【短編】自白タイピスト

西野 うみれ

【完結】自白タイピスト

 ジメジメとした取調室には、水仙スイセンが活けられていた。似つかわしいとはとてもいえない、取り調べ用のテーブルは幅百二十センチほどで、対面で椅子が二脚ずつ置ける。そのテーブルの上に、コーラーの空き瓶に水仙をねじ込むように挿して、活けられていた。白い花に中心部が黄色く柔らかな印象。テーブルの上には滲んだ染みがいくつもこびりついていた。清掃は若手刑事の当番制だが、いくらこすっても落ちない。


 留置所から連れてこられた、中澤益弥なかざわますやは落ち着いている。前科者は取調室なんかこわくない、本当に怖いのは刑務所のタコ部屋だ。瞬時にボスを見極め、ボスが懇意にしている刑務官を把握し、誰に取り入り誰を陥れるか、その全体感を俯瞰で理解できるようになるまでが恐怖の時間なのだ。中澤は自分を鼓舞した。ここでは一人だ、国選弁護人がまだ選ばれていない。厳密には、当番制で回ってくるからといえども、何度も再犯を繰り返している者に弁護しどころがないというのが実情らしい。それに、この留置所は辺鄙なところだ。三重県の山間、駅からタクシーで一時間。山道は険しいし、昨日も配達のトラックが崖下に落ちてドライバーが大けがを負ったらしい。隔離された場所とはいえ、それなりに情報が入ってくる緩さだ。刑事も正直どんくさいやつばかりだと、中澤はたかをくくっている。

 

たかだか女子高生を連れ去った程度でここまで騒ぐか?身代金目的だといわれたが、そうじゃないことは中澤自身がよくわかっていた。そんなチンケなことすっかよ、心の中の叫びを刑事にぶつけてやりたいが、中澤は黙秘を貫くと決めていた。


 細身の若手の刑事と恰幅かっぷくのいい中年の刑事、部屋の隅では小さなテーブルにパソコンを開いて書記をする刑事、三人が取り調べ室にはいってきた。八畳程度の狭い取調室には中澤と留置所から連れてきた警察官の二人だったから一気に狭い部屋に五人もいることとなった。留置所の警察官は引継ぎを行い、取調室を出た。取調室はドアを半身ほど開けている程度。記録用の動画撮影はここ数年でスタンダードになってきている。不当な取り調べなら、逆に特別公務員暴行陵虐罪で告訴してやると中澤は決めていた。とっとと殴りつけやがれ、そのためにも黙秘は貫かせてもらう。

 中澤の妙な決意は固い。

 恰幅のいい中年の刑事はワタリ、若手は富田トミタと名乗った。書記の男は無言だった。無礼な奴め、中澤は自分は中澤益弥と名乗っているにもかかわらず、苗字だけ、名乗りすらしない、そんな社会人不適格なやつらに取り調べを受けるなんてまっぴらごめんだと、悪態をついてやりたかった。だが、ステイだ。黙秘するを貫くんだ、と中澤は決めていた。


 前回出所後、ペラペラと取り調べ室で話すやつだと、SNSで書かれていた。何度も中学生から高校生を誘拐し続けていることで、その界隈では有名人になっている。傍聴席も取り合いになるらしく、そこでの取り調べ室での会話が検察の証拠として認定され、早い話実刑となったのだ。三度目の逮捕、今度も黙秘を貫く。国選が来なくても、黙っているつもりだから関係ないといえば、関係ない。取調室にカタカタとタイピングの音だけが聞こえる。まだ、取り調べが始まっていないのに妙だと中澤は違和感を覚えた。これまで二回の逮捕では、執行猶予つきの実刑。今度は執行猶予はつかないだろう、だからこそ今回は黙秘を貫く、と中澤は決意していた。


 二人の刑事は、じっと座っているだけだった。取り調べ室のなかには、男四人のなんともいえない油がすえたニオイがする。冷蔵庫のファンにたまった水が蒸発せずにのこっている、あのすえたニオイだ。

 「中澤益弥、二十八歳、前科が二つと。今回も未成年者略取だな。住所は三重県中坂市誉戸町三丁目二の四。三月三日のおぉ、ひな祭りに、午後八時ニ十分過ぎ、下校帰宅中の原島はらしまみずきさんに近づき、レンタカー・セリウムの後部座席に押し込み、誘拐。その後八時間近く連れまわし、翌朝八時ごろに隣町の光が岸町の三角公園にて解放。携帯電話の電波を追って、近辺を捜査していた警察官により逮捕。という、流れだな」


