第14話


■12月31日 夕方、奏太の部屋


 着せ替え人形の気持ちって、きっとこうなんだろうと僕は思っていた。

 早く終わらないかなと思いながら、新しい服を次々着せられるのは少し楽しかった。


 あの後、長谷川さんが舞子先輩の服を山のように持ってきた。


 母が買った服以外に、たくさんの服を着させられた。ひざ丈のスカートはまだ早い。フリルも気恥ずかしい。地雷系というのは服に注目が集まって、意外と僕でも着やすかった。でも、舞子先輩は「イメージと違う。奏太君は柔らかい黒髪を生かして清楚系で攻めるべきだ。せめて森系で」とよくわからないことを力説する。そもそも舞子先輩の服なのに……。


 ふたりで「少し楽しい」が、「結構楽しい」に変わっていく。


 自分が変わっていくことを少しずつ感じられるのは、何かの手続きとか神事のような段階を経ていくことなのかもしれない。そんなふうに難しく考えてしまった。だから、今の僕には必要なことなのだろうと思っていた。少しずつ階段を登っていくために。


 舞子先輩が顎に手をやり、ふむふむという感じで僕を見つめている。


 「ほら。これならシンプルだけど、肩と腰を見せてないから、イケると思うよ」


 今の僕は、黒のタートルネックセーター、少し長めのフレアスカートを着ている。少し大人びているかもしれない。でも、やさしいウールのセーターが暖かく僕を包んでいるのは、どこか安心する。


 舞子先輩が首の後ろに手をまわす。それからゆっくりと前に回すと、金色の細いネックレスの端を手にしていた。少しゆるめたネクタイとYシャツの隙間から引っ張り出す。その先には薄紫色の小さな宝石がきらめいていた。


 「これつけて」


 差し出された舞子先輩のネックレスを受け取る。体温を感じてしまう。気にしないようにしたいけれど、気にしてしまう。


 「ほら、遠慮しないで、つけなよ」


 遠慮じゃないんだけど……。

 仕方なく舞子先輩と同じようにして、端をつまみ、首の後ろに手をまわす。金具が金具をつかむ感触がした。そっと手を離す。さっきまで舞子先輩の胸元に触れていた宝石が、僕の胸に揺れている。


 少しうれしい、少し恥ずかしい、少し……。

 不思議な気持ちが僕を満たしていく。


 舞子先輩が僕を見ながら、まるで先生にでもなったかのように、うんうんとうなづいている。


 「黒タートルにネックレスは、やっぱり映えるな」

 「そう、なんですか?」

 「うん、似合ってる。化粧もしてあげたいけど、ポーチ持ってきてないんだよね……。持ち出すと、お父さん怒るし。長谷川さんもお父さんには逆らえないから」

 「大丈夫です。これだけでもうれしいです」

 「せめて眉毛だけでも整えてあげる。その椅子に座ってもらえる?」

 「はい……」


 いつも使っている、小さな背もたれがついた椅子に、ぽすんと座る。舞子先輩が小さな電動カッターみたいなものを手にして、僕の顔に近づく。舞子先輩の息を感じながら、眉毛をちょりちょりとされる。触れている指先が温かく感じる。女の子の甘い匂いが僕を包む。


