六の日


          壱


 おっ父は、朝早くに出掛けて行きました。

本当は桃子と一日中ゆっくり過ごしたいところですが、どうしても行かなければなりません。


今日は干支一廻り。桃子を何者かが連れ戻してしまうかも知れない日です。せめて雨や曇り空なら少しは安心したのですが、この良い日よりはきっと夜まで続くでしょう。月の晩になる事は間違いありません。


おっ父はわらにもすがる思いで、お寺のお坊さんを訪ねました。

悪いものを追い払うとか、寄せ付けないとか、そういう方法は無いものかと尋ねてみようと思ったのです。

せっかく無事で帰って来てくれた一人娘を、誰の手にも渡さない、渡してなるものかと、強い思いがありました。


「ごめんなすってー!」

お寺の中に声を掛けると、年老いたお坊さんが姿を現しました。

耳の遠いお坊さまにおっ父は何とか事情を伝えて、高齢のお坊さんは「うん、うん、」と頷いてから観音堂の前に座り、経を唱え始めます。


おっ父は不安な気持ちと、何とかお願いしますという気持ちで一緒に手を合わせて拝んでいました。


お経を唱え終わったお坊さまはしばらくその場所に座ったままです。眠っておらっしゃるんじゃなかろうかと、おっ父が立ち上がろうとした時、お坊さんはゆっくりと振り返りました。

「籠(かご)じゃの…」

お坊さまは唐突に話しました。

「へ、?」

おっ父が詳しく尋ねようとします。

「かご、かごじゃよ。お前さんとこの納屋に、古〜いかごがあるじゃろ。あの幼子が眠っておった籠じゃ。今宵、人目のつかぬ庭先に、籠をおいて差し上げるのじゃ。そしてそなた方も、誰も、それを見ぬよう、そっとしておれ」

おっ父は半信半疑で尋ねます。

「そ、それでうちの娘は、桃子は連れて行かれなんだか」

「……もう大丈夫じゃろう。その代わりに、これからお生まれなさる新しいオンノコのために籠が必要じゃろうて」


おっ父はお坊さんの言われている事があまりよく分かりませんでしたが、ともかく言われた通りに、今夜はそっと籠を庭先に置いておくことにしました。



          弐


桃子からは旅の色んな話を聞かせてもらいました。

途中でたくさんの友達が出来たこと、その人たちから大切な事をたくさん教わったこと。おかげでさかなや肉を、生き物に感謝しながら食べれるようになった事、イカダを作って大きな池を渡ったこと、その先にある天柱山の途中で、大きな洞窟があった事。

それから、天柱山の向こうにも村があって、そこは鬼を神様として祀っている事など。

桃子は、今度はその村に行ってみたいと言いました。


おっ母は桃子の大冒険に時には感激し、時にはハラハラしながら興味を持って聞いてくれました。

でもおっ父は話を聞きながらも、途中で何度かそわそわします。返事がない時には

「おっ父さん聞いてる?」

と桃子が催促すると、「あ、あぁ、聞いとったよ。すごかったのう」と曖昧な返事をしたりします。

「おまえさん。すごいってどころか、頭を打って気を失ったのは、あたしは心配ですよ」

とおっ母に言われました。

「あぁ、あ、そりゃあ、すごく心配だっちゅう事じゃ」

今夜のおっ父さんは何だか落ち着かないねと、おっ母と桃子は笑いながら言いました。

照れ笑いしながら、おっ父はいつ時に籠を納屋から持ち出そうかとそればかり考えていました。



          弐


 桃子はまたおっ母さんと一緒に眠りにつきました。

その安らかな顔を眺めて

 (桃子は、俺たちの子だ。誰にも渡すめぇ)

そう自分に言い聞かせて納屋へ向かいました。


十二年もの間、朽ちることなくその形を守り続けた特別な籠。

本当にこれを置いとけば、桃子の身代わりになってくれるんじゃろか。

年老いた大坊さまの言葉をおっ父は信じて良いのかまだ分かりませんでしたが、今はこうするより他にありません。納屋から運び出し、誰の目にもつかない庭先にそっと置きました。


