第36話 そんなの当てられるわけない

 俺はペンも持たずに考え込んでいた。【綿貫先輩のあだ名】か……いやダメだ、記憶を辿たどっても聞いた覚えがない。


 紫音さんはすでに解答を書きだしてる。その様子に迷いはなかった。これも、先輩の周辺では常識だったりするのか……?


「わたしずっと、璃乃ちゃんの事あだ名で呼んでみたかったの〜」

「あーね、わかるっ。あたしもクイズの答え気になるなー、参考にしたぁい」


 常識でもないらしい。先輩の女友達ふたりは、初対面らしいのにこの話題で盛り上がっていた。

 出題者側の空気は、まぁ、のほほんとしてる。放課後のちょっとした余興ではあるからな、このバトル。


 しかし話題の先輩を見れば、悔しさの滲む顔で『飴♡ 勝って♡』のうちわを振っていた。ひとりだけ俺の引退試合(劣勢)を観にきたファンくらいの熱量ですね。まだそこまで追い詰められてないですよ俺。


「…………すまない……私の責任だ……」


 あ、違う。たぶんアレ、自分に腹が立ってる。ビーズクッションを強く握って苛立たしげに呟いてた。


『あだ名』という初歩的な情報を教えられなかったのが悔しいんだろうけど……その程度のことで、自分を責めなくてもいいですよ。

 俺たちは俺たちなりに、準備をしてきたじゃないですか。

 そんな励ましを言葉にする代わりに、当ててみせたい。

 その必要のない苦しみが、喜びに染まる瞬間を見たかった。


 俺は、自らの頭脳をかつてないほどフル活用させて、綿貫先輩のあだ名を逆算して考える。

 この、魅力だらけの先輩にはどんな呼び方が似合うのか、探っていく。

 たった数秒の間に、いくつもの候補が浮かんでは消えて——やっと見つけた。

 思考の水面みなもから、一際ひときわ輝いているアイデアをすくいだす。これだ。綿貫先輩を呼ぶなら、これしかない。俺は直感に従ってペンを走らせた。


「おっ、透也も書けたかなー? それでは二問目も解答をオープンだぁ!」


 指示に従って、俺は紙を周囲に見せつけた。


「【りのにゃん】——これが俺の答えです」

「わ〜、ギャップあって可愛いかも〜。実際に呼ぶのは難しいけど〜」

「だねぇ、これは当たりの確率が高いんじゃないっ!? あたしも普段づかいはムリだけど、いいとおもう!」

「………」


 超がんばって考えたあだ名が、女性陣にふんわり使用を拒否されてた。輝いてたアイデア、一瞬でくすんで見えるなぁ。ふんわり死にたいぞ。


「あたしが提出するのは、過去の習い事先でも人気だったお姉が呼ばれてた、あだ名ぐん……【わたぬー】【たぬきちゃん】【たぬぽん】【りのっち】【りのりん】【りのっぴ】で」

「俺のことオーバーキルしにきた?」


 量がすごい。その達筆な箇条書きは、あてずっぽうじゃないんだろう。文字からして自信と勢いがあった。


「んーっと…⋯飴本くんの【りのにゃん】だけは経験ない、かな。二問目は紫音にだけ1ポイントだ」

「っしゃ」


 紫音さんが小さくガッツポーズして勝利を噛み締めてた。このクイズが加点方式だった場合、ここで6ポイント取られて完全敗北してたな……危ない。


 でもまぁ、知らないわりに惜しい線は行ってたんじゃない? ナイストライだ。このまま直感と思考を信じてみよう。

 失敗を引きずらないようにしながら、三問目に向けて、集中を深めていく――


「飴本くんが【りのにゃん】って事前に呼んでくれてたら、正解だったのにね」

「へ?」


 穏やかな声に失敗を掘り起こされて、集中が途切れた。


「ふふ、そう呼びたいなら自由にしてよ。1ポイント損しちゃったじゃないか。遠慮しがちなところも、キミの悪癖あくへきだね」

 

 解答をミスしたのになぜかご機嫌な先輩は、正座をぺたんと崩しながら言ってた。


「いえあの、事前に呼ぶのは無理ですって。知らなかったから即興で考えたんですよ今の」

「そっか。なら、出来立てほやほやだったんだ。……せっかくだし、記念に呼ばれてみたいな。試してみて飴本くん」


 女性陣がふんわり使用拒否したあだ名を、みんなの前で? それはちょっとハードル高いぞ。


「えーと、いいですけど。そのうちですね、そのうち」

「今がいい」

「えぇ……? ⋯⋯り、りのにゃん先輩」

「うん。後ろに余計なものが付いてるけど、よくできました。素敵なあだ名がまたひとつ増えたよ。ありがと、飴本くん」


 折れて呼んだら、いつものふにゃっとした笑顔を見せてくれた。

 少しずつではあるけど、綿貫先輩の緊張が無くなりつつある。その一助になれたなら、勇気を出してよかったな。


「あたしが二問目、勝ったのに……なんなの……釈然としないから……」

 

 けど、その笑みを見てほしい妹さんは、ペンのお尻をかちかち弄るだけだった。俺たちのやりとりを耳だけで聞いてぼやいてる。

 

 うーん、もっと紫音さんの注目を惹かないとダメか。

 だとすれば三問目が勝負どころだ。ここでまたリードして、俺を意識させたい。そのうえで先輩と会話をして、今みたいな姿を見てもらおう。


 俺は今度こそ、意識をクイズに集中させていく——


 ◆


「——ってなわけでぇ、またも紫音さんだけが1ポイントげっとぉ! これは透也選手、ピンチだー!」


 三問目も知らない問題だったので、しっかり間違えた。深めに集中しても意味とかなかった。クイズって事前に知ってるかどうかの運ゲーでは?


