猫の楽園

川中島ケイ

第1話 25時、都内某所にて。

 202x年、AIの急激な成長は人材不足の相次ぐこの日本に大きな変化をもたらした。国の助成もあってか、多くの職種に臨機応変な対応のできるAIロボットが導入され、それまで働く人々によって支えられていた暮らしは、『人とロボットが共生する社会』へと変容を遂げていく。


 

 203x年、ここは国道沿いのフランチャイズ型ファミリーレストラン『ダイナーズ』


 師走も半ばを過ぎ、イルミネーションで華やいだ季節の喧騒はこの都心から外れた場所にも及んでいた。楽しげな会話に興じる人たちの帰宅を見送り、ようやく開店前と同じ静けさの戻った24時半。


 この店で従業員であるリョータはようやくといった感じで客席のソファーにドカリ、と腰を下ろした。照明の明るすぎる店の天井をぼんやりと眺めながら全身の力を抜いて、魂まで抜け出そうな長い溜息を吐き出す。

 

 このところ、寝ている時でも忙しい店内で働いている夢をよく見る。


 クレームで呼び止める中年男性の怒鳴り声、操作方法が分からないと無理に足を止めさせる年配の女性。アプリ予約の時間を3分も過ぎて案内されないと騒ぐ忘年会帰りの若者たち。それらの声が脳内で綯交ぜになって再生され、思わず閉じかけた目を開ける。


 

 ヤバいヤバい、今日寝落ちする所だった。


 慌てて外の景色を見るが先ほどまでと変わらない、オレンジ色のライトが交通量の減った国道をギラギラと照らしている。時計の針が差しているのは午前1時。寝落ちしてたのは軽く30分程度だ。


 軽く頭を振って鉛のように重い身体を起こし、レジの下に接続されていたPCを先ほどまで座っていたソファー席に移動させてもう一度、今度は座面に深く座り直した。


 とりあえずPCで集計された売り上げデータと電子マネーの入金記録をチェックしてエラーの確認、それから業務日報の記入、それから明日の食材発注にそれから……と普段何百回とやっている業務を機械的にこなすモードに脳内が変換されていく。


 一度、それらをするだけの気力も残っておらずに朝まで寝落ちしてしまった事があった。普段はほとんど鳴る事のないスマホの呼び出し音で起こされたのは朝の5時。飛び起きて恐る恐る出た電話から聞こえてきたのは普段も仕事で聞いている声だった。


「売上データと発注書が送付されていないんだニャー。早急に送ってもらえないと本部も対応が出来なんだニャー」


 そういえば、客からクレームをぶつけられる以外に話したのって、いつが最後だったっけ?


 

 最初に開発成功して導入したのはどこの会社だったかまでは覚えていないが、複雑で細かい作業が可能になったロボットのおかげで今や、調理の現場ではAIロボットが全てを任せられるようになった。注文から調理して配膳、そこからテーブルの片付け・来客案内にレジもすべてをネコの顔をしたロボットがこなす中で、人間はただロボットの保全を行うだけで良い。

 

 そのやり方で店舗数を増やして『業界の革命児』と呼ばれた男が経済関係の雑誌で表紙を飾っていたのを見たのは、リョータが就職を考え始めた高校2年生の頃だった。


 それを読んで「アイデア次第で人は成り上がる事が出来る」と考えた人付き合いの苦手だったリョータが早速、その男の展開するチェーン店へ採用面接を受けにいったのはごく当然の流れだった。実際、働き始めても面倒くさい上司も居らず、同僚に気を遣う事も無い現場での仕事は自分に合っているように感じていた。自分が休みである日には、本部から『管理責任者』を名乗る人物が派遣されて仕事を代わってくれるので、気兼ねなく休みを満喫することができる。


 休みの日にSNSや電話で高校を卒業した仲間から「大学の先輩からの圧が無理」とか「上司の言ってくる課題が意味不明すぎて早くも転職してぇ」なんて報告を受け取るたび、内心で自分は勝ち組の流れに乗ったとほくそ笑んでいたものだ。


 

 しかし、その流れが変わってきたのは入社して5年経ち、ベッドタウンになっていたS県の都市から首都東京のはずれにある今の店へ転属になったあたりからだった。


 その少し前から店舗運営者という役職が付き、給料が上がった代わりに週2日あった休みが週1日だけになった。そしてその休日に本部からやって来るハズの管理責任者が当日になって都合により来られない日が多くなり、多くて月に2回、下手をすると月に1度しか来ないパターンも増えた。


 ちなみに今月はまだ一度も管理責任者は来訪していない。つまりリョータは先月に管理責任者が訪れてから今日まで、ほぼ丸一カ月、休みを取っていない。


 本部からは『AIロボット達に任せて休みを取っても良い』との指示は受けていた。AIロボット達だけでこれまで現場の業務オペレーションはこなせているのだから問題はない、と。


 だけど、実際にはそんな事できるわけが無いのだ。


 もし自分の居ない間に調理担当のロボットが止まったら? 操作エラーであり得ない量の注文が発注されたら? 人が居ないのを狙ってレジを無視して食い逃げする客でも出たら? それらは全部、自分の責任だ。実際に他の店舗や飲食店グループではそういった事例も報告されているという。そういう点でAIロボットはまだ完璧な存在ではない。この会社の本部はそんな事も分かっていないのだ。


 

 早朝、ロボット達が仕込み作業を始める所から監視し始め、店が開いている間は全ての業務が滞りなく動いているか全てに目を光らせ続ける。ロボットでは対応できない人間に対しての応対もこなさなければならない。それらが終わって閉店業務まで終了するとほぼ毎日、午前2時。


 帰って寝るだけの自宅には、前回の休日以来帰れていない。[人がメインで働いていた頃]の名残りで残っているスタッフルームのソファーが寝床になっているし、その部屋についているシャワーを浴びて、寝ている間に洗濯機を回すのがルーティーンになっている。


 誰も待ってはいない自分の部屋に帰りたいとは思わないけど、疲労だけはただただ蓄積していく日々。しかしこれは、果たしていつまで持つだろうか、とは自分でも思う。


 

 コトリ、と音がして気が付くと、テーブルの隅に湯気を立てる温かい飲み物が置かれていた。甘くて安心感を与えるこの香りは、リョータの好きなホットココアだ。


 でもこんなもの、注文した覚えがない。そもそも店は閉店中の時間なわけだから、ドリンクバーの機械も電源を落として清掃を終えていたハズなのに……

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