思えば、この丈夫な籠の中で桃子はスヤスヤと眠っておりました。幼子を守ってくれた、誰かの籠。


立派に成長した桃子の姿を、その誰かは見ることはありません。連れ去らない限りは。


 おっ父は籠に手を合わせて

「ほんにありがてぇこってす。あの子を授からして頂いて、ほんに幸せでありました。…ほんにすまねぇこってす。どうかなにとぞ、あの子をわしらから離さねぇでおくんなまし。大事に育てて、きっと幸せにしますから」

おっ父は目を閉じて、しっかりと合わせた手にまた力を込めて、そっとその場を離れました。




 その晩、おっ父は眠れずにいました。


酒でも飲まないと眠れなさそうでしたが、万が一の事があったら命懸けで我が子を守ろうと、朝までずっと起きておるつもりでした。


ウトウトしかけたのは、もう丑三つ刻(うしみつどき)でしたでしょうか。

庭に何かの気配を感じます。何やらカサコソと音も聞こえる様な気がします。

気になりましたが、誰の目にも触れないという約束を守って、おっ父は布団の中で祈っておりました。

 (すまんこってす。ありがてぇこってす)


その内にいつの間にか、おっ父も眠っておりました。



          参


 日がだいぶ昇ってから、おっ父は「お前さん!お前さん!」という庭先からのおっ母の声で目を覚ましました。

 しまった!

と、おっ父は慌てて庭に出ます。

 「なんということじゃ。眠ってしもうたか!」

おっ父は血相かかえて家の戸口を勢いよく開けました。

「桃子!桃子!」

庭に出るなり大声で叫ぶおっ父を見て、おっ母も桃子もびっくりしています。

 ……おぉ、良かった。も、桃子はおる。

泣きそうな顔で歩いて来るおっ父を不思議に思いながら、おっ母は「これを、見ておくんなまし」と、籠を置いたあたりを指さしました。


そこにあったのは、綺麗に繕われた浴衣でした。

広げて見ると、ちょうど桃子にピッタリと合うような丈です。


その柄は優しく、見たこともない紋様でしたが、ただの糸で繕われたような物ではないことは手触りでも分かります。見たことのない美しい花と、柔らかな色の桃の絵があつらえてありました。


人の手によるものではない。

籠の時と同じでした。



「ちょっくら、お寺さんに行ってくる」

おっ父は浴衣を手にして寺へ向かいます。

「桃子も行く!」

「だめじゃ。桃子はここにおれ」

「どうしたんですか、お前さん。お寺さんに行くだけなら、この子も連れてっておくんなさいな」

おっ父は迷いましたが、

「そっか。ぼんじゃあそうしようかの」と桃子と一緒に歩きました。


何故だか分かりませんが、おっ父は桃子をお寺さんに連れて行くのが少し心配でした。

何か言われるのじゃなかろうかと、おっ父は感じていました。

自分を落ち着かなくさせている何かを。

自分だけに留めて置きたい何かを。




 村の子たちと遊ぶときはお寺の周りだけで、中に入ったことはありません。だから桃子は中に何があるのかと、わくわくしています。

でもおっ父はいつもより何もしゃべらず、黙々と歩いていきます。

もう少しゆっくり歩いて欲しいのですが、そんな言葉をかけることもためらってしまうような、いつもと違う雰囲気をおっ父に感じました。

あの浴衣がどうかしたのだろうかと、あまりよく見ないままでしたので桃子は気になりました。



「おーい。誰かおらっしゃいますかぁー!」

大きな声をかけると、若い坊さんが一人出て来ました。

「おお、どうなされました。何やら慌てておらっしゃるようで」

おっ父は浴衣を見せて

「この浴衣が、どういう代物か、ちょっくら見てもらいたいんじゃが」

と伝えました。

若い坊さんは「ふ~む」と浴衣をしげしげと眺めて、

「こりゃあ、大坊さまに尋ねられたが良い。奥におらっしゃるので、呼んで参るまでこちらでお待ちおくんなまし」

と浴衣を預かり、観音堂に座布団を敷いて二人を待たせました。


落ち着かない様子のおっ父に、

「おっ父さん。どうしたの?何か様子がいつもと違うよ」と桃子が声を掛けました。

おっ父はようやく少し落ち着いて

「…すまんのう。あとできちんと、全部話してきかせるでな。…全部。お前さんを授かった事も…」

と応えました。

桃子は「うん」と優しく微笑みます。

その顔はまるで

(大丈夫だよ、心配いらないよ、おっ父さん)