 富田がスラスラと逮捕理由と流れについて説明していく。隣で、恰幅のいい渡が退屈そうにパイプ椅子をギコギコ鳴らしている。裏拍のリズムで、どうにも気になると中澤はイラついた。

「中澤さん、事実認否、いかがですか?」

 富田は事務的に尋ねた。

「黙秘します」

 中澤の声が湿った取調室に響く。キーボードのタイプ音が小気味よくカチカチとなる。その裏拍を渡が椅子でギコギコ鳴らす。

 テーブルの中央にある水仙を活けたコーラの瓶が揺れる。音に合わせて動くあの玩具のように、シリアスな場所にこういうものがあると滑稽だと、中澤は思った。余計なことを考えていた。中澤は不意を突かれた。

 渡が水仙の花をそっとつかみ、テーブルに置いた。茎はコーラーの瓶から出したばかりで、置いたテーブルがジワッと濡れた。

「なぁ、中澤さん、この女子高生誘拐ってのはさぁ、フェイクだよな。これ見て」

 私は濡れたテーブルに地図を置いた。地図に大きくピンクのマーカーで丸が付けられていて、それらをつなぎ合わせ始めた。丸の数は五個、すべてつなぐと、正五角形になった。中澤は黙ったままだった。

「これ、つないだらホラ、中心に中澤さんの家があるでしょ。でね、これ、未解決事件の誘拐事件なんだけど、被害者が全員見つからないのよね。で、ここからが相談なんだけど、この五人、中澤さんが殺害したことにしてくれないかな。いやいや、もちろん丁寧に証拠も作っておくし、悪いようにはしないからさ」

 渡は堂々と自分の主張を淀みなく説明した。タイピングの手は止まっている。明らかに書記をしない意思の現れだ。

 富田が重ねるように

「これさぁ、水仙って、ニラと間違って食べるって事件知ってます?事故っていうのがいいのかな、家庭菜園でなぜか水仙の隣でニラを育てている老夫婦が多くて。でもね、水仙って毒なんだよね。食べたら十グラムほどで死んじゃう。この未解決の誘拐事件も、全員が女子中学生でね。中澤さんのこれまでの嗜好からすると幼すぎるとは思うんですが、世間はほとんど似たように思うでしょ。ニラも水仙も。いやいや、この例えは、中澤さんが誘拐して解放したことは、ニラですよ。だってケガもさせてないですから。無害といえば無害。でも、犯罪なんですよね。でね、水仙は有害。死なせていますからね、似て非なるものですが、似たようにも見えるものなんですよ」

 中澤は口を開いた。

「何を言ってるんですか、私にやってもいない殺人を、しかも五件も認めろと!」

「おや、黙秘をやめたんですね」

 渡は手持無沙汰てもちぶさたの指をうれしそうに組んだ。

 タイピングの手がカチカチと動く、都合よく調書をとっているのか、だが動画での記録もある、と中澤はカメラに目をやった。

 カメラ横の赤いランプは点灯していればレコード・録画中だ。さっきからランプが点いたり消えたりしているのが気になった。

「あの、カメラって動画撮影しているんですよね」

「あぁ、してますよ。でもよくあるんですよ、撮れてなかったってのが。ランプが点いたり消えたりしてますからねぇ。故障なのかな」

 富田はカメラを見ながら返事した。

「中澤さん、五人の被害者は、被害者じゃないかもしれないんですよ。自分で失踪したのかもしれないですし。誰かに拉致されたままなのかもしれない。死んだとは言い切れないんです。でもね、私たちとしては、死んだことにしたいんです。あなた、三人も女子高生を誘拐してきたでしょ。そこに五人の殺害がほら、明らかになれば、鬼畜の殺人鬼じゃないですか。名前、残しましょうよ」

 渡のホンネに対して、中澤は恐怖を感じた。この申し出が本意なら、狂ってる。そんなことがあっていいのか、中澤は富田の方に目をやった。富田はコーラーの瓶を逆さまにして、瓶に残っている水を中澤の頭にかけた。


 中澤の長めの髪が濡れる。

「何するんですか!」

 中澤がそういったと同時に、富田が右手を大きく振りかぶった。富田の手に握ら得ていたコーラーの瓶が中澤の額めがけて振り下ろされる。ゴン、鈍い音がする。タイピングは止まったままだ。

