氷の王女様から「ガイ様、シュキ……」という心の声が聞こえてくる件【1万字未満・短編】
高岡未来@9/24黒狼王新刊発売
前編
『ああ、ガイ様ったら今日もとっても素敵……。あの胸筋に飛び込みたいっ!』
ガシャン――……。
ソーサーの上に置こうとしていたカップが無作法な音を立てた。
「まあ、なんですか。急に。無作法ですこと」
ガイの目の前に座る少女は青い目を眇め、冷たい声を出した。
こちらを見つめる眼差しは、真冬の吹雪のように冷え冷えとしている。
「無作法を働き申し訳ございません。アリーシェ王女殿下」
「……仕方がないわね」
『ああもう! どうしてわたしはこういう可愛くない態度しかとれないの? ここは、火傷はしなかった? と心配するところでしょう! こ、こんな可愛くない女、ガイ様に嫌われてしまうわ……』
小さな唇を動かした彼女から、長い長い台詞が聞こえてくる。
あまりの情報過多に固まるガイの前で、アリーシェは涼しい顔でカップに口をつけている。流れるような所作は淑女として完璧。さすがは王女である。
ふと、彼女が視線をカップから持ち上げた。
僅かな間、視線が交錯する。
『ガイ様、シュキ……』
恍惚さが宿ったような、艶のある声を拾ったガイは、顔の筋肉を総動員して無表情を貫いたのだった。
ガイ・フォスターは、とある街の商家の長男に生まれた。魔力量が多く、さらには運動神経抜群、将来は騎士になりたいという息子を応援した父の計らいにより、騎士見習いとして下宿に出してくれたのだ。
すぐ下の弟が数字に興味を示したことも大きかったのだろう。
こうしてガイは、商家の跡取りから魔法騎士への道を歩むこととなった。
騎士見習いを経て魔法学校へ入学、卒業後は王立騎士団に所属と、順調に経歴を重ねてきたガイには、婚約者がいる。
なんと、ガイが仕えるメイランド王国の第三王女、アリーシェである。
貴族の傍流でも代々騎士の家系でもないガイがアリーシェと結婚できることになったのは、ひとえに彼が国王の命を助けたからだ。
メイランド王国は小さな国なのだが、国の規模がどんなであっても陰謀というものは生まれる。
今の王を退け我こそが王に成り代わろうと目論んだ王弟との諍いが巻き起こったのだ。
王弟の陰謀自体は早期に収拾されたのだが、最後の最後まで彼の一味はあがいた。王さえ弑せば形勢逆転と考えたのだろう。
隠し持っていたナイフで王を突き刺そうとした男から庇う形で、ガイは凶手の前に立ちふさがった。
凶手は寸前まで殺気を完全に消していた。誰もがその男のことなど気にかけてもいなかった。無関係だと信じていたのだ。
異変にいち早く気付いたガイが間に入っていなければ、王は今頃墓の下であっただろう。
ガイは切り傷を負ったものの軽傷で、見事その凶手を捕まえた。
これに王は、命の恩人だと、いたく感激をした。
自分は職責を全うしただけだ。
ガイはそう繰り返した。
しかし王は、忠義の厚い者を取り立てることで、今回のような謀反を考える者が出ないようにとでも考えたのだろう。
ガイに自身の娘を娶らせることを決めた。
王は働きに応じて臣下に褒美を与えたつもりだったのだろうが、いきなり降嫁を命じられた王女にとっては、とんだとばっちりであっただろう。
王の三番目の娘アリーシェは、きらきら光る青銀髪にサファイアのような煌めく瞳を持ち、凛とした態度から『氷の王女』と異名を取る、美しい王女なのだから。
噂によると彼女を願う貴族や、外国の王家からたくさんの見合い話が持ち込まれているのだという。
王女を娶るのだから箔がいるな、と伯爵位まで授けられることになった。
まさかの大出世である。
だが、当のアリーシェにしてみたら、この婚姻は迷惑以外何物でもないのではないか。