と言ってくれている様な気が、おっ父はしました。



しばらく待っていると、大坊さまがゆっくりとした足取りで二人の待つ観音堂へ姿を現しました。その手には大事そうに浴衣が両手で抱えられています。

「長らく待たせたのう。どうやらお前さんの心配事は、昨晩無事に果たせたとみえる」

おっ父は浴衣の事が気になって、その事はすっかり忘れてしまっていました。

「そうでございました。ほんに、坊さまのおっしゃるとおりじゃった。ありがとうごぜえますだ」

桃子は何の事かは分かりませんでしたが、おっ父に習って自分も頭を下げます。

「ほんにいい子じゃのう。お前さんが案ずる気持ちも分かるわい。この子は特別なお子じゃ……。お前さんがた親にとってのう」

おっ父はまた頭を下げました。

「さて、この浴衣じゃが。心配は要らん。悪いものではない。それどころか、心やさしいこの娘への贈り物じゃ」

おっ父は驚いて尋ねました。

「そ、そげな大そうなもの、いってぇ誰が下すって…」

大坊さまはニコニコして二人を交互に眺めました。

「分かっておろうが、分からん事でもあろう。お前さん方はお互いに、まだ話しとらん事があるじゃろうて」

おっ父も桃子もドキッとしました。大坊さまは変わらずニコニコしております。

「その前に、この年老いた坊主の説法を聞いてくれんかのう。ちいと長いが、足を楽にして、ゆっくり聞いてくれれば良いわい」

大坊さまに言われて、二人は足を崩しました。



          四

 

「え〜、コホン。まずもっては神とはなんぞや、というところじゃが。分かりやすう考えると天におらっしゃって、人間を見守っておられる、というところかの。それで人間とは何か。これは地に暮らし、人の営みを生きる者。それでは鬼とは何じゃろうというと。地の下、すなわち地獄におって、悪さをしたり人間を喰い物にする。これがまぁ、ひとつの考え方じゃな。分かりやすい例え話じゃのう。

しかしの、世の中には色んな考えがあって、わしの先々代々の坊さまが言われるには、この中で形の見えるものは人間だけ。神も鬼も人間が分かりやすいように教えとして例えたもので、本来はカタチの無きもの。ほれじゃあおらっしゃられんかと言うと、きちんとおらっしゃる。

ちっと難しいがのう、神様がお住まいになられとるのは空ではのうて、空そのものが神様じゃと。そして空だけじゃのうて海も、大地も、風も、全て神様なんじゃと。さすれば鬼はどこにおるのか。

鬼が棲むのは、人の心じゃ。人の中にこそ、鬼がおるそうな」

大坊さまはお茶を一口すすって「コホン」とまた咳払いをしました。

「さてそこでの。むかしむかしあるところに、鬼が棲むと言われて、村人は近寄らん島があったそうな。腕っぷしのいい若者が、三人の家来を連れてその島に渡ったそうじゃ。

じゃがそこに住んどったのは鬼じゃのうて、なんと皆人間じゃった。色の黒い人、生まれながらに片目の無い人、病気で思うように言葉が喋れぬようになった人、頭に大きなコブがある人、などのう。それで若者は思ったんじゃ。

鬼というのは、この者たちを人と違うからと言うて村から追い出し、離れた島に流した村人の方じゃないかと。若者は島の人たちに、もう一度村へ戻るよう話したんじゃが、皆揃って、

『鬼が棲む所に戻りとうはない』と言うたそうじゃ。相当ひどい目に遭わされたんじゃのう」

桃子は悲しい思いで大坊さまの話を聞いていました。

ツノとキバの生えた優しい人たちが、人目につかないように洞窟の奥で隠れるように暮らしている事を思い出したからです。

あの人たちはもちろん人では無いのでしょう。不思議な力を持っているし、寿命も人より長く、その姿は人間とは違います。でも、無邪気に駆け回る人懐っこい男の子、お酒の大好きなイタズラなおじいさん、花を愛する優しい心の女の子、そして、鬼として生まれてしまった桃子を生んでくれたお母さん。

