ジューガー・リャンは何をしたかったのか

四谷軒

ある秋の日の昼下がりに

 1


 ジューガー・リャンは何をしたかったのか。

 彼は天才とうたわれていた。

 誰もが彼を褒めそやしていた。

 では、彼は、何をしたかったのか。

 志半ばでたおれたとされる彼は、いったいそこまでして、何をしたかったのか。

 それを知りたくて、私はジューガー・リャンの主であった人との面会を申し入れ、快く了承された。

「ええと、君がジューガー・リャンについて知りたい人? まあ、座って、座って」

 ある秋の日の昼下がりに、私は、その人――ジューガー・リャンの主であった人に会いに行った。

 その人は、実に気さくに私の訪問を受け入れてくれた。昔はけっこうな人数を使う立場だったが、今ではそんなに人を使うことなく、みずから応接間へと案内してくれた。

「最近は訪れる人もいなくてね……まあ、こういう立場の人間なら、さもありなんというところだろう」

 彼はすでに六十歳を越えていたが、非常に健康そうな躰をしており、茶を淹れる仕草は鷹揚だ。

「……茶は父が好きだったものだ。父の母も好きだったという」

 これだけが自分に残された贅沢だと言った。

 その残された贅沢を、こういう益体もない訪問に消費させて申し訳ないと思った。

 すると、こういう機会だからこそ喫せるのだ、気にしないでくれと笑った。

「君は実に礼儀正しい。それは君の目指すもののためかね? おっとこれは藪蛇だった」

 私はただ緊張して黙っていることしかできなかった。

 私のような若造を、からかい半分に話すことなど、滅多にない機会のようで、かなり楽しそうだった。

 こうなると私としては、当初の目的──ジューガー・リャンについて聞きたい、と言うしかない。

「……ああ、ああ。すまなかったね。そうだね、そうだよね……君のような方が、私のような者にわざわざ訪問などと……ジューガー・リャンがめあてでないと」

「いえ、そんなことは」

「かまえないかまえない。慣れているさ、そんなことは」

 彼はふうと息をしてから、席に着いた。

「それでは語ろうか……何から聞きたい? ああそうか、彼が何をしたかったのか、だっけ」

 彼は目を閉じて、静かに茶を喫した。

 私にはそれが、永遠とも思えた。

 彼が、ジューガー・リャンとの思い出を頭に浮かべているだろうから。


 2


 以下――ジューガー・リャンの主であった、彼の述懐を記す。


 知ってのとおり、私は父から地位を継いだ。

 その地位も今は失ってしまったが、それはまあ、もういい。

 ジューガー・リャンは父の代から私に仕えてくれた。

 そして父を戦争で失い、私と私の領地はかなり動揺していた。

 しかしリャンは、私を支え、私の領地を私に代わって治め、最終的には、戦争の方もやってくれた。

 そう、リャンは父の下で、領地の経営やよそとの交渉、といった役割を担っていた。

 というかそもそも、そのために幼い頃から勉強を重ねていたという。

 それが、戦争に出る。

 相当な覚悟が必要だったと思う。

 かなりの用意が必要だったと思う。

 だが彼はその必要なそれらを為した。

 だから彼は――こうして君が訪ねてくるくらい、名を残したんじゃないかと思う。

 まあ、それはいい。

 ちょっとした私の感慨だ。

 それより――リャンは戦った。

 おそらく不慣れだったろうが、それでも父の残した将兵がいた。

 彼らを率い、リャンは戦争をした。

 苦戦することもあったが、それでも戦争をした。

 何回も戦った。

 かなり善戦した方だと思う。

 大国相手に一歩も引かなかったし、時には勝利をもぎ取ることもあった。

 それでもその仕事は彼を消耗させ、蝕んでいた。

 私は心配して聞いた。