「くぅうう」

 中澤の声にならない声が取調室に響く。

「大丈夫ですか?」

 渡は椅子から転げ落ちた中澤の傍までまわりこみ、手を差し伸べた。

「おい、ふざけんじゃねぇ。てめぇ、こんなことしてタダで済むと思うなよ。ぶっ殺すぞ」

 中澤がブちぎれた瞬間、タイピングの音がカタカタと聞こえた。カメラのランプも赤く光っている。

 富田はテーブルに置かれていた水仙をちぎって、起き上がった中澤の口に突っ込んだ。

「ほら、噛め。喰え、中毒になるぞ」

 中澤は必死に富田の手を払いのけた。口に無理やり入れられた水仙の茎を吐き出した。水仙はまだ原型を保っており、中澤の唾液がじとっとまとわりついていた。

「てめぇ、殺す気か」

「そんな、ひどい。私たちが中澤さんを殺す理由なんてありませんよ。私刑を与える立場でもありませんし。」


 渡が自分たちの意思で行っていないかのように、他人事というには空々しいくらい、なにか妙ちくりんなシナリオに沿って二人が動いているかのように、中澤は感じ始めていた。

 タイピングの音がカチカチと聞こえる。発言のタイミングとは明らかにズレているし、さっきの一連のやり取りを記録しているには、タイピングの量が多かったり、少なかったりする。そういえば、この記録係の男は誰なのだ、中澤はタイピストの男を目を凝らして見た。

 タイピングの手がピタッと止まり、

「この辺で終わりましょう。十分にデータは取れましたから」

 富田と渡は、くるっときびすをかえして、取調室を出た。首の付け根に妙な突起物があり、ピカピカと光っていた。背中を見せられることはなかったから、中澤は気づかなかった。

「てめぇは誰なんだよ」

「あぁ、申し遅れました、私は瀬戸春樹せとはるきと申します。刑事部自白課に所属しています」

 瀬戸は丁寧に中澤に名刺を差し出した。刑事が取調室に容疑者に名刺を渡す理由は?わからない、中澤の思考は自分の思考の領域を飛び出ない。つまり、何が起こっているのか理解できずにいた。名刺には、自白コーディネーターと書かれている。

「おい、この自白コーディネーターってのはなんだよ。あと、あの二人。首がピカピカって光ってたのは?」

「黙秘するといっていた割には、質問さんなんですね」

 瀬戸のすらっとした立ち姿は、その佇まいだけで知性を感じるほどだ。スーツは高そうな三つ揃え、引き締まった腹筋はスーツ越しにもはっきりとわかる。中澤は自分の出っ張った腹をさすった。

「俺は、あの子を誘拐したさ。三回目だ。誘拐は。いたずら目的じゃねぇ、身代金でもねぇ。寂しいからだ。誰からも相手にされないからだ」

「その割には、女子高生なんて。拉致しても抵抗されるでしょうに。恐怖で縛り付けるのは難しいものですよ。案外。あなた、誘拐拉致しても、彼女たちに罵られてるんでしょう。思い通りにならないから、逃がす。なんとまぁ、意気地なしといいますか」

「だから何なんだ。殺してもいないし、いいだろうが」

「そうそう、あの二人。渡と富田は多分お察しのとおりかもですが、ロボットです。古いですね言い方。アンドロイドです。人間じゃぁありません」

「そうなのか?人間だったじゃねぇか」

「私のタイピング指示どおりに動いて話すように制御されてるんですよ。二人とも。二人ってのも変ですね、二体とも」

「首のピカピカは、そういうものだったのかよ」

「はい、赤外線のようなものですね。無線通信の受容体といいますか」

 瀬戸はテーブルに広げられたままの地図を指さした。

「これのなかで、中澤さんが関与した事件ってどれなんですか?」

 中澤は息をのんだ。息を吸って吐く、無意識に生まれてから今まで自動的に行ってきた生命活動をいま忘れそうになっていた。のんだ息は吐いていいのか、それともまだなお吸うのか、わからずにいた。

 二人だけになった取調室は相変わらず、じとっと湿っぽく、男特有の油臭さも変わらず酸っぱ臭い。あの二人がアンドロイドだったってことは、加齢臭はするものだろうか、中澤は呼吸の仕方を思い出しながら、よそのことを考えていた。悪い癖だった。忘れっぽいのに、同時にいろんなことに手を出す。この前も誘拐してきた女子高生が自宅にいるにも関わらず、もう一人、誘拐してしまったのではないかと思い返した。