みんなの笑顔を思い出して、涙が出てきました。

「鬼とて、悪さをするとは限らん。どこぞの村では、鬼を神様として祀っとるところもあるそうじゃ。

鬼の姿をして雲の上におらっしゃるのを『雷さま』というじゃろう?雷様が太鼓を打って稲妻を走らせればその夏は豊作になると言われておる。じゃから正月のしめ縄には、稲妻を表した白い紙が括られておる。

不思議なもんじゃのう。鬼をおそれておるはずなのに、鬼と変わらん姿の雷様は、崇めて奉っとる。それが、人間というものじゃ。

不確かで、未熟じゃが、それゆえ愛しき生き物。そして人間は、かたち或るものに惑わされ、目に見えぬものをおそれおる。

『或る』ものに気持ちや思いが、すなわち下心が入り込んで『惑う』のじゃな」

おっ父は、ありがたい説法に手を合わせました。

そして、誰にも言えなかった事を、この子のためと自分に言い聞かせて黙っていた事を、今こそ打ち明けなければならない、そう感じました。

「桃子や、おまえにずっと黙っとった事があるじゃ」

正しく座り直したおっ父に習って、桃子もおっ父の方を見て正座しました。

「ある晩のことじゃった。戸口を叩く音がしたもんで、外へ出てみるとな。丁寧に造られた籠の中に、小さなお前さんがすやすや眠っとうた。ほんに可愛らしくて、桃色の頬っぺたをしてのう。赤子の出来んわしらに、神様が授けてくだされたと思うたんじゃ」

おっ父は少しずつ、目を潤ませました。

「すくすくと育って、言葉も歩くのも誰よりも早かった。今思えば、それは不思議な事じゃったんじゃがのう。神様が授けられた、特別なお子じゃと思うた。

じゃがある時、お前さんが寝かされとった籠に、字が掘られてるのを見つけたんじゃ。

 ” これよりえとのとおまわり

 つきのばんに参ります

 つのがやまにはよせぬよう

 なにとぞおたのみもうします “

とな。

お前さんは神様が授けた子でも、もちろん捨てられた子でものうて、どなたさまか知らんが、何かしら訳があってわしらの所に預けられたんじゃと気づいた。じゃが、おっ母はお前さんを、それはそれは大事にかわいがってのう。わしもお前さんがどこか遠くへ連れ戻されるんじゃないかと、12の歳まで、うんにゃ、それを超えても桃子はわしらの娘で、誰にも連れて行かせまいと思うた。それでわしは、お前にもおっ母にも言わんと、黙ってその事を隠しとった。お前さんを生んでくれた、どこぞのどなた様の気持ちも考えんと…」

おっ父は、グスッと鼻をすすりました。

「騙すつもりはなかったんじゃ。言えんかった。言わなんだ。お前は、桃子はわしらの大事な大事な娘じゃ。今でもそうじや。これからも、そうなんじゃ。

それだけは、分かっておくれ。こんなおっ父を、許しておくれ…」

「おっ父さん…」

桃子はおっ父に抱きつきました。

「桃子はおっ父さんとおっ母さんの子だよ。これかもずっとそう。遠くに連れてかれたりしないよ」

桃子は鬼のお母さんが話してくれた事を、自分の寿命の半分と引き換えに、人間になれるようにお願いしてくれた事を思い出し、そして改めて感謝しました。

大坊さまが言葉をかけます。

「この娘の言う通りじゃ。この子の事をお願いに来られたお方は、籠を連れてお戻りになられたわい。新しいしく生まれる命のためにのう」

大坊さまの言葉を聞いて、桃子はハッとしました。

 お母さん鬼に、新しい赤ちゃんが生まれるん  

 だ…。

そう思うと、桃子は嬉しくて、涙がポロポロ溢れてきました。

 良かった、お母さん。良かったね……!お母

 さん…!