 なぜ――そこまで戦うのか。

 そう聞いた私に答えるために、彼は手紙を書いてくれたよ。

 私の領地は狭くて小さい。しかも父の残してくれた将兵も、どちらかというと寄せ集めともいうべき――この国は、戦わないと、ばらばらになってしまう、瓦解してしまう、と。

 これも彼の手紙にも書いてあったが、私の領地は小国で、経済の規模も大したことはない。

 いずれは大国に吸収されてしまうだろう。

「だから戦う」

 彼はそう言っていた。


 そうして彼は何度も戦った。

 大国――つまり、君の国と。

 それは領地の経営と並行しておこなわれ、双方とも遺漏なくおこなわれた。

 通常は分担されるべきだと思う。

 だが、彼はそうしなかった。

 おそらく、その方が効率がいい、合理的だという判断だったんだろう。

 でも、働きすぎだ。

 私は何度もそう言った。

 そうするとジューガー・リャンはいつも笑って、それでいいのです、と答えた。


 案の定、彼は死んだ。

 仕事──戦争の最中だった。

 みんな、悲しんだ。

 私も悲しんだ。

 泣いた。


 ……彼の後始末は完璧で、しかも後継まで指名していた。さらにその次の後継も。

 結局のところ、国を保ちたかったのではないかと思う。

 それが、ジューガー・リャンの、私の父への想いか、あるいはおのれの義務と思っていたのか。

 それはわからない。

 そういうことを、言う人ではなかった。

 ただ、私の国、否、彼が作った国(こう言っても過言ではないだろう)は、その後、二十年は保った。

 その二十年――私は彼が指名した後継に任せ、なるべく口を出さないつもりでいた。

 だがその後継も、後継の後継もいなくなってしまった時は困った。

 だって、そうだろう?

 私は――信頼できる相手に全て任せ、それを認めることが仕事だと思ってきた。

 ところが、その、任せる相手がいないのだ。

 しかたなく私は、ジューガー・リャンの教えを受けた者、あるいはそうではなく、違うやり方があると言う者など、いろいろな人と会って、いろいろと試してみた。

 時には、私自身で判断し、実行することもあった。

 けれどもそれらは皆、失敗に終わった。

 これは君の知ってのとおりだ。

 私の国は、君の国の王に負けた。

 併呑された。

 だからこそ私はここにいるのだから。


 お茶のお代わりは?

 そう、まだいいのかい?

 それなら結構……さて、ジューガー・リャンの話だったか。

 彼は結局、何がしたかったのか。

 そう……自分が死んでも、そのあとや、さらにそのあとのことまで考えて、用意して。

 そこまでして国を保って、何をしたかったのか。

 勝ちたかったのか?

 大国──君の国の王を負かして、支配したかったのか。

 それをもって成功とするには、余りにも彼は迂遠だった。

 それとも、これは私の勝手な考えだが、彼はもしかしたら、何か……こう……そう、何というか考え方があるということを、示したかったのではないだろうか。

 ある種の、ものを教える人や世捨て人には、ありがちな考えだと思う。

 誰かが勝手に誰かのものを取るのはくない。

 そういう者にはがあるべきだ。

 そういう考え方だ。

 人はそれをという。

 私もそう思う。

 ただ――そのために、一国を興すというのは、そうそうない。

 一度、この国に怪しげな宗教がはびこったことがあるね。

 そうしたことがあって、そのからこそ、ジューガー・リャンはそのを押さえるべく、行動を起こした。

 だから勝つこととか、支配することとかは二の次だったと思う。

 だから私を廃して自分が支配者になるとか、そういうことではなかったと思う。


 気づくのが今さらだと思うかね?