「やー、主将の幼い頃の夢が【天下統一】だったのは予想外でしたねっ」


 こんなの逆算で当てるの不可能でしょ。俺が出した【パティシエさん】が可愛く見える壮大さだった。


「……綿貫先輩って、いつの生まれの人でしたっけ。1500年代とか?」

「こ、子どもの考えることだからね。言われるまでは私も忘れてたよ!」


 わたわた焦ってる綿貫先輩だった。

 リードされた不安から、俺の声に非難の色が混じったかもしれない。それを見抜いた紫音さんは、鼻で俺を笑った。


「ふっ。お姉が日本文化に触れてく過程で、戦国武将にハマってたのも知らないなんて。にわか?」

「くっ⋯⋯古参が新参を締めだす界隈に未来はないよ、紫音さん……!」

「それでいい。あたし、同担は求めない派だから」


 やはり昔から綿貫先輩と暮らしてるアドバンテージは凄まじい。気づけばスコアは1−2だ。

 引き分けで判定勝負に持ち込むにしても、一問は紫音さんのミスを願う必要があった。


「飴本くん……」


 先輩のうちわの文字も『負けないで♡』に変わってる。祈りを捧げるような形で持ち手が握られていた。

 さっきは柔らかい笑顔だったのに、今では不安げだ。あぁ、せっかく緊張がゆるんできてたのに……


 次に繋ぐためにも、ここだけはポイント取りたい。先輩にも安心してほしい。問題運がよければ正解はできるはずなんだ。


「それじゃ、次行くよぉ〜」


 貯めたログボの石で、10連を引く前みたいな心境だった。もう芽衣がクイズを読む前の動き、ガチャ演出にしか見えないもん。


 来い、俺にとってSSRな簡単さのクイズ来てくれ、頼む……!


「んぉー、これはあたしも興味あるなー。さてっ、問題です! 『綿貫璃乃さんの最近のマイブームはなんでしょう?』」

「――勝った」


 さらなるリードを確信した紫音さんが、紙に迷いなくペンを走らせる。すぐに書き終えて、まだ解答途中の俺を焦らせるように憐れむ。


「これは運が味方した……飴本透也が知らなくても、非難しない。同じ家に住んでないと、知るのも厳しい問題だから」

「⋯⋯へぇ? 俺の考えてる答えとは違うみたいだな」

「そうみたい。まぁ、書くのに時間を掛けてる時点で、すでにまちがってそうだけど……」


 そんなプレッシャーを掛けられても効かない。俺は落ち着きを取り戻していた。


「主将と話の種を作りたくてっ」という、待ち時間を埋める漆原たちの雑談が鮮明に聞こえる。

 長々とした解答を書き終えて、俺はペンを置いた。

 ありがとうガチャ運、これはSSRだ。


「さぁ、ここで勝負が決まっちゃうかもしれない、運命うんめーの瞬間だぁっ! 解答をオープン!」

「……【ヨガ】、これが答え」


 たった二文字の言葉は、かなり正解らしい響きを伴って聞こえた。


「お姉の洗濯物に、新しくヨガウェアが追加されていたのが証拠。最近トレーニングに取り入れたに決まってる。そしてお姉は、ひとに努力を見せびらかすタイプじゃない、話題にはなりにくいはず……よってあなたは知る機会が薄い」


 確かに、同じ家に住む利点を活かした解答理由だった。

 勝ちを確信して、目をつぶって語るのも分かるよ。

 でも、たぶん違う。先輩のマイブームはヨガじゃない。


 これは、知るのも厳しい問題だった。


「⋯⋯? なんか反応、薄い……?」


 ドヤ顔で語ってた紫音さんが、ようやく目を開ける。

 それから、女性陣がニマニマ注目してた俺の解答を、怪訝そうに読み上げた。


「⋯⋯は? 【俺の部屋のビーズクッションに抱きつくこと】?」

「ぅう、飴本くん……書いちゃうんだ、それ……」

「ええ、すみません。でも、直近でこう言ってたのは覚えてましたから」

「そうだね、伝えてた……なら、これは私の責任でもあるね」

「で、どう証明しましょうか。紫音さんには疑われてるみたいですけど」

「ぇー、実践するしかないって分かってて言ってるよね。漆原の前でやらせる気⋯⋯?」

「できることなら」

「もぅ、鬼だなぁ。うん。でも、そうだね……飴本くんが正解〜……」


 綿貫先輩は諦めたかのように、座ってたクッションへ、ぎゅっと抱きついた。

 その場で本人により示された解答理由。とっくに見慣れたいつもの姿だ。


「………………マジ、で?」


 初見の紫音さんは、信じられないものを見る目で立ち尽くしていた。


 

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