1月

第15話


■1月1日 昼、君島家のリビング


 お正月の飾りつけは、毎年簡単なものだった。手のひらぐらいの小さな獅子舞の置物と、買ってきた松の枝と梅の花を花瓶に差し、リビングのテーブルに置くだけだった。鏡餅も門松も我が家ではしばらく見ていない。


 病院務めをしている母は、お正月は1月1日だけ家にいてくれた。急患が病院に入って呼び出され、それすら叶わない年もあった。母がちゃんとしてやれないことをいつも申し訳なさそうにするので、お正月の支度は簡単にできることだけにしていた。そうすれば母の気持ちも少しは楽になるだろうと、僕は思っていた。


 大みそかの夜中に帰ってきた母を起こさないようにしながら、僕はお雑煮の準備をしていた。豚バラ肉に、ニンジンやレンコンといった冬の野菜、豆腐とネギ、干し椎茸や小さく切ったスルメ、昆布をたくさん入れて、ことこと鍋で煮ている。具だくさんの鍋から立ち上るおいしそうな匂いが、台所を幸せに満たしていく。


 お玉でおつゆを小皿に少しすくう。

 少しずつ口につける。


 うん、おいしい。


 味見をしているときに、パジャマ姿の寝ぼけた母が台所にやってきた。


 「いい匂いするね」

 「お雑煮、用意してるから」

 「いつもごめんね、奏太」

 「いいよ。あ。まだ言ってなかった。あけましておめでとうございます」

 「あけましておめでとうございます。もうお昼近いから、あけすぎだけど」


 母と僕はくすりと笑う。母が冷蔵庫の扉を開ける。中にあったお餅を取り出していく。メガネをしていないから、顔に近づけて、これが本当にお餅なのか確かめている。


 「奏太、お餅何個食べる?」

 「2個食べる」

 「このあとおばあちゃんち行くけど? また食べ物攻めにあうよ」

 「食べれるよ。こう見えても僕は食べ盛りの男子高校生なんですから」


 冗談ぽく言ったけど、母には引っかかってしまったみたいだった。冷蔵庫の扉を締めて、僕をじっと見つめる。


 「奏太、おばあちゃん達には、奏太のこと、まだ言わないほうがいいと思ってるけど、それでもいい?」

 「うん……。わかってる。おばあちゃん、びっくりしちゃうし」

 「いつもなら奏太を預けていくけど、今年は帰ろうね」

 「うん」


 鍋をかき混ぜる手を止める。

 わかってる。

 けど、少し悔しい。


 僕はみんなから離れていないといけない化け物なんだ。

 不安しかなかった。

 何かを言われるかもしれない。何かをされるかもしれない。何もないかもしれない。


 それでも行こうと思ったのは、舞子先輩に助けてもらえたから。

 ふたりで助け合えたから。

 僕は舞子先輩に触れた手をそっと握り締める。


 母はそんな僕を見て慰めるように言う。


 「奏太、ごめんね。女の子になろうとがんばってるのに」

 「え?」

 「舞子さんにも手伝ってもらったんでしょ、服選び」

 「あ、え、そうだけど……。でも、がんばってるとか、そういうわけじゃ……」


 恥ずかしくなって、つい高速で鍋をかき混ぜてしまう。母がくすくす笑う。それから、食器棚の真ん中に置いてある古いオーブントースターの焼き網に、ラップを取りながらそのまま餅を並べていく。

 僕は鍋からおつゆをすくい、さっき使った小皿に少しだけそそぐと、餅が焼けていくのを見張ってる母に渡す。


 「味付け、これでいい? いつも迷うんだけど……」


 母はどれどれと小皿に口をつける。


 「うん、おいしい。大丈夫だよ」

 「でも、なんか違う気がする」

 「他の家のだと鮭とか使うみたいだけどね。お父さん、こっちのほうが好きだったから」


 チンという音がした。餅があらぬ方向に膨らんでいる。焼き網にからみつく。母は「手間がかかる奴め」と言いながら、菜箸で器用にからんだ餅を取り出す。

 お椀におつゆをよそうと、そこに母がお餅を落としていく。刻んでおいたゆずの皮を散らすと、柑橘系のいい香りが湯気といっしょに立ち上る。

 テーブルの上にお椀を置く。まだぼさぼさとしている母が黒縁メガネをかけながら、椅子に座る。僕もその向かいに座ると、軽く手を合わせた。


 「「いただきます」」


 箸を手に取ると、餅をつまむ。柔らかさが指先から伝わる。お餅をおつゆにちゃぷちゃぷと泳がせてから、口に入れる。熱っ。それから美味しさが口の中にあふれだす。豚肉のコク、野菜の甘味、複雑なだしの味。たくさんの美味しいをやわらかいお餅がやさしく包み込む。