 でも――そういうことだと思うよ。

 でなければ、彼ほどの人物が、それこそ一生かけて心血注いで、国を興して保とうと、しやせんよ。

 私はつい最近まで、そういうことがわからなかった。

 そう、逆に言うと、最近になって、わかって来た。

 失って始めてわかってくるという、この皮肉。

 でも――それでも良いと思う。

 先日、私はそれを実感したよ。

 そう、君もその場にいたね。

 私の国を征服した、この国の王の催す宴に。

 そこで王は、かつての私の国の音楽を奏でた。

 慰めるためだろうか。

 いや、あるいは誇示するためだったのかもしれない。

 だって、王は――私の国を征服したのだからね。

 その功績を示すために、敢えて私と――私に仕えていた者たちを宴に招き、そう、君のように、異国人とも言える人たちも招き、私の国の音楽を奏でた。

 そう、さすがの私にもこれぐらいはわかる。

 王は、さらに上をねらっている。

 征服すべき国は、まだある。

 至るべきは、まだある。

 であれば、私のことを宴に招き、こいつを見ろ、自分は勝ったぞ、次もまた勝つぞと言いたいのであろう。

 そうするとまあ、私はともかく、私に仕えていた者たちは、泣くわけだ。

 国を失った哀しさに。

 ……征服者に従えられているというに。

 私は危ないと思った。

 彼らが危ないと思った。

 王というのは、おのれに従わない者に敏感だ。

 私が――かつて、そうだったからね。

 征服を誇示し、勝利を祝うためなら、織り込み済みとわかっていても、それでも、被征服者たちのそういう反応は征服者――王にとって不興を招く。

 おのれに従えないのか、と。

 そこで私は、楽しい楽しいと言って、酒を飲み、かつ、食らった。

 ……実際、そう思っていたからね、嘘じゃない。

 だからそんなふうな目で見ないでくれ。

 憐れまなくていい。


 ……話が逸れた。

 そうだね、それで王は聞いてきたね、貴方は祖国を懐かしく思わないのか――と。

 懐かしくない、懐かしくない。

 実際にこの国の都の方が食事は美味しいし、祖国のように、食卓にジューガー・リャンの植えた野菜だけ、という状況も無い。

 実にありがたいことであると申し上げると、王は悦に入ったようにうなずいた。

 そうだね、その時、祖国からついてきた者が、私に、そういう時、そういう風に言ってはいけない、父の墓もあることだし、毎日思い出しては懐かしんでいる――と答えてくれと懇願した。

