第3話 深夜のレアイベント③

 玄関を開けて、すぐのところに鬼がいた。


「とーうーやぁ?」


 芽衣の鬼の仮面(すっぴん隠しのジョークグッズだ)からの問うような低音ボイス。


「ひぅっ……!」


 牙の生えたお面に、先輩はかわいい悲鳴を出して固まった。

 そして反射的だろう、俺の腕にひしっとすがりついてくる。


「なーんでお使いを頼んだら、人気者の綿貫さん連れこむことになるわけぇ? ガッコーの子にバレたら、えらい騒ぎになっちゃうよっ?」

「つい数分前に情報共有したろ。直感的に、ここで休んだほうがいいって思ったからだよ。うちには理解ある姉もいるしな」

「や、頭ではわかるけどぉ。心が追いつかないっていうかぁ……相変わらず決断力やばいっていうかぁ……まず、そのエグい量のエナドリはなんなん?」

「……俺が頑張るときに飲む用だけど」

「えーっ、また倒れちゃったらどうするのさ! 中学の時みたく寝坊ばっかりになっちゃってもヤだよ!?」

「大丈夫だって。自分のことは一番分かってるつもり。もう芽衣に心配は掛けないよ」


 しかし真面目系ギャルであるところの姉は「重いでしょ、片方ちょーだい」と呆れたように手を貸してくれた。ありがたい、これ以上持ってたら右肩が外れるところだった。


 心苦しい嘘を付くことにはなったけど、綿貫先輩の購入物だとはバレずに済んだかな。


 これでよかったんですよね、と秘密の共有者の方を見れば、顔面蒼白のままへたりとしゃがみ込んだままだった。


「あ、飴本くん……どうして芽衣さんは鬼の仮面をしてるの……まさかの登場に、ほんの少しだけ驚いてしまったよ……」

「あっ、ですよね。芽衣、その仮面外して事情を説明してくれ。先輩が怯えてる」

「むりむりやだ。透也以外にすっぴん見られるぐらいなら鬼のまま生きてく」


 そんな理由で人間やめんな。こないだ◯滅の刃でボロ泣きしてたのはなんだったんだ。

 化粧してなくても可愛い顔立ちをしてると思うけどなぁ。それは身内贔屓じゃないはずだ。『思春期女子の自己評価はむずいぞ少年』ってメロリルさんも言ってたっけ。


 それよりも今は来客の対応だ。


「すみません、鬼は怖かったですよね……芽衣、もっと可愛いお面に変えてきて。これ以上、綿貫先輩に恐怖を与えないようにして」

「あいあーい。魔法少女のがクローゼットにあるはず! 探して付け替えとくねー」


 もっと気遣いをしなければいけない立場なのに、いらぬ心労を与えてしまった。反省だ。気を引き締めなければ。


「ストップ飴本くん。私べつに恐怖してない。少し驚いただけだからね。ほんとのほんとに怯えてなくて……う゛っ……」


 吐き気だろうか、口元を抑えている。エチケット袋も用意しないと。


「無理しないでください。それよりまずは休息を取りましょう。リビングのソファがふかふかなのでそこを使ってください。この廊下の突きあたりです、立てますか?」

「……ビビってないのに……こんなか弱い子扱いされるの、生まれて初めてだよ……」


 いったんエナドリは玄関に置き、動けない綿貫先輩にまず肩を貸す。


 その際に当たった、女性特有のふにょんとした感触も考えないよう努めた。緊急事態によくないからな。


 ◆


 テレビの消えた深夜のリビングは静かだった。

 ミニマリストな父の影響で、うちに置き時計のたぐいはない。だから今は、俺と、綿貫先輩の呼吸音しか聞こえない。


 先程まで芽衣が占有してたソファに、今は綿貫先輩が横たわっている。楽な姿勢で、安静にしてる。


 足元は、俺の部屋のクッションによって少し高くなっていた。そこから続く健康的な脚と、外出に適してないショートパンツは、なるべく視界に入れないようにしつつ……


 水の注がれたコップを、こぼさないよう慎重に手渡す。


「どうですか、20分ぐらいは経過しましたが。気分は良くなりました?」


 先輩は水をひと口飲んでから、柔らかく微笑んだ。


「うん、おかげさまでね。もう気分の悪さもなくなったよ」

「それはよかったです。で、帰りについてなんですが、俺が送り届けるので――」

「それよりもキミ、なんで手錠してるの?」


 きょとん顔の先輩は、俺の手首にはめられたプラ製の手錠を指さした。芽衣のジョークグッズ箱から借りてきた、腕の自由を奪う拘束具。


「ええと……俺の動きが制限されてる状態のほうが、不安を与えにくいかなぁと思ったので。とりあえず付けときました」

「やっぱりそうだった……くふっ、ふふふ、あははははっ!」