 今年は少しうまくできたかもしれない。食べている母が幸せそうに笑っているから。


 「奏太、いつもありがとうね」

 「ううん」

 「これでいつでも嫁に出せる」

 「もう」


 母が笑う。そのことに僕は安心する。

 冗談にしてくれたほうが僕にはうれしい。


 お椀の中の餅を小さく千切りながら、母は少し困ったように言う。


 「みんなお餅は、細かく切って食べてくれたらいいんだけどね」

 「やっぱりのどに詰まらす人が多いの?」

 「この時期はね……。それにこのあたりはどうしても自分の家で作ったお餅を食べたい人が多いし」


 テーブルの上にあった母のスマホが震える。

 母がすぐ医者の顔に切り替わり、スマホを手にして耳に当てる。

 きっと病院から呼び出しだろう。患者さんがたいへんなのはわかっている。僕はいつもと同じようにあきらめるようとしていた。


 「奏太も連れていきます。はい。いつもと同じです。いえ、こちらこそ。すみません、夜には帰ります。奏太もです。はい、はい。すみませんが、よろしくお願いします」


 スマホをテーブルに置くと、母は少し安堵した表情を浮かべていた。


 「電話、おばあちゃんちからだった。早めに行こうか」

 「うれしいって、言っていいのかな」


 ふいに出した僕の感情に、母が少し驚いたような目をして僕を見つめた。僕はあわてて取り繕う。


 「ごめん……。やっぱり患者さんのほうがたいせつだよね。変なこと言っちゃってごめんね」

 「違うよ、奏太。奏太が奏太なのをちゃんと教えてくれて、お母さんはうれしい。ちっちゃい頃は、私が出るとき、奏太は泣いたり怒ったりしてたんだから。いつもお父さんのこと蹴ったりしてたよ」

 「そんなに?」

 「そうだよ。奏太はやさしくて元気いっぱいだった。言えるようになったのは、もしかして舞子さんのおかげかな」

 「それは……わからないけど……」


 わからないことにして欲しい。僕は話の流れを変えようとがんばる。


 「こないだ舞子先輩が背広着てた。男装しているみたいだった。舞子先輩も言えばいいのに……」

 「何かあったの?」

 「えと……」


 余計なことを言ったのだと、母の顔を見てわかる。何があったか言わなければまた心配をかける。僕はごまかさずに言った。


 「議員しているお父さんのあいさつ参りっていうのに付き合わされた。弟さんもいたけど、何も話さなくて……」

 「そう……」


 母の顔が曇っていく。それを振り払うように僕は明るく言う。


 「でも、そのあと、着せ替え大会になって。いろんな服を着せられて。それから少し踊らされて」

 「踊り?」

 「社交ダンスとか言うんだっけ。舞踏会で踊るようなやつ。そのあと舞子先輩、笑ってたから……」

 「奏太」

 「うん?」

 「舞子さんも嫌と言えないことが多いんだと思う。それはわかってあげられる?」

 「うん、それは……」

 「わかってあげて。それで、ふたりで何でも言い合えて、笑える日々を過ごすようにして欲しい」

 「うん……」


 母が「よし」と言って、椅子から立ち上がる。


 「そろそろ支度しようか。和雅叔父さんたちが遊びに来てるみたいだし」

 「そうなの?」

 「叔父さんたち、おとといからおばあちゃんちに泊りに来てて、蔵の大掃除がてら臼と杵を出してきたみたい」

 「そんなのあったんだ。何でもありそうな蔵だけど……」

 「なんか張り切ってるみたいだよ。ほら、上の子が来年高校受験だから。来年来られないみたいだし。奏太も小さいとき遊んであげたでしょ?」

 「おさげの子?」

 「そう。その子。すっかり大きくなったみたい」


 母がやさしく笑う。


 「みんな変わってくね」


 その目の奥には変わらない雪が降っているように見えた。


 お雑煮を食べ終え、僕は箸を置いて立ち上がる。


 舞子先輩が握ってくれた僕の手を見ながら、僕は心の雪を晴らしている。

 舞子先輩もそうだったらいいなと僕は願っている。

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花は雪解け、散りゆくことなく ―女へ変わる僕の体と、変わらない君への想い― 冬寂ましろ @toujakumasiro

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