冷たい模様

肥後妙子

第1話 溶け残りのようにひっそりと

 二十一世紀、令和の時代の夏。猛暑は当然のように今年もやってきた。スマホで調べたら今日の最高気温も三十五度を超えた。

「あっついなあ……」

 言葉に出しても仕方ないとは思いつつ、風花は感想を呟いた。風花は実家暮らしの二十歳の女子大生だ。大学は夏休みが長い。その長さに感謝しつつ、まるで攻撃のような太陽光が見える窓のカーテンをシャッと音を立てて閉めた。冷房を使っている身としての、せめてものエコロジーだ。

「そういや、アイツどこだ?」

 ソファに寝そべっていた風花は上体を起こすとキョロキョロと小さな黒い塊を探した。黒い塊のアイツ、飼い猫のブチタである。ほぼ黒猫なのだが、のどの部分に白いぶちがある。だからブチタと名付けられた。

 ブチタは居間にはいないようだ。

「そういえば、ブチタ、昼間はどこかに行っちゃってるなあ。暑いのに、庭?でも庭に出たい時は私らに玄関開けろって鳴くよなあ。黙って家のどこかにいるのかなあ」

 キョロキョロしながら風花は呟きながら決意した。

「よし、明日はブチタを追跡調査して家の中で暇をつぶそう!」

 

 で、翌日。やっぱり猛暑。

殆ど黒猫のブチタは風花の母からもらった朝食を済ませると水を飲み、顔を洗ってうにゃうにゃ言っていた。(ちなみに風花の父は暑い中仕事である。社会人は気の毒な事に夏休みが短い)そして猫用に隙間を開けていた居間のドアから廊下へ出て行った。出ていくときはうにゃうにゃ言ってなかった。

 風花はこっそりとそれを確認すると、抜き足差し足で後をつけた。廊下に出ると屋外ほどでなくても結構むわっとした暑さを感じる。でも猛烈な直射日光を浴びなくていいだけでも恵まれているのだ。

 ブチタは廊下の突き当りの納戸へはいって行った。納戸の引き戸は立て付けが悪いのでずっと隙間が空いたままなのだ。直さないとね、と家族で言い合っていたものの、いつしか慣れてしまい、放置していた。その隙間、大体猫一匹が通れるくらい。

「あそこがブチタのアジトか……」

 風花はカッコつけて呟くと自分も納戸に向かい、できるだけそっと引き戸を開けた。立て付けが悪いわりに開けるのは楽だった。


 納戸に入った瞬間、風花は違和感を持った。納戸は北向きの窓からの光のみで薄暗い。それは分かる。風花の違和感は、納戸の中に入ると気温が少し下がった気がしたからだった。

 (錯覚?それとも北向きの部屋だから?ううん、それだけじゃない)

 微かに肌に覚えのあるヒンヤリ感。納戸の奥に進むとそれだけ涼しさをはっきりと感じる。ドキドキしながら視線を漂わせると、ブチタがいた。

 

 ブチタは小さな行李こうりの上に乗っていた。その行李に風花は見覚えがあった。風花が小さい頃に来ていた浴衣が仕舞われた、植物を編んで作られた箱だ。浴衣を作ったのは茨城のおばあちゃん。

 ブチタは金色の目でじっと風花を見ている。

「すまん、ブチタ。ちょっと見せてくれ」

 風花はブチタを持ち上げて横にどかすと、行李のふたを開けた。白いものが目に入る。一瞬、雪が入っているのかと思った。

 ひんやりと冷たくも柔らかい冷気が風花の全身を包むと数秒後、儚く消えた。行李の中には風花の浴衣。


 その浴衣は小学校低学年くらいに来ていたものだった。

 その模様。

「あ、雪の輪だあ」

雪の輪。輪郭を装飾的に波打たせた円で、降り積もった雪を表すという日本の伝統模様。白地に紺の模様は子供の目には地味に見えたものの、今の風花にはなかなか涼し気で好ましく見えた。

「雪の輪が、涼しさの素だったの……?」


 そういえば子供の頃、風花はこの浴衣を着ると涼しくて楽だった……。あれは浴衣地だから通気が良いだけではなく、この浴衣の模様に何か特殊な効果があったのだろうか……。風花が子供の頃から、この浴衣は冷気を出していたのだろうか。成長して着られなくなってしまわれると、行李の中に冷気が溜まって、それに気が付いたブチタが涼をとるようになったのか……。


「うーん、こんなことが……」

 意外な発見に風花は困ってしまった。というか発見を持て余してしまった。ブチタは隣で風花の顔をじっと見ている。

「しまおう」

 そうブチタに宣言すると、できるだけ丁寧にたたんで行李の中に入れて蓋を閉めた。こうしておけば、また冷気が溜まるだろう。


「ブチタ、私はもうこの浴衣着られないし、状況はよく分からないし、この雪の輪の涼しさはお前に譲る」

 風花はブチタに誓った。

 ブチタはにゃん、と短く返事をした。

    

                      終


 

 

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