前述のようにアリーシェはそれは可憐な美少女なのだ。夫は選び放題であろう。
それが王の思いつきで爵位も何も持っていない(伯爵位は授けられたけれども!)、ただの男のもとへ嫁がされることになるだなんて、政略結婚もここまできたら事故級ではないか。
そう考えたガイは、王に進言した。
「職務を全うしただけの己にアリーシェ王女殿下の降嫁など、この身に余りすぎます」と。
王は「心配いらん。娘も乗り気だ」とカカカッと笑って、ガイの進言を跳ねのけた。
しかも謙虚なところがよいと、さらに褒美が追加されてしまった。
ではアリーシェ本人が「こんな結婚嫌よ!」と断ってくれないかなあと期待をしたのだが――。
アリーシェは特に異を唱えることはなく、結果として婚約は粛々と進められ、さらには結婚式の日取りまでもが決められ、定められた婚約期間を過ごすさなか、定期的に彼女と茶の席を過ごす日々を送ることとなった。
「さっきの……あれは俺の幻聴……? アリーシェ王女の唇は動いていなかった。それなのに俺の耳には彼女の声が聞こえてきた……。それも……とんでもなくおかしな方向性のものが……」
茶会の帰り道、ぶつくさと独り言を口にするガイの目の前で光の玉が弾けた。
「な、なんだ⁉」
眩しさに目を眇めた。
――やあやあ、恩人よ。王女様とはうまくいった?――
「はあ?」
真正面から声が聞こえた。どこか中性的な声質は聞き覚えがあるものだ。
それもそのはず、目の前にふよふ漂うのは、人間にして十五、六ほどの少年のような背格好の妖精で、彼とはつい二時間ほど前に出会ったばかりであった。
――だって、さっききみは俺に言っただろう。王女ともう少し意思疎通ができればいいのにって――
「……言ったな」
――だからさ、助けてくれたお礼に、王女様の心の声が聞こえてくる祝福を授けてあげたんだ! お茶会、楽しかった? 王女様と仲良くできた?――
「なっ……なっ……」
妖精のとんでも発言にガイは文字通り言葉を失った。
あの席でガイの耳に聞こえてきたアリーシェの普段とは違いすぎる声音は、この妖精の仕業によるものなのか。
聞き間違いでなければ、今この妖精は、王女の心の声と言った。
「ど、どういうことだぁぁぁ!」
ガイの渾身の絶叫が響き渡った。
――つまりはさ、今妖精の社会では、特定の誰かの心の声を聞こえるようにして、恋愛成就させるっていう祝福が流行っているんだ――
説明を求めたガイへ妖精はしたり顔で言った。
――いやあ、祝福ってさあ、基本的にお礼じゃん? そうホイホイとばら撒くわけにもいかないわけよ。でも俺は、巷で流行っている祝福を授けたい! 俺だってみんなの前で自慢したい! できれば人の子の社会の中でも地位ある者の役に立ちたいなあってことで、お城の庭で人の子観察をしていたわけさ――
話しながら妖精がガイの周囲を飛び回る。
茶会に向かう道すがら、ガイは蜘蛛の巣に引っかかっていた妖精を助けてやった。自力で逃げられないほど力が弱い妖精が人里に下りてくるなど珍しい。誰かに見つかれば捕まって使役されてしまう恐れもある。
そう親切心を発揮したのだが……。
――騎士団長さんは、王女様との距離がどうのって悩んでいたじゃないか。心の声が聞こえれば心の距離なんてすぐに近付ける! そう思ったわけ――
少年妖精の話を聞くにつれ、ガイの眉間にしわが深く刻まれていく。
まさかとは思うが……。蜘蛛の巣に引っかかったのは、祝福を授ける動機を得るための自作自演なのか。
「まさかとは思うが……俺がお礼なんて要らんって言った矢先に目の前が光ったのは……」
――うん。祝福を授けた時の光だねえ――
ここでガイは、己の血管がぶちっと切れたのを自覚した。
