第三話

「あの、突然失礼いたします。わたくし『二の丸グループ』小売り事業部のクヌギと申します。お忙しいところを大変恐縮ですが、もしよろしければ、セルフレジについてひと言ご意見を賜りたく存じま...」


 ここの親会社の社員のようだ。その活舌に感心しながらフミオは相手を観察した。


 年のころは三十前後。素直に美人と言ってよいだろう。

 切れ長の奥二重にすっと通った鼻すじ。やや薄めのくちびるに地の色に近い口紅を引き、多少塗っているが色白の肌はもちもち感がある。ロングのポニーテールに、少し古風なメタルフレームのメガネ。

 全体に自然な感じで地味だが、白系のブラウスにグレーのタイトスカートが、スタイルの良さをぐっと引き立てていた。

 首からはあまり見慣れないIDカードを下げ、他の店員とは明らかに違う雰囲気をかもしだしている。


「えーと、私が?」

「はい、是非。‥‥‥それで、失礼ながら拝見しておりましたが、お客さまは有人レジをご選択なさいました...」

「はあ」

「よろしければその理由をお知らせくださいませんか?」

 IDカードによると名は麗子、名字はクヌギと聞いたが、初見では読めない漢字だ。

 彼女は「ませんか?」でちょっと小首をかしげ、愛らしい笑みを浮かべた。ほのかなコロンの香りが鼻腔をくすぐる。


(む! これがジジ殺しとかいうやつか!)

 フミオは警戒しつつも、すでに女の術中にはまっていた。というのは、普段ならこの手のことで足を止めないからだ。近ごろそんなのに関わればロクなことはない。

 しかし彼はレジ袋を持ったままテーブルの上に置いた。

「そうねぇ‥‥‥」

(美人だから相手するわけじゃないんだな。俺はセルフレジには一家言あるんだ)

 そう自分に言い聞かせながら、なぜか思考は別のところに飛んでいた。


 もともと彼は異性の外見に惑わされないと思っている。それは、その手の要素にあまり重きを置かないという意味だ。これは公私共にそうであり、年とともにこの傾向が強くなったと感じている。

 ただ、矛盾するようだが、彼の亡き妻は高校のミスコンで優勝歴のある女性だった。まあ、そういうことである。五十年以上前の話だが。

 それはともかく会社勤めの頃は、一般的な組織でもし上司が部下の容姿に魅力を感じてしまうなら、それは忌むべき公私混同だと考えていた。そういうシチュエーションには一度ならず遭遇し、煮え湯を飲まされている。


 そのケースかは分からないが、コロンについてもちょっとした経緯いきさつがあった。彼が部長代理だった頃だ。この職はハズレで、名目的に課長より上とされていたが、権限はないに等しく、部内の苦情処理係的側面があった。悪い意味での上がりポジションに近い。

 そんなある年の四月に、途中入社の女子社員が異動してきた。自己アピールの強い美女だった。二人いる片方の課長の引きだったようで、そいつとは結構上手くやっている。

 困ったことに、その女性は恐ろしくコロンがきつかった。

 デスクワークが多い部署のため周囲は辟易へきえきし、離れた席のフミオにまで容赦なく匂ってきた。わざとらしく咳払いする者や、暑くもないのに扇子であおぐ者もいたが、一向に改善する気配はない。

 そのうちフミオの机に「あの匂い、キツすぎます。なんとかなりませんでしょうか」といった匿名のメモが置かれるようになった。ちなみに例の課長も直撃されているはずだが、気にしている様子はない。その“鈍感力”にフミオは感心したものだ。


 あるとき、たまたま人気のない場所で女性と行き会った。彼は言った。

「あ、木津井きついさん、ちょっと気になっているんだけど、何事も加減が大事かもしれないね」

 あたりまえだが、彼女はキっとなって反論した。

「はあ? 部長代理、いったい何のことですか? 全然意味が分かりませんが」

「ああ、ごめんなさい、ただの一般論だよ。気にしないで仕事に集中してください」

 じゃあと手で合図し、フミオはその場を後にした。だが、元は彼も体育会系である。

(ったく、近ごろは‥‥‥)

 その後、彼女はファンの男性社員を問い詰めたらしい。“香害”は次第に軽減していった。それはそれで丸く収まったが、とんでもないところからフミオに矢が突き立った。

 人事部に呼び出されたのだ。


 詳細は省略するが、もちろんハラスメントの嫌疑だ。彼は例のメモを複数持参し、なんとか乗り切った。部長にも報告したが特にとがめだてはなかった。だが、離れ際にさりげなく耳打ちされた。

「...木津井君は須賀辺すかべ常務とつながってますよ。気を付けてください」

 幸いに、その後は特に問題は起こらなかった。

 当の本人は半年後に異動していき、風の噂で翌年に寿退社したと聞いた。結局、どういうつながりかは分からなかった。

 一方、フミオは女性が退社した翌春に待望の部長昇進を果たした。逆転の大ヒットと思いきや、行先は地下二階の資料部だった‥‥‥


「お客さま?」

 走馬灯のような過去の追想からわれに帰った。だがその間のロスは数秒だろう。

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