第四話(完結)

「あ、失礼。セルフレジだったっけ。えーと‥‥‥、まずはバーコードを読ませるのがわれわれロートルには大変なんですよ。プロにやってもらう方がよほど早いし楽でしょ」

「はあ」

「あるいは、シロウトだから間違ったらどうしようとか心配で。それに、品物が多いと手間取りそうだし‥‥‥あ、私は見てるだけですけどね。そう、なんて言うかなあ‥‥‥、ちょっと大変そうだなって」

「‥‥‥そうでしたか、それは申し訳ございませんでした」

 麗子は素直に頭を下げる。

「いえ」

「といたしますと‥‥‥ぶっちゃけた話」

「へ?」

(なに、この彼女、体育会系?)


 フミオは急に親近感をおぼえ、聞いてますよと目でアピールした。麗子はさらに続ける。

「お客さまはセルフレジがお嫌いですか?」

(直球かぁ。うん、嫌いだけどね)

「えーと。‥‥‥そうですねえ。まあ、強いて言えばそういうことになりますかねえ、うん、そうそう。‥‥‥やらず嫌いで、なんだか申し訳ないけど」

 彼は直球を返さなかった。

 麗子は申し訳なさそうに聞いていたが、またほんのりと笑顔になった。

「さようでしたか‥‥‥。しかとご意見、承りました。このたびは貴重なお時間をいただき、まことにありがとうございました。今後ともどうか『ハッピーハッピー』をご贔屓ひいきによろしくお願いいたします」

「はいはい‥‥‥。じゃあどうも」


 フミオはもう少し話したい気がしたが、まあいいやと会釈した。

 一方の麗子は丁重に頭を下げている。そのとき、伏し目になったまぶたに薄い赤系のアイシャドーが見えた。

(へえ)

 彼の概念では、アイシャドーは青系かせいぜい紫である。考えてみれば、ここしばらく若い女性の化粧など気にしていなかった。

(なるほど、化粧も進化してたってわけか)

 とんだ勘違いをしながら軽く手を挙げ、彼は帰りのエレベーターに向かった。なにやら新鮮な気分になっていた。


 だがその余韻は三秒と持たなかった。

(バカ! そんなことより、なんで本音をずばり言わなかったんだ。せっかくいい機会なのに、彼女の欲しそうな回答を与えただけじゃないか! ったく)

 残念ながらその通りである。

(そうだ、言いに戻ったらどうだ? いまさら失うものはないぞ)

 しかし威勢がいいのは頭の中だけだった。

 彼はエレベーターが降りてくると、そそくさと乗り込んだ。ボタンを押そうと振り返ったとき、もう彼女の姿は見えなかった。きっと別の客をつかまえているのだ。

 心なしか持っている袋が重たく感じられた。


———かくして彼は妙なことを言わずに済んだわけだが‥‥‥。これはこれで良かったのではないだろうか。


 翌々日、フミオはローテーションを変えてわざわざ『ハッピーハッピー』に行ってみた。その目的は明らかなようで実はよく分からない。ちなみにセルフ化のモヤモヤはどこかに置き忘れたようだ。

 彼はエレベーターを降りると、レジの方向に目を走らせた。ついでに、さりげない様子でぶらぶら歩き回る。

 しかし、くだんのメガネ美女などいるはずもなかった。

 他の店舗で同じことをしているか、すでに調査を終えて本社にいるかのどちらかだろう。

 チャンスは二度ない。

「やれやれ‥‥‥。俺もとんだ道化だな」

 フミオは苦笑しながらカゴを取った。


 一方、同じ頃、麗子は本社で報告書を仕上げていた。

 メガネはかけていない。

 文書のタイトルは「セルフレジ導入に関する買物客意識調査・第〇報」である。現場で音声入力した内容をデスクのPCでまとめている。もちろん部下の報告分も含む。

 この『ハッピーハッピー』のセルフレジ導入は、彼女が課長になったとき前任者から引き継いだプロジェクトだった。主体はスーパー側で彼女はマネージャー的立場だ。すでに九割がた計画を消化しており、今は後始末を併行している。

 ちなみにPOSシステムは傘下の『二の丸電子』が扱っており、フミオの批判は必ずしもあたらなかった。

(そういえばあのお客さまは、まだご意見がありそうだったわね。ガツンとおっしゃってくださればよかったのに)

 彼女は、フミオの小鼻がぴくつくのを見逃さなかった。しかし、一応水を向けてみた〔つもりだった〕が、“ガツン”はなかった。ユニークな批評が聞けると思ったが。

(でもあの方、ちょっとお父さまに雰囲気が似ていたかしら。私ったら公私混同してしまったのね。ふふ)


 彼女の父親は三年前に『七星ななぼし造船』の社長を退き、会長に就任した。やはり頑固一徹の爺である。遅い末っ子の彼女が、ライバル企業体の『二の丸』に就職すると伝えたとき、目を丸くしたものだ。そんな父が好きだった。

 彼女には特殊な才能があり、文書を読み書きしながら、ほかのことを考えられる。つまり頭の中で多系統の情報を並列処理できる。といっても実際は交互に処理しているのだが、天才的に速くて正確なのである。

 このときも例の小首をかしげる笑みを浮かべながら、手許では凄まじい速さでキーやマウスを操作していた。

(ああ、そろそろ彼との結婚を認めていただかないといけないわね‥‥‥)

 急に大事なことを思い出した。

 お相手は、『七星』や『二の丸』と三つ巴の関係にある巨大コンツェルン『マルカクHD』の社員だ。

 三日後に父の誕生会があるので、その席で持ち出そうと決めた。

 今度は最後通牒つうちょうとして「孫が産めなくなってしまう」とおどかすつもりだ。彼女は来月三十四になる。まじめな話、自分では限界に近いと思っている。


 それはともかく、次に進めつつあるプロジェクトはレジの全自動化だ。問題山積だが、彼女としてはこちらが本番である。

(セルフへのご懸念は私どもも把握しております。でも全自動ならば、それも解決できると思いますわ)

 カチっとSendをクリックし、報告書を部長に送付した。

 このあとは全自動化の合同会議を主宰する。

 彼女は情報系出身で、この手のシステムづくりはお手の物だが、ハードルは高い。時期尚早との声すらあり、今回もちょっとした修羅場になりそうだ。


 ノートPCを開き、すでに頭に入れた自他の資料を再チェックする。

(少しお時間はいただきますが、また伺う節にはぶっちゃけたところをお知らせくださいね)

 準備はOKだ。彼女はノートを閉じ、目を細めて微笑んだ。

 今日のまぶたは、淡いライトブルーのグラデーションだった。



   — 了 —

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「お客さまはセルフレジがお嫌いですか?」 文鳥亮 @AyatorKK

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