「なんていう要らんことをしてくれたんだぁぁぁ‼」
そう叫びつつ妖精を捕まえようとするも、案外すばしっこく空振りばかり。
――そんなこと言うなよ~。俺だって仲間の前で自慢したいんだもん――
「だもん、じゃねえ! 人の悩みまで把握した状態での確信犯か! おいこら、下りてこい! そしてこの変な祝福をさっさと消せ!」
――王女様との恋愛成就、頑張ってね~――
手をひらひら振りながら少年妖精が空高く飛んでいく。
ガイは拘束魔法を放った。
しかし、それは妖精の結界によってバチンと弾かれた。
相当の高位妖精だ。それこそ、蜘蛛の巣ごとき自力で脱出できる以上の。
「おりてこーい‼」
怒りの声は青い空に吸い込まれたのだった。
それからというもの、ガイは妖精曰くアリーシェの心の声に翻弄されまくることとなった。
例えば結婚式の衣装合わせの日。
『いつもの騎士服姿も格好いいけれど、儀典用は五割増し、いえ、十割増しの破壊力だわ。ああ最高に素晴らしいわ。これ、全世界の女性たちが惚れてしまうのではないかしら。ただでさえ多くの女性を虜にしているのにガイ様ったら罪作りだわ』
儀典用の黒い騎士服を身に纏うガイの前で、顔面が凍りついたままのアリーシェからは大きな心の声が聞こえてくる。
『結婚式までとっておこうと思ったけれど、やっぱり先に見ておいて正解だったわ。こんな格好良すぎるガイ様を本番当日に見てしまったら……鼻血吹く未来しかなかったもの。さすがに結婚式で鼻血はまずいわ。大事故よ』
「……」
氷の王女様が鼻字を吹くのか? 彼女流の冗談だろう。
『ああ、ガイ様シュキ……。艶やかな黒髪も海のように美しい碧い瞳も、引き締まった体躯も何もかも大好きが過ぎるわ……』
はあ、はあ、と息づかいも荒い気がする。
運動直後だったのだろうか、と内心首を傾げた。
さらに別の日。
『わたしったら、何か気の利いた話題を振れればいいのに……。もっと普通にしゃべりたいわ。ああもう、どうして十四歳の頃はわたしはクールキャラが格好いいだなんて考えたのよ!』
庭園散策をして「……今日もいい天気ですね」「そうですわね」と、会話が秒で終わった直後に、アリーシェから嘆きの心の声が聞こえてきた。
『氷の王女だなんて羨望の視線を受けているけれど……単にキャラの止めどころを見失った阿呆な小娘の成れの果てじゃないの……』
氷の王女、まさかのキャラ作りであった。
しかも思春期を拗らせた末の。
思春期か。うん、色々と迷走する年頃だよな。俺にも覚えがある。ちょうど魔法学校に在籍していた頃で「ふははは。俺の魔眼が疼くぞ」なんて、謎の設定をさも生まれついた頃からそうであったかのように宣っていたな。う、思い出したら心臓が……。
などと青春時代の痛い思い出が脳裏に蘇り、ガイはこっそりと胸のあたりを抑えた。
そして、心の声が聞こえてきてしまうためにアリーシェの黒歴史を知ったことに罪悪感を覚えた。
(あの妖精め。あとで覚えていろ)
ガイはあれ以降姿を見せない妖精に向かって念じた。
高位の妖精ともなると姿を消すこともできるのだ。おそらくどこかから見張っているはずである。
アリーシェの心の声を聞いてしまうのは心苦しいが、何度も一緒に過ごすうちに、彼女が純粋にガイのことを慕ってくれているということは、紛れもない真実なのだと理解するようになった。
顔面筋肉は相変わらず仕事をしないアリーシェではあるが、その分心の声は多弁だ。
『ガイ様、今日もシュキ』
『こんな愛想のないわたくしに親切にしてくださって、なんて紳士な御方なのかしら』
『今日もとっても格好いい』
彼女から聞こえる心の声は、いつもふわふわと柔らかくて甘くて砂糖菓子のようだ。
ある日の庭園散策の時間、こんな心の声が聞こえてきた。