 えっ、ウケ狙いじゃないのにとてもウケた。ソファー上で先輩が楽しげに、お腹を抱えて「く」の字になっている。


「むしろキミ、見た目が余計あやしくなってるからね? ふふふっ、鏡見たほうがいいよっ」

「……たしかにそうだ」


 不審な男子だと思われないよう気遣いすぎて、いつの間にか不審者そのものな見た目になってた。落語かよ。

 うわ、急に恥ずかしくなってきた。芽衣、魔法少女のお面探してる場合じゃない。姉として弟のやりすぎを事前に止めてくれ……


「ふふ、ごめんね笑っちゃって。でもさ、この状況で今さら――飴本くんを不審に思ったりしないよ。不安なんて、とっくに感じてないってば」


 未だ収まらない笑みをこらえつつ、口元を隠したまま綿貫先輩が起き上がる。少しほつれた黒髪が、妙に色っぽかった。


「まったく、百聞は一見になんとやらだね。前情報よりもずっと魅力的な後輩だよ、飴本透也くん」

「あっ、そうソレ」


 介抱中も聞きたかった疑問。


「どうして俺なんかの名前と顔が一致するんですか? 苗字が珍しい以外、俺に特徴はないのに」

「ううん、あるでしょ? うちの弓道部の後輩が、いちど話題に出してたから。FPSの上手いクラスメイトがいるって」

「……それだけの理由で、俺を?」

「うんうん。もしかしたら話すこともあるかもしれないからね。記憶しておいたんだ」

「えー……」


 手錠をはめたまま俺は引いた。引いていい側の格好じゃないと思うけど、引いた。


 本来、『部活の後輩の知りあいの、ゲーム上手い男子』なんて覚えておく理由は少ない。


 それを「話す機会があるかもしれない」というだけで、顔まで一致させて覚えてるとは……よほど記憶力がいいんだろうか。


 引きつつも感心していると、ぐっと伸びをして綿貫先輩が立ち上がる。


「飴本くん、今日はありがとう、おかげで無事に帰れそうだよ。長居してご両親を起こしても申し訳ないから、そろそろお暇しようかな」


 うちの父は単身赴任中で、母は看護の宿直中だから、親は気にしなくてもいいんだけど、説明してまで引き止める理由もない。


「送っていきます。手錠の鍵を外してから、にはなりますけど」

「いいよいいよ。私の家、ここから走ればすぐだから。脚の速さには自信があるんだ」


 その寒そうなショーパンは行きで走る為のものだったのかと、遅ればせながら気がついた。芽衣が楽だから履いてるのとは違うよなそりゃ。


「え、あの、本当に大丈夫ですか? 万全になったとはいえ危険なのでは……」

「合気道の心得もあるし、悪漢に出くわしても逃げられるよ。これでも私、けっこう強いんだぞ?」


 自信たっぷりなドヤ顔を見せられた。とはいえ俺の中では『不憫で弱々しげな先輩』という印象が強まってしまってるけど……本人の言う通り、平常時なら強いひとなんだろうな。今日の状態が珍しいんだろう。


「これ以上、キミたち姉弟に迷惑かけるわけにはいかない。体調もよくなったしね。心配して貰わずとも、一人で帰れるよ」

「そういうことなら……分かりました。エナドリについてはどうしましょうか」

「後日また取りに来る。必要なんだ。お恥ずかしい話、夜更かししないと手一杯でね」


 人気者には人気者の苦労がある、そういうことだろうか。

 俺ぐらい広く浅い交友関係でも、付き合いで寝不足になりがちだし、綿貫先輩なんてもっと大変そうだ。


 大きいシルエットのアウターを羽織り直し、リビングのドアに手をかける先輩。

 何度見ても出来のいい笑顔を見せて、半歩踏み出してこう言った。

 

「お邪魔しました。芽衣さんにもよろしく伝えておいて――それと、キミへのはまたいずれ。近いうちにさせてもらうね?」

「え」


 お礼って具体的にはなんなんですか?

 そう聞く前にリビングの戸は閉じられてしまった。き、気になる……気になって夜も眠れなくなりそう。これにてカフェイン要らずだな……


「じゃぁーん、魔法少女メイが来たよぉ! ほこり被ってて探すの苦労しちゃった。綿貫さんの体調不良を成敗しちゃうぜ☆」

「ちょうど今帰ったよ」

「もう成敗されてるんかーい! ……あんま話したことない子だから気合い入れてきたのに。もうやだ。アイス食べて寝ゅ」

「俺も……緊張した……」


 うっかり期待してしまう『お礼』というワードと、爽やかな匂いを残して、「弱った綿貫先輩の来訪」というレアイベントは終わりを迎えるのだった。

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