⑨ 白


 ばあちゃんに糸を持ってきてもらって糸電話を作る。その間にばあちゃんと母が服を選び、選んだ服を母がじいちゃんのからだの上に広げた。父は父で本を2冊、じいちゃんの二の腕辺りに置いている。和菓子をいくつかじいちゃんの顔近くに並べたばあちゃんは、出来上がった糸電話の紙コップの中に梅酒の梅と柚子を片方ずつ入れた。それをおれが棺上の隅と隅とに納める。


「お支度は整いましたでしょうか?」

 黒い服を着た男のひとに尋ねられたばあちゃんは、「はい」と静かに頷いた。

「では、」と大きなお盆が目の前に押し出される。

 お盆の上は一面の白い花。多分カーネーション、それも茎がなくて花だけの。手にして初めて気が付いた。ちょっとびっくりした。

 それを4人で全部入れた。凄い量だった。白い花で埋め尽くされたじいちゃんは、何だか戸惑っているように見える。4本だけ茎の長いバラが別に用意されていて、最後にひとりずつじいちゃんの胸元に入れた。

 他にも何か色々としてたと思うけど、おれに声がかかることはなかった。黒い服を着た男の人が何人かいて、慣れた様子で物を動かしたり片付けたりしているのをソファに座って見るともなく見ていたら、「ご出棺のお時間です」と告げられた。棺を持つのは男性だけなのだそうだ。父とおれと、後はさっきから動いている男のひとたちとでじいちゃんの棺を霊柩車まで運んだ。

 霊柩車にはひとりしか乗れないと言われて、ばあちゃんが乗った。おれと母は父がハンドルを握る車に乗った。二台の車は街中を抜け、バイパスに入り、しばらく走って山の中の火葬場に着いた。

 

 炉の前の開けた部屋のような場所で、神主さんが待っていた。棺の小窓を開け、お別れの式をした。それが終わると、これで本当に最後ということが誰に言われるでもなく伝わってくる。

 開けられた棺の小窓を前に、母は「お父さん、」と言ったっきり、後はハンカチを握りしめた手で口を押さえている。父は「お疲れ様でした」と言って手を合わせた。どうしていいか分からなかったおれは、黙って頭を下げた。

 ばあちゃんはずっとじいちゃんの顔を見ている。指1本動かさず、ひと言も口をきかず、ただ黙って見つめている。立ったまま石にでもなってしまったかのようだった。

 しばらくして、

「そろそろよろしいでしょうか」

 係の人が小声で促した。

 それでようやくばあちゃんは一歩前に踏み出し、手を伸ばしたかと思うと棺の中のじいちゃんの顔を数度、そっと撫ぜた。まぶたの上辺りで手を止めたまま何度か瞬きして、手を離してもう一度、じいちゃんの顔をじっと見つめている。見つめる目がわずかに緩んだように見えたその時、ばあちゃんはゆっくりと顔を上げた。おれの目に、ばあちゃんはたしかに微笑んでいた。

 待ち構えていたように棺の窓が閉じられた。皆で手を合わせる中、棺は炉の奥に静かに吸い込まれていった。



 *



 控え室から炉の前に戻ったきたおれたちに一礼すると、開口一番係員さんが言った。

「きれいで立派なお骨です」

 おれたちの前に、じいちゃんが骨になって横たわっている。

 制服姿の係員さんは中年の男のひとで、大きなお箸でじいちゃんの骨について説明してくれた。説明を聞きながら、おれは学校の理科準備室にある骨格標本を思い出していた。骨って本当にこういう形で人間の中にあるんだと思いながら。

 怖いとか悲しいとかそういうことは思わなかった。ただ、何て言うか、不思議だった。当たり前のことだけれど、皆で選んだ品々は跡形もなく、棺を埋め尽くした花も花びら一枚残っていない。棺さえ燃え尽きて、あるのはただ骨だけだ。

 焼かれて骨になったじいちゃんは白かった。

 からだに何か入れていたり病気によっては骨に色が残ることもあるのだそうだ。でも、じいちゃんの骨は真っ白で、それは数時間前に家で皆で入れた花が違う形になったみたいにも思われて、そうか、それで白い花を入れるのかと思ったりした。


 そうしておれは生まれて初めて骨を拾った。

 まずはばあちゃんと母とで、続いて父とおれ。そうやって何度か大きな骨を拾って骨壺に納めた後、係員さんが「あとはこちらでお納めしてよろしいでしょうか?」とおれたちを見回した。父が頷くと、係員さんは手慣れた様子でひとりで骨を壺に入れていき、最後まで残った細かい骨を小さなトレーに集めて中に滑り落とした。

 じいちゃんの骨は大きな骨壺の上まで一杯になって、それで全部だった。


 係員さんは一礼して、骨壺に蓋をした。用意してあった桐の箱に骨壺を納めると、

「どなたが?」

 再びおれたちを見回した。

 ばあちゃんが右手を小さく上げて応える。

「大丈夫? お母さん」

 母がばあちゃんの顔を覗き込む。ばあちゃんは黙って頷いている。

「重たいですよ」

 係員さんの言葉にも同じように頷き返す。

「では、」と係員さんは言って、ゆっくりとばあちゃんの腕に箱を渡した。受け取ったばあちゃんはそのままの姿勢で動かない。皆で黙って見守っていると、少しして

「真佐子、」

 母の名を呼んだ。「お願い」

 すぐに察した母が、ばあちゃんの手から箱を受け取る。

「ありがとう」

 ばあちゃんの掠れ声に、母はうんうん頷く。おれはばあちゃんの横に並び、空になった手を取った。

 おれを見上げたばあちゃんは、「やっぱりおじいちゃんは重たかったよ」、そう言って小さく笑った。

「そりゃそうだよ」

 繋いだ手をブランコみたいに軽く揺らしながら、おれも笑ってみせた。

 

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