第6話 仮契約のご案内
内緒話をするのにうってつけの場所がある――
そういって綿貫先輩が案内したのは、校舎から少し離れた場所にある、木陰のベンチだった。
だれもいない。独占状態だ。
よいしょ、と腰掛けて頭上を見れば、木の葉はすでに色づきはじめてる。その向こうは薄い青空。否が応でも秋を感じた。
「ここから少し歩けば、弓道場があるんだ。見えるかな、あのタイムスリップしてきた
「あ、ほんとだ。知りませんでした……俺、部活動の見学は行かなかったもので」
「おっと、私たち弓道部はいつでも入部を歓迎してるよ? まずは体験から、どうかな」
通ってた中学にも弓道部はあった。
入部した当時の級友いわく「優雅なイメージで入ったら、ちゃんとキツい運動部だった」とのこと。つまり俺には無理。
「いえ、遠慮しときます。モヤシすぎて、俺が弓の
「ふふ、なにそれ」
くすくす笑われた。久しぶりにジョークでウケたな……クラスでは相槌を打つことの方が多いから、懐かしい感覚だ。
「そっかぁ、残念だな。でも飴本くんが部員になったら、私も厳しく指導しなきゃいけないだろうし……このままの関係がいいかな」
秋晴れの空を見上げて、ぼんやりと先輩はこぼした。
――この短期間の接触でも、分かってきたことがある。
綿貫先輩って、大勢の生徒がいる前だと気を張っているんじゃないか? それこそ弓の弦が張るかのように。
そんな推理が、先輩の悩みに関係あるかどうかはわからない、けど。
「改めて、先輩がエナドリを必要とする理由を教えてください。『お礼』はそれでお願いします」
「よりにもよって、その話題か……他じゃダメ? キミが望むのなら予算5000円までなら使えるよ。お高いクッキー缶とか要らない?」
「甘いモノそんなに食べないので」
「そっか。でもたまに食べてみると美味しいよ。挑戦してみたいなら、私が食べるのを手助けする――そういった助け合いの一手も打てるけど、どうかな?」
「いえ、俺からの要望はひとつです。綿貫先輩の事情を聞かせてください」
「そうか……」
先輩は手に持ってた塩パンを、どこか寂しそうに千切って食べていた。あ、あからさまにしょんぼりされてる。
くっ……謎の罪悪感で胸が締め付けられそうだ。甘いクッキー缶にしておけばよかったのか……?
いやいや、取り乱すな、深呼吸だ俺。自らの直感を信じろ。
この先輩の抱えてるだろう問題は、おそらく俺の得意分野だから。
「さっき漆原は、俺の口の硬さを見込んで、相談に来ました。昨日のエナドリの件は、芽衣にすら隠し通してみせました。それでも信用に値しないなら聞くのは諦めます。クッキーにしましょう」
「いや……恩人に隠すことでもないんだ。飴本くんなら信じられる。話すよ。……まったく、私が弱みを見せる後輩なんてキミぐらいだよ?」
座ったまま
こんな顔も出来る人なんだ。それを知れただけで『お礼』にしてもいいけど、黙っておこう。今から話してくれるわけだしな。
待ち望む俺の顔を見て、先輩は困ったように眉を寄せた。
「期待しすぎだよ。大した内容じゃないんだ……私、勉強が苦手でね」
「えっ。そうなんですか?」
「うん。エナドリで夜更かしして日々追いこまなきゃ、赤点を取ってしまう科目もある」
たしかに、涼しい顔して満点近くを取ってそうな印象はあった。それだけ外見から受ける印象が強いということでもある。
「周りからは、文武両道だと持て囃されてるけど、単に実態を知られてないだけ……深夜まで勉強して、どうにか食いついてるだけなんだ。目の下にはクマもあるよ。コンシーラーで隠してるだけで、とても見せられない」
自嘲めいた笑みを浮かべつつ、涙袋のある部分をちょんちょんと指先で触ってる。その自然なメイクのしたの青はどれだけ深いのか、表層からは見えない。
「もっと要領よく色々できたらよかったのにね……最近は全てにおいて効率が落ちてきてる。部活も、新しく主将になってからは空回りばかり。射にも集中しきれてない――正直、どうすればいいか自分でも分からない」
「先輩……」
俺も似たような状況を経験したことがある。
FPSのプロを目指し、スランプに陥って、脱しようとやみくもに足掻いて、藻掻いて、上手くいかなくて……最後には倒れた。
綿貫先輩も、このままだと倒れてしまうんじゃないか? 中学時代の俺のように、再起不能になってしまうかもしれない。
ただの自己投影かもしれないけど、どうも他人事には思えなかった。
「つまらない話だったでしょ? こんなのに『お礼』を使っちゃうなんて、キミは存外、取引が下手なようだね」
「いえ、
「……え?」
「俺ならきっと、先輩の抱えてる問題を解決できる――手伝わせてください。仮契約しましょう。報酬は後払いでいいので」
◆
綿貫先輩の状況は大体わかった。
しかし昼休みに話を聞いたくらいじゃ、具体的な解決策は思いつかなかった。
どこまで行っても俺はモブな高校生で……
情報は現場で拾おう。
「――だからって、キミまで共に朝のランニングをする必要はないよ?」
「いえ、併走します。先輩のスケジュールどおりに今日は動くので、迷惑を掛けるかもしれませんがよろしくどうぞ」
柔軟しながら俺は言う。覚悟は決めた。家を出る前に芽衣が「倒れないでねぇ! 生きて帰ってきてねぇ!」と涙ながらに送り出してくれた。
現在時刻は朝5時半。場所は河川激のランニングロード。俺たちは高校ジャージ姿で集結している。ぶっちゃけ眠い。なんて時間から活動してるんですかアナタ……
「その、本当にいいの? キミの欲しがってる『普段のスケジュール』については、あとでまとめたものをPDFで送るよ?」
心配そうな声だ。
きのう、俺からの提案をあっさり受け入れた先輩だったけど、同じだけの負荷を掛けるのは心配らしい。昼休みが終わるまでのあいだ、何度も説得されたほどには。
でも、ここで気張るのには意味がある。説明しておこう。
「お願いです、走らせてください。アドバイザーとしての説得力が欲しいんです」
「説得力?」
「ええ。綿貫先輩だって、なんの苦労もしてない俺からの言葉では、生活を変えようとは思わないでしょう?」
「それは……うーん、どうかなぁ……まあ、しっかり考えがあるなら、もう何も言わない方がいいね。わかったよ、今日は一緒に走ろう」
俺の覚悟が伝わったのか、綿貫先輩は腕組みをして頷く。豊かな胸が強調されたけど気にならない。それよりも走ることへのモチベが高かった。
「よし、指示通り柔軟も終わりました。さっそく行きましょう。いつもはどれぐらい走るんですか?」
「うん。日にもよるけど、だいたい片道5kmくらいかな」
「つまり、往復10kmですね」
走ることへのモチベが急激に落ちていくのを感じた。えぇ……フルマラソンの四分の一くらい……?
「なるべく飴本くんに合わせてペースを落とすよ。私のためにしてくれてることだし、協力する! 休憩を挟んで走りきろう。行くよ!」
運動部の主将らしい声量と勇ましさで、綿貫先輩は駆けだした。
わぁ、はやいなあ。現実逃避で幼児退行しそう。あれでペース落としてるってまじですか?
……ごめん芽衣。俺、今日生きて帰れないかも。
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