第二話

 そのフミオだが、お上の分類では高齢者に含まれる。

 この春にめでたく七十を迎えたが、古希を祝ってくれる者はいなかった。同い年の妻には五年前に先立たれ、子供もいない。同居人もおらず、今は一人暮らしである。


 妻の死は、フミオの人生計画をすっかり狂わせた。

 ぽっかりと心にできた空洞が埋まらない。生活も激変し、生きる目標すらどこかに見失った。なぜか体調がすぐれないのは心の問題なのかもしれない。

 それでも彼は、日々の食糧を自ら調達しなくてはならない。

 かつては週末に必ず二人で出かけたものだが、もうほとんど外食もしない。いまは週三、四回スーパーをローテーションしている。つまり、スーパーは日常生活に密着した存在になっていた。といっても、しっかり自炊するわけではなく、むしろ三度の食事を整えることすら億劫になりつつあった。


 最近の彼の娯楽といえば、新聞を隅から隅まで読み、たまに車を転がすことぐらいだ。読書も少しはする。テレビはそこそこ見るが、バラエティやワイドショーは見ない。ショー化したニュース番組も好きではない。そんなもの「やめちまえ」と思っている。

 ネットにはかなり昔から嫌悪感を持っているが、最近は『ばら色セブンティズ』なる会員制サービスに魅力を感じている。あやしいネーミングだが、なんでも全国のおばあさんと友達になれるらしい。

 ただしスマホは使わず、SNSもやらない。

 こんなフミオはいかにも古い人間であり、自分が昭和の化石的存在であると十分に自覚していた。


 話は戻るが、近ごろ彼は不満でしょうがない。

 それは、スーパーでセルフレジがどんどん優勢になっているからだ。『ハッピーハッピー』だけではない。いや、『ハッピーハッピー』はむしろ最後の方だった。

 もともと彼のメインは別の店だった。しかし二年前に全面改装したとき、レジのほとんどがセルフに換わった。それでメインにしたのが『ハッピーハッピー』だ。だが、頼みの『ハッピーハッピー』もこうなってしまった。


「‥‥‥ま、しょうがねぇな。とりあえず買うか」

 彼はカゴを取って買い物を始めた。

「しかし考えてみると、レジも進化してるよな‥‥‥手打ちだった頃は、混むと結構殺気立ってたもんだが」

 そのうちに計算機が進歩した。

 劇的に効率化されたのは、やはり八〇年代にバーコードが導入されたときだろう。さらには、ごく最近に会計が分離され、これも効率化に寄与した。そして今回のセルフ化だ。


「でもなあ、どう考えてもこれは改悪なんだよなあ‥‥‥」

 思わず本音が出る。

 なぜなら、そもそもレジを打つのは店側の仕事だからだ。セルフレジはそれを客側にまるまる転嫁しており、全然納得がいかない。特に頑固な年配者ほどこう思うのではないか。いや、そもそも老人はバーコードリーダに慣れないだろう。


「そりゃあさぁ、バカにされるだろうけどなぁ‥‥‥、年を取ると若者のようにいかねぇんだよ」

 彼はぶつぶつ言いながら売り場を巡り、食品をカゴに入れていった。だいたいレジ袋一枚がいっぱいになるぐらい買う。

「しかし世の中って、なぜかこういうふうに変っていくんだよな‥‥‥ホクホクなのはPOSのシステム業者ぐらいだろ?」


 商品を選び終えると、彼は有人レジに並んだ。案の定、長蛇の列だ。

「セルフレジの方へどうぞ~、空いてますよ~」

 なるべく誘導しようと、女性店員が呼び込みをする。確かにそちらは空いており、並ぶ必要はまったくない。隣の芝生は青い。

 だが。

 ちらほらと列を抜ける者もいるが、大部分はそのまま並んでいる。みんな中高年だ。

(同志よ、あっぱれ!)

 彼は周囲の人間に密かな賛辞を贈った。人が減れば早く終わるのだが。


 しかしそうは言いつつ、すでに彼はセルフレジをしっかりと観察してあった。

 客から見たセルフの利点は、待たないで済むことだ。また買った量が少ないときは早い。

 だがスーパーではカゴに山盛り、あるいはカゴ二つも買うような客が結構いる。そういう場合が問題である。


 有人レジでは、店員さんがリーダーを通した商品を別のカゴに整理しながら入れてくれる。リーダーを通す順番にもノウハウがある。しかも流れるように動作が早い。

 セルフではそれらを自分でやる。

(いやあ、若い人だってカゴ二つ分セルフだと大変だろ?‥‥‥って、それじゃあ上客が逃げちまうよな‥‥‥)


 一方、店側から見たらどうか? ぼんやりとセルフレジコーナーを見ながら、彼は考えた。

(確かに、以前はレジが律速だったかもしれん。セルフ化によって、トータルでの客の回転が上がるかだが‥‥‥)

(単純計算では上がりそうだな‥‥‥。客一人あたりレジの平均時間はセルフの方が掛かるが、それを上回る台数を設置してるよな)

(‥‥‥省人化も達成か? レジ打ちの店員さんたちがどうなったか心配になるぐらいだ)

 いなくなった人は、バックヤードにいるのだろうか。

「それはともかく、問題は俺みたいな客かもな‥‥‥」


 フミオは「セルフには行かんぞ」と思っているが、それは手間がどうこうよりも、単純に好みの問題だ。

 一方、カゴ二つの人も多分有人に行くだろう。

(もしかして、レジの回転がセルフで上がっても、客〔すなわち売上〕はあまり増えてないのか? いや、それは中の人間でないと分からんな‥‥‥)

 彼は店の誰かを問い詰めたくなったが、できるはずもなかった。


———そうこうするうちにフミオの番が来た。待ったわりにはレジはあっけなく終わった。会計も。


(しかし、まじめな話、どうしたもんかね‥‥‥どこか有人レジの店を探しても、いずれセルフ化されるだろうしなぁ‥‥‥)

 モヤモヤしながら彼は持参したレジ袋に商品をおさめた。

 さぁて帰るか、と歩き出したときだ。


「お客さま?」

 やわらかな女性の声がした。

 なんとも感じが良い。フミオは返事をせずに振り向いた。

 スラっと背の高いメガネ美女が会釈し、柔和な表情をつくる。

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