後編
このままではまずい。
アリーシェが放った「初夜」というパワーワード。かなりの破壊力であった。
(え……いいのか?)
本人もノリノリなのだからオーケーではないか。一応ガイだとて二十四歳の男である。あのような本心を聞かせられれば、体が勝手に疼いてしまう。
いや、しかし。深層の姫君に手を出していいものか。後ろから刺されてしまいそうだ。アリーシェの信奉者によって。
それに、そろそろアリーシェに妖精の祝福(呪いとしか思えないが)の件も告白しなければ。
はあ、とため息を吐きながら城の庭を歩くガイに「フォスター伯爵」と声をかける者があった。ガイと変わらぬ年頃の騎士姿の男性である。
「ビリーか。どうかしたのか?」
「結婚式当日の警備計画の最終案を確認してほしいんだ」
気安い口調なのは、彼が同郷で同じ騎士のもとで下宿をしていた仲だからだ。土地を治めるにあたり、信頼できる仲間がほしくて移住を持ちかけたのだ。
書類を確認し終えると「おまえもついに結婚かあ」と感慨深そうに目を細めた。
「あら、二人とも。何の密談?」
現れたのはかごを腕にかけた、やはりガイたちと同世代の女性。
「ロゼッタか。どうしたんだ?」
「今、騎士団の詰め所には、王女様の護衛も滞在しているじゃない。花を飾ったらいいんじゃないかって。一応庭師の許可はもらったんだけど」
尋ねたガイにロゼッタが返した。
「いいんじゃないか」と頷いたガイにロゼッタが「ここはあなたの庭なんだし、あなたも王女様にお花を摘んでいってあげたらどうかしら」と提案してきた。
「それは名案だな。俺の嫁さんは気が利くな」
ビリーが破顔した。
「高根の花すぎるお相手だが、これから夫婦になるんだ。一緒に過ごせば芽生えるものもあるさ」
ビリーは先輩風を吹かせて去っていった。
その背を見送ったガイは、ロゼッタを見習い植えられているバラを摘むことにした。
アリーシェは喜んでくれるだろうか。
以前花束を手渡した時の記憶が蘇る。花だけではなくて、女の子が好きそうなものも贈ろう。そして心の声に頼るのではなく、次は自分の口で尋ねるのだ。アリーシェの好きなものを。
「痛っ――」
目を向ければ、ロゼッタが指を押さえていた。
「大丈夫か?」
近付き確認すれば、棘が指に刺さっているのが見てとれた。小さな棘だ。風魔法を呼び出し、異物を引き抜いて吹き飛ばすよう操作する。
「ありがとう、ガイ」
「何を……しているの?」
お礼を言ったロゼッタの声に別のそれが被せられた。
硬い声は、ガイがよく知る人物のものだった。
「アリーシェ様……」
ガイは慌ててロゼッタの手から己のそれを離した。やましいことは何もないが、誤解を招く光景だとも思ったからだ。
現にアリーシェは、その瞳を冷え冷えとした光を宿している。
「お邪魔だったようね。失礼するわ」
彼女はくるりと踵を返し、その場から立ち去ってしまった。
心の声は何も聞こえてこなかった。
アリーシェが引きこもってしまった。
ガイは、彼女の輿入れに随伴した元教育係現付添婦のリプセット夫人に事情を説明した。
「……間が悪かったのでしょう。姫様は今、結婚式を前に大変繊細になられておられるのです」
夕食時になっても出てこないアリーシェにため息を吐いたリプセット夫人は、大真面目な顔でこんなことを言った。
「姫様は、クール設定のキャラ作りでここまできてしまい、素の出しどころがすっかり分からなくなってしまわれているのです」
「お、おう……」
突然の暴露にガイはそれしか言えなかった。
アリーシェなりに悩んでいるそうで、そのさなかの浮気疑惑でいっぱいいっぱになってしまったのだ。この機会に話し合ってこい。大雑把な説明をされたガイは、一人アリーシェが立て籠もる部屋へと放り込まれた。リプセット夫人、なかなかに強引なお人である。
「王女殿下……」
なんて声をかけていいのか分からずに、当たり障りなく名前を呼んだガイである。
「浮気をするのなら、妻に見つからないよう配慮をするのが最低限のマナーなのではなくって?」
「‼」
万年雪の如く冷たい声にガイの背筋が凍る。
浮気で確定されてしまった。
「それも……城の庭で白昼堂々と」
「違います。彼女は私の友人の妻で――」
必死の形相で事情を説明するガイとは違い、アリーシェの顔は無表情だ。
否、こちらを見つめる瞳は冷え冷えとしている。
「……」
一通り話し終えたものの、アリーシェは何も発しない。
しかし、真正面からぽつりと小さな心の声が聞こえてくる。
『ガイ様は嘘をつくお人ではないわ。じゃないと、部下から慕われないもの』
「……口では何とでも言えますものね」
『うわぁぁぁぁん! わたくしのばかばかばかばかぁぁぁ!』
直後、大きく嘆く声がガイの頭をブルンブルンと震えさせた。
『こ、こ、こんな可愛くないことを言うだなんて。ただでさえ嫌われているのに、ますます嫌われてしまう……』
「そんなことありません! 俺は、アリーシェ様を可愛く思っています!」
