0-5.遠く離れようとも

 ――わたしの嫁ぎ先が決まったんだ。


 その言葉を聞いたとき、あまりの衝撃にシルフィースは心臓が止まったかと思った。

 

「え……レイさまがご婚約されるのですか?」


 シルフィースとグランツ王太子は六歳で婚約した。

 十二歳のレイヴィスに縁談話があるのは自然なことだ。

 むしろ、王族としては遅い方になるだろう。


「あと数日もすればみなが知ることになる。その前に、わたしの口からシルに伝えることができてよかったと思う」

「レイさま……」

「シルはまだ幼いが、わたしはそうではない。伴侶となる方とそのご家族に、ご迷惑をおかけすることはできないんだ」


 レイヴィスは声を震わせながらも淡々と、他人事のように語ろうとしている。

 彼の言葉は間違っていない。

 正しいことを言っている。

 だが、どうしてもシルフィースはそれを受け入れることができなかった。


 このままだと、誰だかわからないレイヴィスの伴侶に、シルフィースの大切な時間と場所が奪われてしまう。

 その恐怖にシルフィースは身震いする。


「レイさまにお会いできなくなったら、ぼくはどうしたらいいんですか?」

「大丈夫。シルは強くて賢い子だから、辛いことや悲しいことがあっても、乗り越えられる」

「無理です。ぼくなんて……王太子妃には……なれません! 毎日、毎日、難しいことばかり。無理です!」

「そんなことはないよ」


 レイヴィスはシルフィースを己の膝から降ろし、その場に立たせる。


 自然な流れでレイヴィスはシルフィースの前で片膝をつき、涙を流す美しい少年を真正面から見上げた。

 世界で一番美しい金色の瞳が、泣いているシルフィースをとらえる。


「シルフィース様、貴方は近い将来、世界で最も素晴らしいお妃になられます。ぜひともわたくしにそのお姿をお見せください」

「レイさま……」


 恭しい仕草でレイヴィスはシルフィースの手をとる。

 それは恋人でも兄でもなく、臣下が行う忠誠の礼だ。


 レイヴィスが誰の元に嫁ぐのかは知りたくない。

 数日後にはわかることだろうが、彼の口からはその名を聞きたくなかった。


 七歳の子どもの世界は狭い。

 貴族名鑑も覚え始めたばかりだ。

 名前を聞いても、それが誰だか、どこに住んでいるのかわからないだろう。

 だとしても、今ここでレイヴィスの伴侶の名を知れば、もっともっと取り乱してしまう。


 今でさえこんなに泣いて、レイヴィスを困らせているのに、これ以上、恥ずかしい姿は見られたくない。


「悲観されることはございません。なにも今生の別れではないのですから。わたくしは降嫁し、この王国の民として、ひとりの臣下として、シルフィース様と同じ空の下で生きていきます。伴侶となるお方とともに、必ずシルフィース様に誠心誠意お仕えいたします」

「レイさま……」


 シルフィースが欲しいものはそのような言葉ではない。

 イヤイヤと激しく首を振るが、レイヴィスの決意は揺るがなかった。


[しるふぃーす! なかないでぇっ!]

[アルジサマ! しるふぃーすがないてるよ]

[アルジサマのタイセツなしるふぃーすが、かなしんでいるよ!]


 泣いているシルフィースを心配して、おとなしかった小精霊が頭上を旋回しはじめた。

 金粉がキラキラと落ちてくる。

 うるさく騒ぐ小精霊たちは無視し、レイヴィスは発言をつづけた。


「ご安心ください。たとえ……たとえ、この先、遠く離れようとも、言葉を届けることができなくとも、わたくしの魂は精霊たちと共に、常にシルフィース様のお側にありつづけます。お約束します」

「レイヴィス……さま」

「シルフィース様が今もこの先もかわらず、よき妃となるべく努力なさる限り、わたくしの忠誠と魂は、シルフィース様だけのものでございます」


 騎士のような誓いの言葉に、シルフィースの幼い魂が震える。

 それは永遠の決別を宣告し、お互いの生き方を縛る呪いの言葉でもあった。


 レイヴィスはあくまでもシルフィースに未来の王太子妃、王妃として生きることを望んでいる。

 ふたりが手を取り、交わることなど全く考えていないようだった。

 ここまで言われたら反論できない。


「お元気で」

「レイヴィスさまも」


 それが最後の言葉となった。


 レイヴィスが歌をうたう。


 その歌に引き寄せられるかのように、強い輝きを放つ精霊が姿を現した。

 名前のない小精霊ではなく、レイヴィスが使役する名のある中精霊だ。


 それは垂れ耳兎にリスの尻尾をつけたような姿をしている。

 額に幾何学的な模様があるのが、そこらを漂う小精霊と違うところだ。

 躰の色はレイヴィスの瞳の色と同じ金色。とても綺麗な色の毛並みだ。


「イッチィ。シルフィース様を送り届けてくれ」

[了解。了解。うけたまわり! 主様のご命令! ここはイッチィにお任せあれ――!]


 陽気な返事と同時に、世界が真っ白な輝きに包まれる。

 その眩しさにシルフィースは思わず目を閉じた。


「レイさま!」


 手を伸ばすと、指先が触れる。

 さらにそれを掴もうと手を広げたが、次の瞬間には、王城の一室にシルフィースは戻っていた。


 部屋にいた護衛と講師は、自分がさっきまで眠っていたことも、シルフィースが抜けだしていたことにも気づいてない。


 シルフィースだけが知っていることだ。


 なにごともなくマナーの授業が続けられる。

 レイヴィスの別れに呆然としながらも、本日分の学びを終え、シルフィースは屋敷へと戻っていった。





 夕食の時間――。

 息子たちの前では穏やかな表情を崩さないラメリア公爵は、珍しく始終不機嫌そうな顔をしていた。


 食欲もあまりないらしく、並べられた食事にはほとんど手をつけず、いつもは嗜む程度の酒を勢いよく飲んでいる。


 この程度の量では酔わないだろうが、さすがに飲み方が美しくなかったので、執事長がやんわりと注意をした。

 

 シルフィースもシルフィースで、昼間のレイヴィスとの件を引きずっており、食事が喉をとおらない。、半分ほど残してしまった。

 ぼんやりしていたら勝手に涙がでそうになる。


 兄のセラシースはいつもと違う父と弟の様子に気づき、心配するあまり彼もまた食事を残してしまった。


 執事長が別の品を用意させようかと提案したが、ラメリア公爵はそれを断り、料理長の用意した食事に問題があったわけではない、と付け加えて席を立った。

 兄弟にも別の品がすすめられたが、ふたりとも不要だと答え、夕食の時間はいつもよりも早く終わってしまった。


 食堂は重苦しい空気に沈む。

 ラメリア公爵は息子たちに話があるから談話室にくるようにと告げると、足早に食堂を退出した。


 そんな気分ではなかったのだが、父の命令は絶対だ。

 シルフィースは兄と共に談話室へと向かう。


 父は一人掛けのソファーに座り、ワインを飲んでいた。

 グラスが空になると自分で注ぐ。

 真新しいボトルの中味が恐ろしい勢いで減っていく。


 兄弟が向かいの長椅子に座ると、執事長がふたりに食後のお茶を用意し、壁際に控えた。


 ラメリア公爵はしかめっ面でグラスの中に残っていたワインを飲み干すと、グラスを卓上に戻す。


「セラシース」

「はい。父上?」

「おまえの伴侶が決まった」

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婚約破棄された令息は幽霊王子に恋をする〜世話好きもふもふ精霊たちの声援は奇跡を起こす? のりのりの @morikurenorikure

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