「この子、騒いだんじゃありませんか?」

 瀬戸はある女子高生の写真を取り出し、指さした。そのまま話を続けた。

「佐伯真子、あなたが誘拐したもう一人の女子高生ですよね。隣町に通じる橋を越えた農道で殺害しましたよね」

「何を証拠に!」

「この一帯って、畑が多いでしょ。ほら、今ねぇドローンで農薬散布してるんですよね。あとは害獣の駆除なんかも、音や光で。映ってたんですよ。見ます?」

 瀬戸は地図の上に、中澤が殺害を行った連射写真を広げた。ポーカーで勝ちを確信したときのように、写真を扇型に広げた。

「あ、でも、これ、本当に俺なのか。本当に俺、殺人なんて。そんな」

「動画もありますよ。見ます?」

 ドローンで撮影された動画はやや粗めだったが、要所要所で中澤と佐伯の顔がはっきりとわかるものがあり、証拠能力は十分だった。

「黙秘しつづけていただいても構いません。ただ、その黙秘を飛び越える証拠はここにありますし。さきほどのやり取りの中で、原島みずきさんの誘拐自体も認めたようですし」


 瀬戸はタイピングに使っていたパソコンを手際よく操作し、深い階層にある「VIDEO」というフォルダを開いた。その中にあるファイルから今日の日付の者をダブルクリックした。動画が立ち上がり、パソコンを通じて取調室内のテレビモニターに映し出される。


――――「俺は、あの子を誘拐したさ。三回目だ。誘拐は。いたずら目的じゃねぇ、身代金でもねぇ。寂しいからだ。誰からも相手にされないからだ」―――


 ついニ十分前ほどの動画だ。確かに自白している。中澤は誘拐されたとされる他の五人の殺害を押し付けられそうになり、思わず自分の誘拐事件について語っていた。

「あぁぁ」

 中澤は頭を抱えた。

《家に連れて行けない、原島みずきも、この佐伯なんとかって女、二人も鉢合わせさせて管理などできっこなかったんだ。そうだ。誘拐したもう一人、この佐伯って女をすぐ解放しようとしたが、人目があった。そうだ。人気のないところまで車を走らせたが、騒がれた。だから、そうだ、俺が殺したんだ。そうだ、俺が殺した》


「私が原島みずきとこの佐伯なんとかを誘拐しました。佐伯なんとかってのは私が殺害しました。この畑、そうこの畑です。近くにあった農具で撲殺しました」

中澤は罪を認めた、それは無意識といってよかった。黙秘を貫くと息巻いていた男は、もうそこにいなかった。





「瀬戸さん、中澤、ゲロしましたね」

 恰幅のいい男が後ろから声をかけてきた。

「あぁ、渡さん。ペラペラとおしゃべりなヤツでしたよ。やってもいない事件までね」

「やりすぎですよ、佐伯真子?それって、僕の推しじゃないですか」

 富田がトレーを持って間に割って入った。トレーにはコーヒーが三つ、湯気が立っている。

「推しってたって、2.5次元だろ」

 瀬戸はトレーからコーヒーを取り、ずずっと飲みながらいった。

「まぁ、ありもしない未解決誘拐事件?そんなもん五つもでっちあげるなんて、まぁ怖いこと。それに、刑事部自白課って。自白コーディネーターって無理があるだろ」

 渡もコーヒーを手に取り、瀬戸に嫌みっぽくいった。

「僕たちがアンドロイドだって、そんな荒唐無稽な話よく信じましたよね。中澤は」

「まぁな。リアリティが足りないぐらいのギリギリのところがいいんだよ。あるかないか、疑心暗鬼になるからな」


 瀬戸はノートパソコンを開いた。ロボットの形をしたアイコンをクリックし、ダッシュボード画面を開いた。管理画面のなかから、操作停止を選び、認証ID・PWを入力した。

 渡と富田はゆっくりと歩き、休憩室を出て行った。二体は充電ルームへと向かい、マッサージチェアのようなシェル型の充電器に身体を沈めた。


 瀬戸は、二体が残した手つかずのコーヒーを飲み残しボックスに流し込んだ。休憩室を出ると、刑事部奥にある自白課に戻った。デスク上に溜まった書類に目を通した。不倫をしていた妻の殺害について、一貫して黙秘を貫いている男だ。瀬戸はパソコンを開き、新しい自白のシナリオを考え始めた。カチカチとタイピングの音が無人の自白課に響く。それは、小気味のいいリズムだった。

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【短編】自白タイピスト 西野 うみれ @shiokagen50

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