残り1センチメートルのシュトレン

西野ゆう

「メリークリスマス」はいつ言うのか

「いつからかな」

 どこにでもあるスーパー。どこにでも売ってあるパンたち。その中に紛れ込んで長方形の箱が積まれている。

「なにが」

 僕がその長方形の箱をひとつ手にとって彼女に見せる。

「シュトレン。なんか、いつの間にか当たり前に売られてるけど」

 彼女は「ああ」と言って腕組みをした。

 その仕草に僕はホッとする。出会った頃の変わらない彼女に。

 世間はどうか知らないが、今の会話のタイミングですぐにスマホを手に「シュトレン 日本 いつ」なんて検索する人が僕は苦手だ。

 僕は会話をしているのだ。そこに自分の記憶や知識や感情ではない、誰とも知れない、あるいは人間でさえない何者かが残した言葉を代読されても冷めるだけだ。

「アドベントカレンダーと同じくらいかな」

「ああ、そうかもね。確かに」

 果たしてそれが「いつ」なのか結局わからないのだが、気付いたら身近にあった。そういうことだろう。僕にとっての彼女と同じだ。

「これ、手に持っちゃったし、買っちゃおうか」

 棚に貼られた値札には三千八百円と書いてある。「買っちゃおうか」と言うには丁度いい値段だと僕は思った。

「うん。買っちゃおうよ」

 そう言って彼女は僕の腕に自分の腕を絡ませて身体を密着させた。

 二人三脚で走る時よりも身体を密着させて歩くのにも丁度いい季節だ。特にスーパーの中は寒い。こうしていてもあまり周囲の目も気にならない。

 彼女は笑みを浮かべて僕が持つ買い物かごの中身を眺め「甘いものばっかりだ」と僕のお腹をつついた。そもそも突然寒くなった今日は、彼女の「本物のおしるこが食べたい」というリクエストに応えるために買い物に来ているのだ。

「ん、お腹出てるかな」

「ううん、丁度いい」

 そう言ってまた笑う。何にとって丁度いいのだろうか。

「そういえばさ、『メリークリスマス』っていつ言うのが本当なのかな」

 また彼女は考えるが、考える時に腕組みをする癖は僕の腕によって封印されている。その代わりなのだろうか、僕の腕に絡んでいた彼女の腕が緩んで、僕の手からシュトレンを奪って買い物カゴに入れると、彼女は僕の手を握った。彼女の温かい手で、僕の手が冷え切っていたことに気付く。

「私の感覚だと『メリークリスマス』って別れの挨拶に近い気がするんだよなあ」

「そうなんだ。意外だなあ」

「日本でいうところの『良いお年を』って言葉に近いっていうか」

 僕は頭の中で「良いお年を」と「メリークリスマス」という言葉の前に「じゃあ、」と付けてから言う彼女を想像して納得した。

「うん、言われてみると確かにそうだね。そうなると『メリークリスマス』って言いにくいなあ」

「そうだねえ」

 彼女はそう言いながら何かをねだるような目でぼくを見上げる。僕はその催促に無条件で応えてしまう。

「じゃあさ、このシュトレン」

「ん」

「最後の一切れ食べる時に『ハッピークリスマス』って言おうか」

 彼女の手に温められた僕の手が急激に温度を上げて汗をかいてしまいそうで、僕は彼女の手から抜け出させた手で頭を掻いた。そんな僕を見て彼女は破顔した。

「ずっと、かな」

「ずっと、っていうと」

「毎年、そうするのかな」

「そうだね。毎年、言いたいね」

「うん。私も毎年聞きたい」

 彼女は僕の上がったままの腕を下に引っ張ってまた腕を絡ませた。最初の時よりもきつく。

「サンタクロースだね。毎年イブに『ハッピークリスマス』ってプレゼントくれるだなんて」

「それは君も、だよ」

 残り1センチメートルのシュトレンを前にして、僕は上手く「ハッピークリスマス」と言えるだろうか。そもそも丁度よくシュトレンが消費されてゆくのだろうか。

 たとえ足りなかったとしても、余ったとしても、きっと彼女は笑うのだろう。

 そう確信しながらレジに並ぶと、会計後に年配の女性店員が僕達に「メリークリスマス」と言った。

「メリークリスマス」

 僕と彼女も声を揃えて返す。寒い冬に、せめて心が温まる日々が続くことを願って。

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残り1センチメートルのシュトレン 西野ゆう @ukizm

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