 それを聞いていた王は、何と、貴方は祖国を懐かしく思わないのか――と言った。

 やり直してくれるという温情を示したのかもしれない。

 でもこれは、だ。

 私はそう思った。

 王は試しているのだ。

 私を。

 そのの結果によっては、私を始末し、私に仕えていた者たちを血祭りにあげるだろう。

 私は思った。

 ジューガー・リャンよ、この場に貴方がいればどうする、どう答えればよい。

 でも彼はいない。

 私はふと、彼が死んだとき、彼の死を喜んだ輩を処刑したことを思い出した。

 さすがの私も、彼がここまでしてくれたことをありがたく感じていたからね。

 いかに間違いがあったとしても、その死を喜ぶことだけはいただけない。

 そう――思った。


 私は王に答えた。

 父の墓もあることだし、毎日思い出しては懐かしんでいる――と。

 王は笑った。

 それは今、貴方のの者から言われたことですね、と。

 そうですと答えると、王はまた笑った。

 王の家来たちも笑った。

 皆、笑った。

 これなら――あの諸葛亮ジューガー・リャンが助けたところで、わが国に勝てなかったのも、無理はない、と。


 3


 述懐が終わった。

 私は思わず聞いた。

「すみません、お辛くなかったですか」

 彼は、いえ全然、と笑った。

「私にしては上出来だったからね」

 けろりとした表情でそう語った。

 彼――安楽公は、そこで遠くを見るような表情をした。

「私は愚かだった……だけどあの時、ああすることによって、私についてきてくれた者たちは、守れたと思う」

 それはかつて、諸葛亮がその身命を賭して、国を興し、守ったということが、響いたおかげだろう。

 おそらく、彼はそう思った。

 私も、そう思った。

 そうか。

 これが……諸葛亮のやりたかったことなのかもしれない。


 気づくと、日が傾いていた。

 いつの間にか、けっこうな時が過ぎていたらしい。

「やあ、綺麗な夕暮れだ」

 安楽公は、亡国の主とは思えないほど天真爛漫だった。

 持って生まれた性格なのだろう。

 そう思っていたら。

「あの日──五丈原で、彼もこれを見たのかなぁ……」

 まだ、あかりをともすような時間ではない。

 でも、部屋は薄暗がりで──安楽公の顔はよく見えなかった。

 特に、目のあたりがどうなっているかを。

 しかし、それを確かめるのは、野暮というものだろう。

 私は辞することにした。

「大した話もできないで、申し訳ない」

 目をこすっていた安楽公はそう詫びたが、それには及ばないと答えた。


 安楽公は門まで送ってくれて、こう言ってくれた。

「いや、さすがは将来の左賢王。何というか、こう、ちがいますな」

「……恐縮です」

 将来は左賢王になる、と言祝ことほいでくれているだけではない。

 私を匈奴フンヌの出と知って、敢えて諸葛亮をジューガー・リャンと言ってくれるその気遣いに、今さらながら頭の下がる思いだった。

 だから私はその気遣いに甘えたくなる。

「あの」

「何でしょう」

「安楽公、貴方から見て、私はどうでしょう? 諸葛亮のように、何がしかの正しさを示せるでしょうか。また、私の跡を継ぐ者に、その正しさを伝えられるでしょうか……諸葛亮から、貴方に伝わったように」

 安楽公は、困ったような笑顔を浮かべた。

 なぜと問うと、自分は水鏡先生ではない、人を見ることはできない、と答えた。

「それでも、かまいません」

 私は勢い込んだ。

 単純に、この老人のことが気に入った、ということもある。

 そうすると安楽公は、では人生の先達として、と断りを入れてから言った。

「まずご自分で考えてみては。私はそれができずに人に聞いてばかりだった……自分で決めることもあったが、それはわずかなこと。だから、おのれでどうするか考えて、動いてみては」

「それは……」

 私はそう心がけているつもりだった。

 安楽公は、そうでしょう、そうでしょうとうなずいた。

「それが人に伝わると思わずに、おのれのやることで示しては。伝わればそれでいいですけど、大抵、そういうのは伝わらない。でも、そういうものだと思って、つづけてみては。そうすれば……いつかは、誰とは限りませんが、伝わることもあるでしょう、おもうこともあるでしょう」

 そこまで言って、私が彼をおもうのは、だいぶ遅きに失しましたがね、と彼は含羞はにかんだ。

「いえ、そんなことは」

「いいんです、いいんです。扶不起的阿斗助けようのない阿斗、と呼ばれているのは知ってます」

「それは……」

 私は彼を気の毒に思った。

 そんなふうに呼ばれる彼を気の毒に思った。

 それで。

「いつか貴方に、それにふさわしい呼ばれ方で呼ばれるようにしてさしあげましょう」

 と言った。

 安楽公は少し驚いた顔をした。

 だから言いつのる。

「それこそ……言わずとも、正しさを示すことにつながるでしょうからね」

 と。

 安楽公は、これは一本取られたと笑った。

 ひとしきり笑うと、さあもう行ってくだされとうながした。

「秋風は身にしみます。早く帰ってご自愛を」

「そうですね……ではお暇します」

 私は馬に乗った。

 愛馬を進ませる。

 ふりかえると、安楽公はこちらを見ていた。

 見送ってくれていた。

 秋風が身にしみると言っておいて、いつまでも。

 私が彼のことをおもう時は、この時の姿だろうな、と感じた。


 4


 ……こうして将来の左賢王・劉淵は、安楽公・劉禅との私的な面会を終えた。

 その後、劉淵はこの時のことを忘れずに行動したのか、劉禅を宴に招いた王――晋王・司馬昭の死、晋王の後継者・司馬炎の登極(西晋の武帝)、その司馬炎の死、そこから始まる乱世の中、一貫しておのれの正しさのために行動し、ついには国を興した。

 国号を漢というその国は(のちに国号を趙としたため前趙といわれる)、前漢、後漢、そして蜀漢の正統な後継者と称する。

 そのため、蜀漢の後主たる劉禅におくりなして「懐帝」とした。


 このことは、劉淵の子・劉聡が西晋の三代皇帝・司馬熾にしたことを考えると、意味深長である。

 劉聡は司馬熾を捕え、傘持ちをさせたり、宴で酒を注ぐ役をやらせたりと、かなり屈辱的な扱いをした。

 それを見て、西晋の旧臣たちは大いに歎き悲しんだという。

 これを不快に思ったのか、劉聡は彼らを誅戮ちゅうりくし、ついには司馬熾自身をも殺した。

 やがて劉聡は西晋を滅ぼし、司馬熾に「懐帝」とおくりなしたという……。


【了】




 

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