 不思議な気持ちがあふれてしまう。

 この想いをどこに置けばいいのか、僕は困り出していた。

 たぶん、いまの僕の顔、真っ赤になってる。


 舞子先輩の指が僕から離れていく。


 「ほら、出来た。大きな鏡ある?」

 「母の部屋のほうに姿見が……」

 「なら、見てきなよ。かわいくなったから」


 そう言われて僕はゆっくりと立ち上がる。隣にある母の部屋へ行く。扉を開ける。灯りをつける。ベットとチェストがあるぐらいの簡潔な部屋が蛍光灯の光に照らされる。

 部屋の奥に黒い枠で囲われた細長い鏡がある。僕は手を胸元で握り締める。躊躇と後悔と期待が一歩進むごとに入り混じる。


 鏡の前に僕は立つ。

 僕は僕を見る。


 ……え。

 僕が女の子になっている。


 でも……。

 僕は僕だ……。


 舞子先輩が選んでくれた服はとても似合っていた。体の輪郭が柔らかく見える。色は黒い髪の僕に合っている。

 雰囲気はちゃんと女の子だった。輝帆さんの隣にいても、きっと女の子同士で喋ってるって見られる。


 違和感はある。どこかにある。

 喉ぼとけは元々目立つほうじゃなかったから気にならない。

 髭も生えないほうだったし、声も……。指先は? 髪は?

 どんどん自分のあら探しをしてしまう。


 拓真が、いまの姿を見たら、どう思うんだろ……。

 そう思った瞬間、僕は鏡に映った自分の姿を見れなくなった。


 うつむいている僕のそばに、舞子先輩がやってくる。


 「自分が気持ち悪い?」

 「はい……」


 素直にそう言ってしまった僕の手を、舞子先輩がやさしく握る。


 「踊ろうか」

 「え?」


 舞子先輩が僕の体を抱き寄せる。左手を腰に回し、右手は僕の手を握ったまま前に伸ばす。体が近づく。くっつけられる。


 初めて女の人の体を感じた。

 背広を着ていても感じる華奢な体だった。

 自分の体もそうなるくせに、とまどいと衝動が体を駆け巡る。


 舞子先輩はそんな僕をまったく気にしていないようだった。舞子先輩の足が動く。手を引っ張る。それに合わせて、僕の体を引き寄せる。


 「ほら。いちに、いちに」

 「ちょ、ちょっと。僕はこんなのやったことないです」

 「いいから。私に合わせて、いちに、いちに」


 僕を無視して舞子先輩はステップを踏み続ける。足を踏みそうになる。遅れてしまう。それでも舞子先輩は、僕の動きに合わせてリードする。


 「ほら、だんだん動きよくなった」


 舞子先輩がふふん、ふふんと曲を口ずさむ。耳元でそれを感じる。

 僕のスカートがふわりと動く。それが気持ちいいと感じてしまった。


 繰り返す足の動きに少しずつ僕の体が慣れていく。

 舞子先輩が弾んだ声で、僕の耳にいまの気持ちを届かせる。


 「私のお母さん、ダンスの講師やっててさ。私が笑うまでこうしてくれたんだ。だから、奏太君が笑顔になっていくのを見ると、私もうれしい」


 僕、笑顔になっているんだ。

 笑顔を舞子先輩に向けているんだ。


 僕は気恥ずかしさを隠したくなって、舞子先輩に体を預けるように抱き締める。


 それからしばらく踊ったあと、動きを止める。僕の手を取ったまま舞子先輩はひざまずき、僕を下から見上げる。


 「どうでしたか? 泣きべそをかいてたお嬢様」

 「楽しかった、です……」

 「それはなにより」


 舞子先輩の瞳に、うれしそうにしている僕の顔が映っている。

 雪降る夜に温かい飲み物を飲んだときのように、僕は心からほっとしている。


 僕達は安心していられる。

 ふたりなら安心していていられる。


 それは男とも女の人ともできない。

 それはきっと拓真とも……。

 たぶんもう、舞子先輩としか、この気持ちにはなれない。


 僕はそっと握られていた舞子先輩の手を、やさしく握り返す。


 「ん? どうした?」

 「ううん、なんでもないです」


 白馬のお姫様は、舞子先輩のほうだよ……。


 やさしく笑って僕を助けてくれる。

 自分と同じだからと助けてくれる。


 だから、僕は……。


 気付いてしまったことに、僕はわからないふりをする。

 でも、いつかそれはできなくなる。天気予報が雪が止むことを伝えたときのように、僕はそう感じていた。

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