合、推挙したお前の責任があると心得よ」

 それを聞いた畠山重忠は目を丸くした。しかし、義経はさらに続けた。

「ただ、射るだけでは物足りぬ。与一には必ず真ん中を射るようにと伝えよ」

 その与一はすでに浜を離れて弓を構えているのである。

 重忠は陣を離れ、神仏へ祈り始めた。

「武蔵国児玉大明神の神々よ。天界におわす天照大神よ。黄泉の国の須佐之男命よ。どうか、あの扇の真中を射させ給え」


 与一の弓は先祖代々の弓である。与一の先祖も弓の名手が多数いた。

 与一は弓をつがえたまま今度は先祖にも祈りを捧げた。

「御先祖様、どうか力をお貸しください」

 必死の思いで祈るとどこからともなく与一の先祖の霊が舞い降り、その弓矢を支え始めた。

 与一の元に現れた先祖の霊は宮仕えの服装の男であった。その服の様式はとても古く、天平時代のもののようであった。服は赤く、烏帽子は黒である。優美な顎鬚をたくわえていたがその顔立ちはどことなく与一に似ていた。

 那須一族は、系譜をたどると藤原資家にたどり着く、藤原資家は、陸奥国白河の岩獄丸という賊を征伐し、その後、下野国に土着したという。藤原資家の祖先は藤原道長であり、つまり、その祖先は中臣鎌足に行きつくのである。

 乙巳の変の時、弓矢で蘇我氏に立ち向かったのが中臣鎌足であると言われている。その中臣鎌足の霊が与一の弓矢を支えていたのである。

 与一が目を開けると心なしか風が収まっていた。

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