日記 春

1月~4月



1月21日 晴れ


梅が咲いた。2輪。後に続きそうなほど膨らんだつぼみはまだ少ない。満開はもう少し先、立春あたりか。

一昨年は孝が死んだ翌朝に咲いていることに気付いたから、開花は今年より10日ほど遅かったことになる。あの年は寒かった。


庭に最初に植えた2本のうちの1本が、この梅だった。

ちょうど真ん中、居間の正面。植木屋に「白で」と頼んで見繕ってきてもらった。

梅は槇が好きな花だった。

槇は、母親譲りの目鼻立ちの整った華やかな顔立ちで、どこにいても人目を引いた。梅よりは同じバラ科の桜の方が余程似合って見えた。いや、バラそのものか。ああ見えてバラは草木ではない。樹木だ。


あの朝、庭にいた洋に梅を手折ってもらった。これで迷わず槇の許にいけるだろうと、孝の胸元に初花を置いた。




1月30日 晴れ


昨日、真佐子がお供え用にと白いカーネーションを買ってきてくれた。私は一枝だけ庭から梅を。冬場は水替えに気を遣わなくていいのが有り難い。

気のせいと分かってはいるが、写真の孝の顔がわずかばかりほころんで見える。

丸2年。

ここまでを一区切りと思って片付けてきた。ほぼ無事済んで、案外長かったような。いや、やはりあっという間か。

それでも孝の骨をどうするか、私はまだ決めかねている。いっそこのままずっとここにいてもらおうか。いや、さすがにそれはないか。




2月2日 晴れ


毎年、立春前後に2回、バラの手入れをする。今年も例年通りで、今日は1回目、葉を全てむしり取る。

風邪をひかないよう暖かい服装で、ただし棘があるので引っかからないもので。バラ用の手袋をして庭に出る。


バラは私には向いていなかった。

土壌改良や元肥、追肥などを考えるのは、薬剤師だったからか、苦ではない。問題は、毎日のように世話を焼かなくてはいけないということだった。とにかくバラは手がかかる。かかり過ぎる。

バラの花は美しいと思う。香りの良いバラはことに。

だから植えた。この家に住み始めて1年後、4種類。香りが良いものを3本、病虫害に強いとあった無香のつるバラを1本。柄にもなく勢い込んでいたのだろう。

だが、咲かせるまでの過程を楽しいとは思えなかった。そしてその期間の方が花の季節より圧倒的に長いことを、それがバラが枯れるか私がいなくなるかするまで延々と続くことを、当時の私は理解していなかった。いい年になっていたつもりだったが、思えばまだまだ若く、浅はかだった。

結局、一番日当たりのいい場所に植えた一番丈夫だった1本のみ残して、他は処分した。庭に植えたもので枯らしてもいないのに抜いたのはバラだけだ。




2月12日 曇り


相変わらず寒いが、今日は風がないので2回目のバラの手入れに充てる。

2回目は剪定。それと元肥のすき込み。


剪定は太ももくらいの高さにまで切り詰める。園芸書片手に初めて挑戦した時は、こんなに切ってもいいものかと不安しかなかった。それが春になり暖かくなったと思う間もなくあれよあれよという間に枝が伸び、葉が茂る。その生育ぶりには目を見張らされた。2年目以降はハサミを入れる手からためらいが消えた。


前回丸坊主にした幹からいくつもの新芽が出ている。その中から伸ばしたい方向に出ているものを選び、すぐ上でハサミを入れていく。切り終えると足元の土を返し、肥料をすき込む。

1本だけ残したバラの、ハサミを入れたことのない根元の幹はごわごわとして固く太く、見るからにたくましく力強い。もちろん梅やサルスベリといった庭木と比べれば細いが、それでも草ではない、紛れもない木なのだと、花からは想像もつかない顔付きでもって地面に根を下ろしている。




2月23日 曇りのち雪


午後になって雪が降り出したので庭に出てみる。小雪。積もるほどではなさそう。

いつの間にか沈丁花じんちょうげが咲いていた。枯れた下草を踏み分け、香りを嗅ぐ。


沈丁花は植え替えを嫌うのだそうだ。だから植える場所はよく考えるようにと植木屋に言われた。そう言われても当時の私には見当も付かず、植木屋と相談した上で南側隣家との境、ブロック塀の手前に決めた。