『こんなわたしがピンク色のお花が大好きだなんて、恥ずかしくって言えないわ……』
そういえば、花の一つも贈ったことがなかった。
宮殿の庭園を彩る花々を横目にガイは己の不甲斐なさを反省した。
そして次の約束の日、ガイはアリーシェのために花束を用意した。
「アリーシェ王女殿下にお似合いになるかと思いまして」
彼女が好きだというピンク色の花を中心に作ってもらった花束だ。
「ありがとう」
アリーシェは平素通り、表情を変えることなく受け取った。
『あああああどうしましょう! ガイ様から生まれて初めての贈りものだわ! きょ、今日は記念日ね! そう花束記念日だわ!』
直後に聞こえてきた心の声は正直で、きゃっきゃと喜ぶ声にガイは思わず頬を綻ばせた。
「どうしたのですか、急に」
『ほほほ微笑むガイ様を拝めるだなんて! しかも、素の表情よ! あああもう、ガイ様シュキ――』
「喜んでくださったことが嬉しかったのです」
「そう? ま、まあ……わたくしも女性ですからね。こ、このピンク色のチョイスは、言いセンスをしていると思うわ」
つんと横を向いたアリーシェは気付いているのだろうか。その耳が赤く染まっていることに。
いつか、俺だけに笑顔を見せてほしい。そんなことを思った。
それから氷の王女から設定変更できることも。
四か月後、伯爵位を賜ったガイは、同じく与えられた領地で生活基盤を整えるのに奔走していた。
もとは王弟の陰謀に加担した某貴族が治めていた土地だ。王に接収されたのち、ガイに与えられた。土地を治めた経験などないガイは、王立騎士団長の職務までは手が回らないことを早々に悟り、領主の仕事に専念することにした。
アリーシェを迎える前にやるべきことは山積みで、正直この数か月の記憶などほぼない。
「ごきげんよう、ガイ・フォスター伯爵」
「王都からの長旅お疲れでしょう、アリーシェ様」
いよいよ輿入れが近付いてきたため、フォスター伯爵領へアリーシェが居を移すこととなった。
『ああ久しぶりのガイ様。本物だわ……。今日もとっても格好いい。シュキ……』
聞こえてくる心の声も健在である。
もちろん浮かれ模様な心の声は微塵も感じさせないくらい、アリーシェの表情は動かず、不機嫌にも見えるほどなのだが。
しかし、四か月ぶりの再会は、ガイを別の意味で苦悩させることとなった。
『もうすぐ結婚式だわ。そのあとはもちろん、しょ、しょ、初夜よね! 大丈夫。わたくし基本編から応用編までバッチリ履修したもの。ガイ様のどんなリクエストにだって応えてみせるわ! 騎士は夜の技術もすごいわよって、誰かが言っていたけれど、ま、まあ……わたくしは別にガイ様が童貞じゃなくても気にはしないけれど。むしろ夜の技術をわたくしに……まずいわ。鼻血を出して腹上死する未来しかみえないわ』
誰だ、深層の姫君に変なことを吹き込んだのは!
うっかり茶を噴き出すかと思った。
『わたくし、ガイ様のピー(自主規制)を口でピー(自主規制)する心積もりだってあるのよ。ピー(自主規制)がピー(自主規制)にピー(自主規制)しなかったらどうしましょう!』
まさかの宣言にむせた。不可抗力だ。誰だよ、アリーシェにそんなことを教えた奴は!
「風邪ですか?」
「いえ、埃が喉の変な場所に貼りついただけですので」
心の声など知らねば、今日も絶好調に冷たい表情でこちらを見下……もとい淡々とした様子のアリーシェである。
『少し不謹慎だけれど、咳き込んで涙目のガイ様も色気があってシュキ……』
うっとりした心の声に今すぐに叫んで逃げ出したくなった。
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