試験中に正解を強制された話

砂塔ろうか

告白


 彼と再会したのは成人式の日のことだった。


 黒のスーツに整髪料できちんと整えられた髪。顔立ちからは幼さが抜けて、精悍なものとなっている。少し見ないうちに随分と大人らしくなったものだ。


 彼は高校時代の同級生だ。同じ大学を志望して、毎日図書室で一緒に勉強して、的試験や模試の点数を競い合った関係。すこし気取った言いまわしをするならば、「戦友」といったところか。


 といっても、私はけっきょく彼とは同じ大学には行けなかった。彼は合格して、私は不合格。そのせいもあって、高校卒業間際の期間はあまり彼と関わることも少なくなった。


 とはいえ、私は現状に満足しているし試験の結果は私の努力が足りなかっただけの話。今にして思えば、志望校に一人合格した彼と口をきかなくなったなんて随分と子供じみた真似をしたものだと思う。


 そういうわけで、彼との旧交を温めるべく私は二次会の帰りに彼を家に誘った。願いを叶えた者の責務だなんだと言って、大学生活の様子を詳しく聞かせてくれとせがんだのだ。


 これは、その時彼が私に語った話である。


 なにぶん、彼も私も酔っていたから真偽のほどは定かではない。

 朝になって「昨日のあれってどういうこと?」などと尋ねてみようかとも思ったが、ベッドの上で寝顔を晒す彼を見ていたら尋ねる気は失せてしまった。

 きっと永遠に、彼からその話をもう一度語ってもらう機会は訪れないのだろう、とも思う。


 おそらく、その話を語ることは「間違い」なのだ。もう彼には、2度とその物語を語ることは許されていない。


 だからこそ私は、求められる「正解」を積み上げられずに「間違い」を犯したものとして、この物語を語ろうと思う。


 さもなくば、この物語を語れる者はだれも、だれ一人として、いないのだから。


 ◇◇◇


 彼の名を、佐々木と記すことにする。


 もちろん偽名である。合っているのは名字の文字数くらいなものだ。


 その日——センター試験を突破し、いよいよ志望校のペーパーテストを受験しに行く日。佐々木は行きのバスの中で参考書とにらめっこしていた。その少し離れたところには私がいて、私もまた同じように参考書とにらめっこしていた。


 バスの中の受験生はほとんどがそうだった。普段、私は試験の直前は瞑想なりなんなりをして、脳内を整理させ、心身のリラックスに務めるのがルーティンだったのだが、その日ばかりは「受験」という一大イベントの空気に呑まれてだろうか、周囲と同じく参考書を読んでいた。


 だから、その時すでに、佐々木に異変が起きていたとは知るよしもなかった。


「…………?」


 バスが試験会場に近付いた頃、眩暈がしたのだそうだ。


 眩暈はバスが停車するまで続き、佐々木はその間、ひたすらに眩暈が収まるのを待っていたらしい。幸運にも、バスが停車すると眩暈は嘘のようにぴたりと止んで、何事もなく行動できるようになったのだとか。

 その症状に佐々木は一抹の不安を覚えたが、病院よりも受験を優先して、その事実を誰かに申し出ることはなかった。


 受験票を持ち、試験会場へ。席に座って参考書をしまうようにとの指示が出るまで、再び佐々木は参考書に向き合っていた。バスの中では不意の眩暈で勉強どころではなかった。その遅れを取り戻すためにも、最後の勉強時間を有意義に活用しなくては。


 そんな執念でもって、彼はギリギリのところまで脳に情報を叩き込み続けた。


 はたして、試験監督の指示があり、参考書類は鞄の中へと仕舞わねばならない時間がやってきた。問題用紙と解答用紙が配布され、持参した鉛筆を並べながら受験生たちは開始の時間を待つ。


「はじめ」


 試験監督の合図とともに一斉に紙をめくる音が響く。


 私と佐々木の運命を分けた試験。その一つ目が幕を開けたのだ。


 会場の机と机の間、川になった通路を試験監督がゆっくりと歩く音。鉛筆が走る静寂。時折聞こえてきては焦りを生む、紙をめくる音。


 時計のカチ、カチ、カチ、という音がいつになく大きく聞こえたのが印象的だった。


 私がそんな空間に浸っていた一方で、佐々木はどうもそうではないものに遭ったのだと言う。


 それは、最初の大問を解き終えて、一息つこうと顔を上げた時のことだったという。



 ————女性が、そこに立っていた。



 黒髪の美しい女性だったという。服は佐々木と私の通っていた高校の制服で、……彼の話では、当時彼が思いを寄せていた女性にそっくりだったのだとか。


 彼女の姿を見て、佐々木はひどく動揺した。当然だ。高校の制服を着ていたわけだから、明らかにその女性は試験監督ではない。受験生と考えるのが妥当だ。


 それも、自分の思い人と同じ姿をしていたと聞けば尚更だろう。


 その女性と目が合うと、佐々木はその女性に頬を撫でられたらしい。それから、顔を手で上げられて、ファースト・キスを奪われたと——彼は言っていた。


 そうして次の瞬間、机を挟んだ先に立っていたはずの彼女は彼の膝の上に座っていた。女性から伝わる体温も、女性の甘い香りも、その存在が幻ではないと訴えかけるようだったそうだ。