これが見事に失敗だった。沈丁花は樹高が低く、奥に植えると見えづらいのだ。ただ、開花を迎えるこの時期には手前の緑はほぼ枯れているので、その点はさほど気にならない。問題は香り。せっかくの芳香が、庭に出ただけでは楽しめない。一番手前に植えればよかったと咲く度に後悔している。




2月27日 雪


昨夜から本降りの雪。滑ると怖いので玄関回りだけ雪かき。一緒に庭の様子も見てくる。柚子がふたつ落ちているのを見つけた。久しぶりに柚子湯にでもしようか。

沈丁花も少しだけ手折ってきた。しんしんと冷えた居間で香りを嗅いでいると、槇の花嫁姿がまぶたに浮かぶ。


高校までは一緒だった私たちだが、その先、槇は短大に進み、卒業後は花嫁修業を少しして、3歳上の幼なじみの孝と結婚した。私たちが22の年だった。白無垢も色打ち掛けも、どちらも匂い立つような美しい花嫁姿だった。

同じ頃、私は薬剤師として働き始めていた。

父似の私は容姿に恵まれているとはお世辞にも言えず、社交的でもなく、もちろん男性と付き合ったことはなく、当然のように結婚など考えたこともなかった。小さいうちから母に「早季さきは何か手に職を付けた方がきっといい」と言われて育った。

当時、女性が働き続けられそうな職業はかなり限定的だった。その中で薬剤師を選んだのは、教師に勧められたのがきっかけ。女性が四年制大学に進むのは地元の進学校だった母校でもかなり珍しく、進学先としては槇のように短大が一般的だった。

私が地元の薬学部に合格した時、誰よりも槇が一番喜んでくれた。あの美しい顔を笑顔でくしゃくしゃにして私に抱きついてきた槇。外見も性格もまるで似ていない二卵性双生児の私たちは、仲だけはとても良かった。




3月15日 晴れ


玄関脇の雪柳が咲き出した。街中でも桃、レンギョウ、辛夷こぶし、と多くの花々がほころんでいて、春が来たことを実感する。

長い枝に小さな白い花を密集させた雪柳は、雪が降るようにして散る。散った後の床掃除が面倒で、家に飾ることをいつも少しだけ躊躇うのだが、結局はその春らしさに負ける。今日は悩むのも億劫になり、すぐにハサミを持ってきた。




3月30日 曇り


雪柳はそろそろ終わり。代わりに沈丁花の手前につぼみをつけたエビネが何本か。門扉に絡ませたジャスミンも咲き始めた。これからしばらくの間、玄関を出入りする度にジャスミンの香りを楽しめる。




4月4日 晴れ


チューリップ開花。


チューリップが咲く頃、25歳の私はおばさんになった。槇が子供を産んだのだ。

連絡を受け、仕事帰りに会いに行った。淡いピンクのチューリップの花束を手に。

「ありがとう」と微笑んだ槇は、出産時の疲れからだろう、少しやつれて見えたが、それ以上に母親となった幸せで内側から輝くようだった。

赤ん坊は可愛いかった。ぷっくりと膨らんだ頬はチューリップみたいな色をしていて、ふくふくと無心に眠っていた。きっと槇はこういう風に生まれて育っていったのだろうと、目尻を下げながら他人事のように思っていた。自分のことは想像もしなかった。

槇によく似た女の子は『真佐子』と名付けられた。




4月7日 晴れ


ケーキを買いに行く。桜のケーキ。この店には一度、洋を連れて行ったことがある。

買う前に花見。終わりの桜がちらちらと散って、ベンチに座って眺めていたら眠たくなった。

買った桜のケーキは2種類。夕食前、会社帰りの真佐子と居間で食べる。あんなに小さかった赤ん坊が50過ぎだなんて。私も年を取るはずだ。

誕生日おめでとう。



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2025年1月10日 22:10

ばあちゃんの庭 満つる @ara_ara50

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