桃子も、ここで全てを話そうと決意しました。

「おじいちゃん坊さま。桃子が旅して見てきたもの、初めて知った事を、全部を話して聞かせたいです。どうですか」

と、偉い坊さまに尋ねます。

「……うむ、それが良かろうの。おっ母さんも呼んで、きちんと話して聞かせると良いぞ」

桃子が頷くと、おっ父が「おっ母呼んでくるだ」

と言ってお寺を一度出ました。


大坊さまは、何もかもお見通しているような気がして、桃子は「おじいちゃんも神様なの?」

と尋ねました。大坊さまは

「ぉわっはっは。見ての通り、ただの人間の爺様じゃ。ただ、チィとばかり神さんの、そして鬼さんの事が分かるでの。それを伝えるのが坊主の役目じゃて」

と答えました。

それを聞いて桃子は「はぁ~…!」と感心しました。

大坊さまは変わらずニコニコしておいでです。


 程なくして、おっ父がおっ母を連れて戻って来ました。偉い坊さまと桃子から、大事なお話しがあると聞いて来たのでおっ母は少しばかり緊張しておりました。

「よう来なすった。座布団があるでゆっくりお座りなされ。ちぃとばかり長くなるでの」

 

 若い坊さまがお茶を持って来て、みんなの前に置いてからまた奥へと下がって行きました。

「さて、旅で何を悟られて参られたか。おっ父さんとおっ母さんと、そしてこの爺やにも話して聞かせてくれんかの」


桃子は、付き添いのおじさんと別れてから、途中で出くわした山犬を助け、お供をしてくれる三人の人たちと出会い、大池を渡った向こうにある仙人堂まで行き着いた事を話しました。

ここまで話して、少し緊張して乾いた喉を、頂いたお茶で潤します。じっと聞いていた両親も同じようにお茶を飲みました。大坊さまはみんなの空になった湯呑みにお茶を注いで、またニコニコとお座りになりました。


          五


桃子は、「信じてくれないかも知れないけど…」

と前置きした上で、続きを話し始めました。


樹齢何百年という大きな木の根が御神体であった事、不思議な力で自分たちの真の姿に戻された事。

天柱山の中腹に大きな洞穴があった事。そして。

そこでは鬼たちが、人間と変わらないような日常を送っていた事。子どもの鬼も、女の子の鬼もいて、村長さまと呼ばれる大きな三本角の鬼がみんなを守り、神通力はお日様の様でもあった事。


そこで、おっ母さんそっくりの女の鬼さんがいた事。


その鬼こそが自分を産んでくれて、こんな洞窟ではなく出来れば外で、人間の暮らしをして欲しいと願っていた事。

 

鬼のお母さんも含めて、人の姿になれる鬼たちが、村はずれの集落で普通に暮らしていた事。


ある時そこでオンノコが生まれ、更に年老いた鬼が人の姿でいられなくなってしまった事。そのため後ろ髪を引かれる思いで住み慣れた集落を出て行かなければならなくなった事。

鬼のお母さんは、人間として生まれ村を出て嫁いでいった妹が、人間として幸せに暮らしている事を喜んでいる事。

オンノコだった桃子を、どう生きていくのかを自分で考えさせ、己の寿命を減らしてでも娘の望む生き方を願った事。


語り続けながら桃子は、最後には涙が出てきまました。

(おっ母さんの心には、強い衝撃を与えるかも知れない。おっ父さんはおっ母さんとこれまでの様には暮らせなくなるかも知れない。私は、私は本当は鬼の子なんだから、もうみんなと一緒に居られなくなるかも知れない)

不安と、苦しみと、ごめんなさいと、たくさんの思いから流れ出た涙でした。


話しを聞き終えた二人は、しばらくの間だまっていました。が、不意におっ母さんが

「これで合点がいったわ」

と言いました。

衝撃を受けた様子でもなく、むしろほっとしたような、ちょっぴり切ないような顔でした。

「子どもの頃からあの村では不思議な事がよう起きとったよ。大雨で周りがあちこち崩れても村は無事じゃったり、日照りが続いて困っとる時にゃ村の人がゴニョゴニョ言うたら雨が降り出したり。村のじっさまが『間もなく嵐が来るでの』と言うてあちこちのもん片付けたり準備をすれば、三日経った頃には本当に嵐になったり。遠い所から嵐が近づいとるのが見えとったんじゃね」