『そんなの……信じられないわ。だって、だって……クールキャラ卒業したいのに、できていないし。むしろガイ様の前だと余計に冷たい態度ばかり取ってしまうし』
「確かに、意に沿わない婚姻を強いられたせいでアリーシェ様には嫌われているのかと考えていました。ですが、あなた様の本心を知る機会があり……。もっとあなた様のことを知りたいと、そう思うようになりました」
「わたしの本心……?」
アリーシェの唇が動いた。
その瞳が驚愕色に染まっていく。
「妖精から一方的に祝福を授けられ……あなた様の心の声が聞こえるようになったのです」
ついに、告げた。アリーシェに近付きたいから。心の声ではなくて、彼女の口から、たくさんの気持ちを教えてほしいから。
「……………………今、なんて?」
たっぷり一分は沈黙したのちにアリーシェが尋ねてきた。
「……はい。アリーシェ様の心の声が俺、いえ、私に聞こえております」
さらにたっぷり三分は沈黙が室内を覆ったあと。
「いやぁぁぁぁぁぁ‼ い、いいいいいつから⁉ いつから聞こえていたの⁉ わ、わわわわたし、ガイ様の前で色んな妄想をしていたわ! シュキとかエッチしたいとか、何かこう、ピンク色なことばかり発言していたはずよ‼」
涙目になったアリーシェが文字通り頭を抱えながらその場に崩れ落ちた。
「まさか好かれているとは思っていなかったので最初はとても驚きました」
「いやぁぁぁ! わわわ忘れてぇぇぇ!」
頬を真っ赤にして涙目で叫ぶアリーシェは、いつものキャラ作りをすっかり忘れ去った模様である。
リプセット夫人曰く、素の出しどころが分からなくなったそうだが、人間衝撃的な事実を前にすると、キャラなどあっさり崩壊するらしい。
ガイは、崩れるアリーシェの前に膝をついた。
「アリーシェ王女殿下の心の声が私に聞こえてきたからこそ、私はあなたがこの結婚に前向きなのだと知り、心が温かくなりました。そして、あなたのことをたくさん知りたくなったのです」
声を聞いたアリーシャが顔を上げた。涙目の彼女と目が合う。
アリーシャはぽつぽつと語り始めた。
普段女性を寄せつけないクールさ(青春時代を魔法と鍛錬に費やした&貴族女性に慣れていないだけ)が密かに人気になっているのだということ。出世しても驕った態度がなく、訓練には人一倍熱心なこと。
「それに、筋肉も素敵だし、何よりお父様を助けてくれたし」
指折り数えながらガイ様の好きなところを発表する会を始めたアリーシェに、鍛錬場の水浴び場で上半身裸になって水浴びしていたの見られていたのか? と疑問を抱いたガイである。
「私も、アリーシェ王女殿下が伝えてくれた以上に、あなたの好きなところを見つけていきます」
「……敬語」
「え?」
「わたしとあなたはもうすぐ夫婦になるのよ。あなたはいつまでわたしに敬語で接するの? さささっきの、あの女性とはとっても仲良さそうに喋っていたじゃない!」
「それは……しかし、ですね」
「今も言ったけれど、わたしとあなたは夫婦になるの。いつまでも丁寧な言葉遣いをされると、線を引かれているようで悲しいの! 嫌なの!」
ずいと眼前に迫られれば、その美少女っぷりを間近で眺めることになり、心臓の鼓動がドキドキと早鐘を打ち始める。
「分かりました。いや、分かった。これからは敬語も敬称もなしだ。アリーシェ」
「ガイ様……シュキ……」
それから間もなくして、ガイ・フォースター伯爵とアリーシェ王女の結婚式が執り行われた。
結婚式には大勢の領民が祝いに駆けつけてくれた。
――いやあ、人の子の恋愛成就に一役買え俺、めちゃくちゃすごくね? こんなにも言い結婚式になったのも俺のおかげだよな!――
「お、おまえ!」
儀礼服に身を包んだガイの目線よりも高い空に数か月前に出会った少年妖精が浮いているではないか。
「まあ、あなたが噂の妖精さんですの?」
事情を知るアリーシェは興味津々とばかりに小さな妖精を見上げる。
「ちょうどよかった。今すぐにこの呪いを解け!」
――呪いだなんて失礼だなあ~。これのおかげできみたちは両想いになれただろ――
「おまえやっぱり近くから観察――」
――いやあ、俺ってば恋愛成就のエキスパートだね! ちょっと仲間たちに自慢してくるわ――
自画自賛した妖精は、空高く浮かび上がり、びゅーんと飛び去ってしまった。
その後もアリーシェから聞こえてくる心の声にガイは翻弄されることになるのだが、それはまた別の話である。
・・┈┈┈┈・・✼・・┈┈┈┈・・あとがき・・┈┈┈┈・・✼・・┈┈┈┈・・
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氷の王女様から「ガイ様、シュキ……」という心の声が聞こえてくる件【1万字未満・短編】 高岡未来@9/24黒狼王新刊発売 @miray_fairytown
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