 驚く佐々木に女性はにこりと微笑むと、彼の右手を——鉛筆を持ったままになっていたその手を掴み、答案用紙に解答しはじめた。彼の手を動かすことによって。


 彼は、わけがわからなかったという。この異常な状況を誰かに気付いてほしくて、熟考のすえ、消しゴムをわざと落として試験監督を呼びもしたが、駄目だった。


 彼に消しゴムを渡した試験監督は、その女性の存在にまるで気付いていないかのように、ノーリアクションだったという。


 試験時間が終了すると、その女性は消えた。


 まるで煙みたいに。ただ、存在の残滓として彼女の体温が膝の上に、甘い香りが彼の鼻腔には残された。


 それから、試験開始のたびに彼女は彼のもとへ現れたと言う。


 彼女に手を掴まれると、彼の意志とは関係なく手が動き、彼の考えてもいない解答すらしてしまう。明らかな不正行為。カンニングというにはあまりに大胆だが、馴染み深い概念で説明するならばそれが一番妥当だろうか。


 結果的に佐々木はその日のペーパーテスト、全部でカンニングをしてしまった。


 別日に行なわれた試験でもまたカンニングを行って——というよりさせられて、大学の合格を勝ち取ったのだと——そう、彼は告白した。





 その女性を再び目撃したのは、佐々木が意中の相手に告白しようとした時のことだったという。まだ試験結果が発表される前。佐々木の大学合格が判明するより以前の話だった。

 意中の相手を呼び出そうとした瞬間に、その女性は音もなく現れて佐々木の行動のことごとくを妨げた。スマホでメッセージを入力しようと思えば、その指を動かなくさせ、口頭で呼び出そうとすれば、その口にまったく別の、たあいのない話を語らせた。


 やがて、佐々木は意中の相手に近付くことすらさえてもらえなくなり、自然とその相手と佐々木は疎遠になったという。


 このように、その女性は佐々木がなにか行動を起こそうとするとたびたび現れては、その進路を妨げたり、意図とは違うことをさせたりしてきた。


 神社で厄除けの御祓いを受けても駄目で、インチキだろうとは思いつつも、霊媒師に頼ろうとすれば行動を妨げられた。


 やがて、佐々木の日常生活の大半は、「彼女」に支配されるようになっていた。


 もはや、今の自分に自意識なんてものは残っていない。彼女に導かれるままに……「正しい」行動をとり続けるのみだと、彼は自嘲するように語った。


 ◇◇◇


 ————以上が、彼から私が聞いた話の全容だ。


 酔っ払いの与太話、とも受け取れるが、最後に皮肉げに笑ったときの彼の目には真に迫るものがあった。だから私はこうして、与太話と切り捨てることもできずに記している。


 しかし、もしもその話が本当なら、成人式の夜も彼は「彼女」に導かれるがままに行動していたことになる。酔った勢いで私と一夜の過ちを犯したあの時でさえも、もしかしたら、彼の目にはもう一人、私ではない誰かが写っていたのだろうか————


 そんなことを考えていたら、彼からメッセージが届いた。


 あの成人式の夜以来、私は彼と再び親しくするようになっていた。

 私としてはあの夜のことが気になっていたし、なにより、久しぶりに再会した彼は人間としての魅力が以前よりもずっと増していた。


 かつてはライバル視していて、友達としか思っていなかったのに、今や異性として見てしまっている自分がいる。


 なんとなく、結婚のプロポーズもそう遠くないうちに来るんじゃないかと、そんな期待さえしていた。


 彼からのメッセージを開く。


 と、そこにはこう書かれていた。


——————————


たんじょうび おめでとう🎉


すぐにケーキ受け取って帰るから楽しみに待ってて


けど、同棲するようになってからもうすぐ1年かあ。。。


てがみを、実はひきだしの中に用意しておいたんだけど、読んでくれたかな?


むずかしいんだよね。口で何かを言うのってさ。テンパっちゃいそうで


しかたないから、文章で思いを綴ってみました!


すなおに口に出しにくいことも、文章でなら吐き出せる気がするんだよね。僕の思いが、


るなにちゃんと伝わってると嬉しいな


な~んて、言うまでもないよね。じゃあ、また!


——————————



「た、す、け、て、む、し、す、る、な」



————助けて、無視するな



 私は彼のメッセージの行頭を拾って、読み上げる。


 うん。無視してない。大丈夫。だって、——私が彼に惹かれる一番の理由が、その健気なSOSなのだから。


 こんなことは。超常的な事態であろうと、ちゃんと助けようとするのが人間として、恋人としての「正解」なのだろうということは。


 だけど、私は人間として間違いだらけなのだ。だから、好きな人が苦しんでいると、とてもとても愛おしくなってしまう。


 それでも、わずかながらに人間としての良心。罪悪感はある。だから私はこの、「他者の苦しみに快楽を得る」という罪を告白することで良心の慰めとしたい。


 私にとっての「正解」を叩き出し続ける彼と向き合うにあたって、罪悪感を抱き続けるのは「間違っている」のだから。



(了)

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