おっ母は微笑みながら続けました。

「村に用水を引くときもそうじゃったよ。川まで大層遠いのに、たった一日でそれが出来とった。それとね、姉さんとは随分歳が離れとるはずなのにいつまでも若くて綺麗じゃった。訳を訊ねれば『よう寝て、早う起きて、山菜をしっかり食べること』と言うて聞かせられたわ。なんの事ない、鬼の寿命は長いからなかなか歳を取らなんだね」

桃子も鬼のお母さんの姿を思い浮かべました。

何年生きているのか分かりませんが、見たところは今のおっ母さんとそっくり同じです。

「人の姿をして、ひっそりと暮らして。それでも人を好きになる事もあったんだよ。姉さんとおっ母が生まれて、姉の方は鬼の血を濃ゆく受け継いだけど、おっ母は人の血が濃かったんじゃね。みんな何も語らんと、ほんにおっ母さんは幸せに何も知らずにおったよ」

 きっと、自分の生まれ育った集落は人の子が

 生まれた事をみんなで喜んでくれたに違い

 ねえ。そうしてこの子には何も心配させまい

 と、優しい隠し事をしてくれていたのじゃろ

 う。


 この村に嫁ぐ日に、特に姉さんは涙を流しな

 がら喜んでくれとった。遠い所へ離れても、

 なかなか子宝に恵まれない妹をさぞ気にかけ

 てくれった事じゃろう。


おっ母さんが、思いも寄らない事を打ち明けてくれた事、そして母を驚かす事なく真実を伝えられた事に桃子は心から安心しました。でも、おっ父さんは大丈夫だろうかと心配で様子を伺います。

おっ父は二人の話しを聞き終えて話し始めました。

「桃子や。向こうで暮らせばお前はずっと長く、産んでくれたおっ母さんと、他の鬼たちと仲良く一緒に暮らせたじゃろうて。人間にはとても出来ん事をいとも簡単に、自分の好きなようにする事も出来たじゃろうて。

……それでも、この村を、このおっ父とおっ母を選んでくれて、一緒に暮らして行くことを選んでくれて。

……ありがとう。ほんに、ありがとう。

辛くもあったじゃろうて。よう頑張って、自分で道を選んだのう。お前は、桃子はわしらの自慢の、大事な大事な娘じゃ」

おっ父さんの言葉を聞いて、桃子はわぁわぁと泣き出しました。おっ母も、拭っても拭っても出てくる涙を流しながら桃子を抱き締めました。おっ父は二人を、大切な家族を、自分の両手をせいいっぱいに広げ、力強く抱き締めました。


その様子を、大坊さまはニコニコしながら何度も頷いて眺めておりました。




          六



夕暮れの帰り道、桃子を真ん中に親子三人で手を繋いで帰ります。しっかりと握りあって、何があってもこの手を離さない、そんな気持ちが込められていました。

「まだまだ山に登りたいじゃろ?」

おっ父が桃子にそれとなく声を掛けます。まるで自分の心が分かるのかと、桃子はおっ父さんを見上げました。

「鬼さんがたの所へは、もう行けんかも知れん。じゃが天柱山の向こうの村には、まだ行けておらんじゃろ。おっ父も気になるのう。桃子がもう少し大きくなったら、わしも行ってみたいのう。今度はもう鬼の力は無(の)うて、簡単にはいかんかも知れんが」

桃子は嬉しそうにニッコリしました。

「桃子ね、毎年一回は登ろうと思うんだ。でもまずは、近くの山から。それでね、その山を守ってくれる山の神様に、祠を作ってあげたいの。ここで見守ってるんだよって、みんなに分かるし。雨や雪の日は、お屋根が無いと可哀想だから」

優しい娘の気持ちと言葉に、おっ父もおっ母も嬉しくて微笑みました。







        桃子の物語

   

     ―――第一部・完―――

 

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ももいろ桃子の物語 (上) 北前 憂 @yu-the-eye

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